友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

みんな個性的だった

2020年01月08日 16時35分15秒 | Weblog

 卒業生から「近況報告」のハガキが来た。私が教員になった、昭和42年に彼はその高校へ入学してきた。翌年、私は初めて担任を命じられた。彼は1年留年していて、私の生徒となった。24歳の若造の私は、彼がどうして留年したのか、知ることもなかったし、多分、知ろうともしなかった。

 生徒と歳が近かったし、まだ独身だったので、先生と生徒というよりも友だちに近かった。彼は自転車で通学していたが、私の下宿がその通り道に在ったので、頻繁に下宿に寄って行った。私がカギを渡していたのか、私より先に下宿に居て本など読んでごろごろしていた。

 「腹減った」と言う彼に、キャベツの千切りを出したことがある。彼は「こんなの食べられるの?」と訝った。「うまいよ。食べてみたらわかる」と勧めると、「意外にうまいね」と言う。それからはよくふたりで、キャベツの千切りと買って来たフライを食べた。私も彼が読んでいたマンガから教えられることもあり、師弟というより兄弟のようだった。

 彼は車が好きでトヨタに就職した。トヨタは自社の車しか認めていないのに、彼はいすずのベレットで通勤し、「上司に叱られた」と言う。自分の美意識・価値観を持っていたから、会社員としてはいろいろあったことだろう。彼が住んでいた裾野市の社宅に、彼が手配してくれた長野の別荘に、家族4人で出かけたこともある。

 「近況報告」の中に、「私的な平成30年史を執筆しています」とあった。また、「最近、NHKで発達障害の番組があり、自分がひどい障害があったことが判明しました」とあった。彼はユニークな生徒だったが、当時の生徒は誰もが個性的だったから、全員が「発達障害」となる気がする。よく考えれば、担任の私も「発達障害」だったのだろう。

 今晩は市民講座を開催してきた仲間とのOB会。


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