友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

反減税では現状維持になるばかりだ

2011年02月04日 23時15分58秒 | Weblog
 やっぱり立春なのだと思わせるように暖かな一日だった。ルーフバルコニーの鉢にチューリップの芽が出てきた。このところ雨が降っていないので、バルコニーへ出て水遣りをする。吹く風はまだ少し冷たいが、何だか春めいてきた感じがした。大和塾の第20回市民講座「ピカソはやっぱり北名古屋人!」を3月19日(土)に行なうので、教育委員会の後援依頼の用紙を役所へ持っていかなくてはならない。車がないのでどうしようかと一瞬考えたけれど、こんなに暖かくなったのだからと歩いて行って来た。早足で歩いたら汗ばむほどだった。

 今度の日曜日は愛知県知事選挙の投票日である。名古屋市民は市長選挙と市議会解散の賛否の住民投票の日でもある。そこで、知事候補の立会演説会に行って来た。「河村・大村のムラムラセットに引っ掻き回され、全くこれまでの選挙戦とは違う」と応援者が言っていたので、どんな具合なのだろうという興味があった。ムラムラセットがどんな選挙を展開しているのか知らないけれど、相手側を見れば多少はわかるのではないかと思ったのだ。最後の立会演説会だから、言わば最後の決起集会である。見渡したところお年寄りが多い。これはいつものとおりだ。

 県議が挨拶し、全員の首長が激励し、地方議員がお願いを連発した。これもこれまでどおりのパターンである。これで1時間かかり、遅れてやってきた候補者が後の扉から颯爽と登場し、立候補の決意を語った。最後に国会議員がふたり、ぜひ候補者を当選させてやって欲しいと述べて終わったが、ここまでで2時間の長丁場だった。応援者は「候補者は誠実であり、行政手腕に長けている」と強調していた。首長は「この地域にはなくてはならない人」「私はぜひ当選してもらいたいと願っている」「この人を当選させずに他に誰がいるのか」と述べていた。日頃は対立している政党が推薦している候補者をこれほどまでに持ち上げる図々しさに驚いた。

 首長も地方議員も国会議員も、「減税などは耳障りがいいだけだ」と反減税の大合唱だった。確かに河村流の一律減税はお金持ちに有利なだけの減税であるが、お金持ちに有利だからダメなら、他の方法で行なえばよいはずだ。けれども、「今日のように税収が減っているのに、減税すればサービスの低下を招く」と決め付ける。それならば「サービスの低下をさせない」と議会が条件をつければすむのではないか。それに、税収が右肩上がりであった時、なぜ減税を実行できなかったのだろう。首長も議員も税金を我が物のように思っているから、減税という発想がないのではないか。

 まず減税を行なうことで、行政のあり方をとことん考えるべきだろう。膨らみすぎた首長や議員の報酬と職員の賃金をカットし、無駄な事業を精査して止めることも大事だ。政治は継続してきたものを見直すことにとても弱い。けれど、税収が減っているのだから、その中でサービスを低下させないために何をなすべきかを検討するよい機会だと思う。「減税すべきでない」と言っていたなら、それは全ての現状を容認し維持する結論になってしまうだろう。行政にかかわる人が多すぎる。これを正すには大鉈が必要だけれど、それには強いリーダーではなく、大勢の市民が参加して決める仕組みが大切だと思う。

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