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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

100号を越えた私的刊行紙

2014年07月23日 17時03分55秒 | Weblog

 「満州事変の時に生まれた」と言われたから、昭和6年の生まれということだろう。今年で83歳になる大和塾の先輩は、毎月のように私的な通信を送ってくれる。A4判で4ページのこの通信は、元々は同級生へ「オレは生きてるぞ」という手紙のようなものだったと思う。子どもの頃の思い出や友人らのこと、それに読んだ本の感想や話題になっている政治や社会問題に対する意見が加わり、立派な時事通信になっている。

 私たち戦後世代が知らない、戦争体験を書き綴るだけでなく、自らが体験した戦争そのものを証左している点には頭が下がる。何事に対しても「原因と結果」を明らかにしないと気がすまない理工系でありながら、俳句や和歌にも造詣が深い。私たち戦後の教育を受けた者とは土台が違うと感じるのは、古典をよく知っているばかりか、漢文・漢詩の知識が広い。それを尋ねると、「何となく出てくる」と言う。

 10代半までに教えられた知識は身体の隅々に溶け込んでいるのだろう。大学は工学部に進み、科学の先端で学んだが、戦前に受けた教育は血となり肉となっている。60年安保が全国的な運動になった時、年齢から察すると先輩は既に会社員になっていたはずだ。高校時代は社研に所属していたらしいから、組合で旗でも振っていたのだろうか。社会人となってからのことには余り触れていないのも、左翼的知識人タイプの典型なのかも知れない。

 私がブログを続けているのは、中学からの友だちとの約束だからだが、先輩が「1日に10人の人と話し、1000字書く」と言われたからでもある。毎日、同じことを繰り返すことは容易いようで忍耐が要る。ましてやブログとなると同じ文章では笑われる。ああでもない、こうでもない、人様が読めばバカらしいことを、これでも一生懸命に考えて綴っている。時々、「やめようか」と先輩も思ったようだが、私はしつこいのが取り得なので意地になって続けている。

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