午前中に書店に行こうと思っていたら、雨が降って来たので車に乗って出かけた。昨日の中日新聞に、『週刊金曜日』の臨時増刊号「まるごと山本太郎れいわ新選組」の広告が掲載されていたからだ。けれど書店には置いてなかった。
「山本太郎れいわ新選組」に強い興味がある訳ではないが、もし手に入るなら読んでみようくらいの気持ちはある。山本太郎が何をどうしたいのかも知らずに、「新選組なんて、体制維持派じゃーないか」と言ってしまったことに悔いがあった。
「社会を変えなければならない」と、子どもの頃から思ってきたが、社会はいつも変わっていくと75歳の今は思っている。ただし、声を上げなければ現状維持が続いてしまうことも事実だ。香港の若者のように過激な行動は、さらに強い弾圧を招くことになるが、何もしなければ少しも変わらないことも確かだ。
井戸掘り仲間と飲んでいた時も、先輩が「富を分配するのが政治の役割なのに、安倍は富裕層に肩入れして貧しい人々のことを何も考えていない。経済の発展が国を豊かにするなどと、未だに新自由主義に侵されている」と批判する。
けれど人間が豊かさを求めなくなるとは思えない。先輩は「ほどほどでいいんだ」と断言するが、私も賛成だが、「ほどほどでいい」社会になるには人間の価値観が変わる必要がある。果たしてそうなれるのだろうか。釈迦やキリストの時代から、ズーと思考してきたのに、道は未だ遠い。
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