友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

冊子『はがき絵』の欠落していた2枚が届いた

2020年07月10日 17時50分30秒 | Weblog

 卒業生のクラス会に出席した時だった。「先生の年賀状、全て見たいな」と言われたことがきっかけで、引き出しの奥にあった住所不明や書き損じで残っていた年賀状を探した。年賀状は、子どもが生まれ、1年毎に変わっていく様子をマンガ風に描いた。

 子どもたちが大きくなり、家を出て行ったり、隣に引っ越してきたり、絵だけでは説明がつかないが、それが我が家の変化だから気にしなかった。夫婦ふたりだけになって、老いていく姿を描くのが嫌になって干支に代わった。並べてみると2枚欠落していた。

 昨年末に姉が亡くなり、私も75歳で旅立ちたいと願っていたので、冊子『はがき絵』を届けることで、年賀状を終えることにした。すると、卒業生からお礼の封書が届いた。その中に欠落していた2枚の年賀状が入っていた。

 そうか、これで全部揃ったのか、そう思って眺めてみると、嬉しい反面で悔しい気持ちにもなった。けれど今更、この2枚を加えて作り直す気にはなれない。茶色く変色した年賀状を初めから並べ直し、眺めている。

 冊子にする時、年賀状に書いた文字や汚れは消してもらった。絵のかすれた線が濃くなり、現物とは違ってキレイに仕上がっている。冊子としては完成しているが、雰囲気が無くなった。現物の汚れた年賀状を見ながら、今、読んでいる『女帝 小池百合子』を身近に感じた。

 人の名が多く出てくるし、時系列が入れ替わったりしていて、オヤッと思いながらも先が読みたくなる。私の冊子は1969年から2019年までの「はがき絵」だが、『女帝 小池百合子』は祖父が宮城県からアメリカに渡り、神戸で船会社を興したことなど、細かく書いている。東京都知事の小池百合子の実像に迫る努力が随所に見られる。明日はきっと読み終わるだろう。


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