友々素敵

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質量不変の法則

2008年08月27日 22時26分05秒 | Weblog
 最近、「質量不変の法則」という言葉が、頭に時々浮んでくる。高校の時に、科学の時間に学んだ法則だ。私の理解は“形は変わっても、元素の種類とその数は変わらない”というものだが、これで正しかったかどうか心配だったので、インターネットで調べてみようと思った。だいたい良いように思われるけれど、インターネット上の論文は結構難しい。

 私は高校生になった時、「アカン、自分は全く理数がわからん」と気が付いた。答えがわかっているものになぜ取り組むのかと馬鹿にしてきたツケがハッキリと出た。仕方がない、理数はあきらめよう。この辺の割り切りは素早いのだ。再試を受けなくてすむ30点を目標にした。6問題あれば2問題が正解できればよいわけで、先生の方も理数の苦手な生徒のために、この2問題が解けるように授業をしてくれていたと思う。

 そんなある時、数学の幾何の授業を受けていて、数学は論理学なのだと気付かされた。哲学や社会学を学ぶための基礎的な学問だと理解したが、この時はもう全く間に合わなかった。このまま、理数落ちこぼれ生徒でいくしかなかった。そんな時に習った「質量不変の法則」はなぜか心惹かれた。物理の先生は優しい先生で、文科系の生徒は出来なくてもいいけれど、最低点はクリアするようにと試験に出るであろう重点問題は教えてくれた。

 多分、この先生からだと思うけれど、「エネルギー保全の法則」ということを聞いた。この時もなぜか目が覚める思いだった。どういうことだったか定かではないが、たとえば牛馬は草を食べて物を運ぶが、物が運ばれるということはそこにエネルギーが注がれた結果なのだということ。そして物が動くために費やされたエネルギーは、そこに蓄積されたエネルギーと変わらないというものだったように思う。私の理解は高校生の時と変わらず思い込みの中にあるから、あまり定かではないけれど、エネルギーの形は変わってもその質量は変わらないというものではなかったかと思う。

 この地球は、確かに産業革命以後、大きく変化してきたけれど、そして今、地球資源を巡って巨大国を初めとする各国が資源の確保に血走っている。まるで第1次世界大戦の前のような雰囲気だ。と言っても私がそれを知っているのではないが、それにしてもどうしてそんなに資源を欲しがるのか、私には理解できない。理解できない私の頭にあるのは、「質量不変の法則」であり「エネルギー保全の法則」だ。

 地球にある元素の種類と量は変わらないのだから、アメリカが持とうが中国が持とうが日本が持とうが、結局は同じではないか。もし、この科学の法則が全くの真実ならば、奪い合いことよりも分かち合うことの方が正しいと思う。
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