友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ケンカは生涯であの時しかない

2020年08月03日 17時55分56秒 | Weblog

 私に相撲を教えてくれたのは姉のダンナだった。姉の家に遊びに行くと、6畳の居間でよく相撲を取らされた。小学校の4年生くらいから、まるで日課のように鍛えられた。チビで痩せで色白な私を強い男にしてやろうと思っていたのだろう。無理やり何度も相撲を取らされた。

 勝てない私に義理の兄は、「コツを教えてやる。ゆっくり立つな、素早く相手のマワシをつかんで一気に押せ」と言い、何度も練習させられた。その成果は小学校の6年の時だった。隣りのクラスの担任が砂場で子どもたちと相撲をしていた。見ていた私に先生は「君もやらんか」と言うので、素足になって砂場に入った。

 行司役が「はっきょい、のこった」と声を上げるその瞬間に、私は義理の兄に教えられた通り、組んだら負けるので、先生のベルトに手をかけ押し倒した。周りの男の子たちは、色白のチビが先生に勝ったことで、喜ぶよりもビックリしていた。

 もうひとつ、義理の兄の教えを忠実に実行したことがある。中学1年の時、私は級長だった。クラスに子分を連れた横着なボスがいた。授業の始まりのベルが鳴っても席に着こうとしない。「席に着いて」と声をかけると、「ウルセイ」と言い返してきた。

 兄は「ケンカは相手の体制が整わないうちに襲いかかれ。不意打ちをくらわせれば必ず勝てる」と教えてくれた。ケンカは一度もしたことが無かったが、ここは勝負だと思ったので、いきなり彼に飛びついて身体を持ち上げ、壁に叩きつけた。女の子の前でいい格好がしたかったのだ。

 以来、「おとなしそうに見えるが狂暴なヤツ」とウワサされるようになった。ボスにいじめられることは無かったが、2年の時に1度、ガラスの破片を投げつけられた。睨みつけたら逃げていったから、力関係は私の方が上になっていた。ケンカは生涯であの時しかない。

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