友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

秘密のメモ書き

2016年06月02日 17時34分11秒 | Weblog

 等圧線が混み合っている訳でもないのに、なぜこんなに強い風が吹いているのだろう。午前中は昨日に比べればそれほどでもなかったから、買い求めたのに植えられなかった50本のサルビアを植えようと、ルーフバルコニーに出た。やはり寒い。ウィンドブレイカーを着込み、頭に帽子を被り、寒さ対策をしたはずだった。なのに、作業をしていると鼻水が落ちてくる。

 とにかく50本を植え、部屋も戻る。本当に寒かった。部屋でも1枚羽織るけれど、なぜか鼻水が止まらない。友だちから電話がかかってきたが、ひどいガラガラ声だ。「どうしたの?」とたずねると、「のど風邪にやられた」と言う。暑かったり寒かったりでうまくコントロール出来なくなっているのだ。「歳なのだから、注意しなくちゃー」と言ったものの、そうか自分も同じかと思った。

 ブログのネタのために、気に入った言葉をメモしておくのだが、不要になった紙をメモ用にしていたので、何が何だか分からなくなってしまった。「まずいと思ったのか、悪いと思ったのか」とか、「さしたる根拠もなく分かり合えることはないが、許し合うことは出来る」は、随分前に書いたものなのに、今の舛添知事にピッタリの言葉だ。「本当のことを知るより、優しいウソの方が愛がある」というのも舛添知事の言葉みたいだ。

 極めつけは「自分の罪は自分で背負っていく以外ない」だが、これも決して舛添知事のために書いたメモではない。これらの言葉はドラマで聞いたり、あるいは黙々と作業していた時に浮かんだものだ。中学・高校の頃は、日本文学は読まないと決めていたが、最近姜尚中さんの影響なのか、漱石を読まなくちゃーと思うようになった。恥ずかしいことだが、藤村の『破壊』も60歳過ぎてから読んだ。

 明治・大正の作家は教科書に載っているもので充分だと決めていた。「受験に出る」などと言われるとますます拒んでしまった。しかし今、日本人が求めてきたものとは何だろうと思うようになった。「生きながらえるのは苦行」。「我慢は愛情」。これもどこで使えそうな気がするがどうだろう。

コメント
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