友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

新年会の話題

2020年01月09日 17時18分55秒 | Weblog

 昨日の新年会で、「いじめ」が話題になった。「どうして当事者ではない教育委員会が出てきて謝るのか」と質問が飛んだ。「教育は各自治体で行われ、その責任が教育委員会にあるため」と説明があり、「だから、どうしても自己防衛になってしまう」と言う。

 「神戸のカレーを食べさせたのは、やはりいじめですか」の質問に、元校長は「明らかにいじめですね。責任は先生たちとコミュニケーションが取れていない校長にあります」と言う。「校長室に居るばかりでは、先生たちの様子が把握できません」と指摘する。

 また別の人が、「いじめられた子どもは、いくら先生が間に入って仲直りさせても、結局は別の学校へ転校するじゃーないですか。加害者の子どもはほとんどそのまま通学しいていくけど、どうもそれが納得できない」と言うと、「子どものいじめは犯罪のケースもあるけど、悪ふざけの域を出ないケースもあるから、難しいと思う」と言う元先生。

 私たちの子どもの頃は、年寄りや先生は絶対の存在だった。けれども今、子どもたちの親は年寄りや先生に敬意を払うことはない。子どもの前で平気で先生の悪口を言う。それを見聞きしている子どもたちは当然、年寄りや先生を敬う気持ちが育っていない。

 それにしても不思議なのは、教育の仕方は私たちの子どもの頃とあまり変わっていない。「起立・礼・着席」に加えて、「ありがとうございました」と一斉に唱える。「右向け右」の号令や行進時の手足の動かし方も全く同じだ。こんなに子どもたちの個性を無視した画一的な教育の仕方なのに、「主体的・対話的で深い学び」が唱えられている。おかしいと思うのは私だけなのか。


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