北海道釧路市のイオンモールで、包丁を持った男が女性1人を死亡させ、3人に重軽傷を負わせた。「人生を終わりにしたかった。死刑になるため人を刺した」と言う。どういう理由なのか分からないが、無差別に人を殺し、「死刑になりたかった」という考えが理解できない。不謹慎な言い方だが、「人生を終わりたい」なら、自分で自分を殺すことだってできるはずだ。
人知れず自殺をすれば、それでもかなりの人に迷惑をかけることになるが、他人の人生を奪うことはなかった。やっぱり、考えが足りないのではないのか。もし仮に、どうしても誰かを殺したかったというなら、それで誰かの命が助かるのなら、私が代わりになってもいいと思ったが、どういう人に殺されるのか分からないままでは嫌だから、それにまだやらなければならないことがあるから、せめて1年先に延ばして欲しい。
その間、一緒に生活し、相手も私も、お互いをよく知ってから行為に出た方が納得できるのではないだろうか。「おとなしくて真面目な人」とアルバイト先の新聞販売店の人は言う。「人生を終わりたい」と言うには33歳と若い。いくらでもやり直しが出来るはずなのに、どうしてそんなに早い死を望むのか、一度こういう人と話がしてみたかった。
「人生は出会いが全てである」とは誰の言葉だったのか。どんな人に出会うかでその後の人生は大きく変わるが、せっかく出会いがあっても気が付かない場合もあるし、影響を受けて凹んでしまうこともある。それでも人間はどこからでもやり直しが出来る。どう切り開くかは本人次第なのだろうが、それもまた運命なのかも知れないが、運命は自分が切り開くという説もある。
一昨日のブログではないが、長生きはしなくてもいいけれど、自分らしく生きられたなら本望であろう。自分らしく生きたか否かは神様が判断すること、生きている本人はひたすら求めて生きる以外になく、決して人を殺して「人生を終わりたかった」などと言ってはならないことだ。今日の午後は、姜尚中氏の講演会に行き、夜は夏祭りの打ち合わせがある。ちょっと早いがブログをUPする。