友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

母校の活躍を喜ぶ

2015年07月27日 18時21分02秒 | Weblog

 夏の甲子園大会に向け、各地方で熱戦が繰り広げられている。娘たちが卒業した高校は年を追う毎に野球部が強くなってきた。愛知県で一番甲子園大会に出場している中京大中京と戦い、結果は負けたけれどほぼ互角の対決だった。私の母校は元巨人の槙原寛己投手の母校と対戦し、延長11回サヨナラ勝ちをしている。私が在学していた頃は、野球部はカッコイイ男が多かったけれど、強い印象はなかった。

 母校はサッカーの名門校で、体育の授業もサッカーをすることが多かった。サッカー部の連中は学業の成績は振るわなかったけれど、ガッチリした身体で気のいい奴らだった。私が生徒会長を務めた2年の冬、中京高校を破り全国大会に出場することになった。しかし、全国大会出場は久しぶりのことで、応援団がなかったので、就職が決まっていた3年生の先輩に団長になってもらい、応援に行ってくれる生徒を募集し、即席の応援団を結成した。

 応援団づくりからバスの手配など、今思うと夢中になってよくやった。1回戦で負けたからよかったけれど、あれが勝ち進むことになったら、校長に談判して金を作らなければならなかっただろう。1月4日だったか、兵庫県西宮での戦いはとても寒い日だったということしか覚えていない。大学生になった時、高校の体操服で体育の授業にいくと教官が「サッカーが強いな」と言ってくれた。

 私は野球よりもどちらかと言えばサッカーの方が好きだ。足が速かったということもあるが、サッカーは格闘技に似たところがあって面白い。身体の小さな私でも走り回ればチャンスがやってくる。ただ、メガネがなければ何も見えないから、ぶつかってメガネが吹き飛んでしまうと何も出来なくなった。メガネを壊して父親に余分な出費をさせたことが気になり、思い切ったプレーが出来なかった。

 野球は兄が好きだったので、キャッチボールをさせられた。小学校の時は子ども会の軟式野球チームに無理やり入れられた。足が速かったので、指導していた「兄チャン」に見込まれて絞られたが、面白さが少しも感じられず、こんなに暑いのになぜやるんだと不満に思っていたから全く上達しなかったのに卒業するまで絞られ、本当に苦痛だった。

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