友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

子どものいたずらにしては度が過ぎる

2020年02月17日 18時48分17秒 | Weblog

 放課後子ども教室にノックして入るが、誰もいなかった。教室にゴミが落ちているのは気になるので、掃除を始めた。すると1枚の紙が先生の机の前に落ちていた。捨てようとして、見てビックリした。子どものいたずらとは思えないくらい文字がびっしりと書かれている。

 「死ね死ね死ねクズクズクズ死ねFUCKFUCKFUCK」と一面にある。小学生に出来るようないたずらではない。そんな気がした。けれど、仮に小学生なら、高学年の頭のいい男の子だろう。ましてやFUCKという英単語の使い方まで知っているとは驚きだ。

 子どもたちと話していても、年寄りはついていけないくらい大人っぽいことを言う。男の子たちはまだ幼いが、女の子は大人の話をよく聞いているのか、かなりきわどいことまで口にする。いたずら紙が本当にただの思い付きのいたずらであって欲しいと思う。

 重い気分で家に帰ると、「はがき絵」の礼状がいくつか届いていた。それこそホンの思い付きで、年賀状を冊子にしてみたが、こんなにも温かな言葉をいただいき恐縮している。デザイン科の教員になって個展も開いたものの、先輩の先生から「教師の道か、アーチストの道か、曖昧ではダメだ」と教えられて迷った。

 ところが内ゲバに巻き込まれ、教師もアーチストも諦めなくてはならなかった。長いどん底生活。好きだった新聞作りが私を活かしてくれた。地域新聞を発行していた10年間は夢中で、楽しく苦労と思うことは一度もなかった。企画し発行するその1号1号が充実していた。創刊から5年後からはスタッフも増え、新聞以外の企画も生まれた。

 子どもたちと一緒にいて、「子どもとのふれあいはいいなあ」と思う。その反面、私は歳を取り過ぎたと感じる。やっぱり、孫世代とは生きている世界があまりにも違う。やっぱり、どこかで区切りにしようと思う。


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