友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

早く年寄りになりたい?

2009年10月14日 20時08分51秒 | Weblog
 昨日はその前の日に完成できなかった電動ポンプと手押しポンプの取り付けを行なった。このところ、朝から夕方までの作業が続き、皆さん少々疲労気味だ。部品が足りなくて、その調達に手間取ったことが最大の原因だが、慣れから来る準備不足も要因の一つになっている。また、明日も朝から井戸掘りで、中の今日だけは何も無かった。ところが今朝は知人のお母さんの葬儀があり、参列させてもらった。

 知人夫婦もそのお母さんもクリスチャンで、葬儀はキリスト教で行なわれた。50年ぶりというのは少し大げさだけれど、久しぶりに賛美歌を歌った。歌っていると中学・高校と通っていた教会の礼拝が思い出され、懐かしい気持ちになった。私がキリスト教に興味を抱いたのは小学校の6年のときに読んだ『アンクル・トムの小屋』という子ども向けの世界文学全集の中の1つだった。奴隷であるトムが手放さなかった聖書をどうしても読んでみたいと思ったことが、教会へ行くきっかけだった。

 牧師が言う。亡くなられたお母さんは「全ての労苦から解放され、天国で神と共にいらっしゃる」と。小説家の川上未映子さんが「生きるとは苦である」と言っていたが、もちろん苦しいことばかりか楽しいことや嬉しいこともたくさんあるが、苦しいことにぶつかって、これを乗り越えて生きているのが人間のようだ。苦しいことや嫌なことがあっても、いつか楽しいことや嬉しいことがあれば、人は希望を抱いて生きていくことが出来る。「朝の来ない夜はない」というけれど、朝を迎えた経験があるから夜を耐えることができるのだ。

 亡くなられたお母さんは、戦争未亡人となり、女手一つで二人の子どもを育てた。ところがその大事な子どものうちの男の子を伊勢湾台風の時に亡くした。絶望の余りしばらくは口も利けなかったそうだ。戦争を挟んで青春を生きてきた人の悲劇がここにもあった。けれども晩年は、海外旅行にも出かけ、あるいは家に来た外国人に得意の手料理でもてなしたり、誰とも親しげに過ごされたそうだ。生きていれば、やってくる幸せにも出会える。神はそれぞれの人生をそれぞれに計画されている。

 中学3年の孫娘は「早く年寄りになりたい」と言う。中学生の今は、「勉強に追われて、ちっとも面白くない。でも年寄りになれば、試験も無いし、好きな時に好きなことをやってられる」と嘆く。私が中学生の時は、年寄りだけにはなりたくないと思ったが、面白いことを言う。慌てなくてもいつかは年寄りになる。素敵な年寄りになるか、みっともない年寄りになるかは彼女次第だ。どんな風に生きていくかで、決まっていくだろう。

 それにしても、「早く年寄りになりたい」とはちょっと可愛そうな気がする。年寄りになってみたらわかることだが、よいことなんて一つも無い。それでも生きていかなくてはならない。神が定められたように。
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2019-09-15 15:28:36
おまえは無責任な老人になったわけだ。
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Unknown (鈴木よしひこ)
2019-09-15 18:23:29
「無責任な老人になったわけだ」と指摘され、一瞬ドキッとした。自分ではいつも責任をもって生きてきたつもりでいたけれど、結果的には何もできなくはいない。そう定められた人生のようだが悔いはしない。
返信する

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