友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

鍵は「真実の愛」

2014年07月11日 19時05分08秒 | Weblog

 心根の優しい人がいる。他人のために尽くすことが使命のように、よく働く人がいる。勤務がきつくなっても、頼まれたら断れない人がいる。人の倍も働いていても、誰にも評価されなくても、愚痴をこぼさず、悪口を言わず、笑顔を絶やさない人がいる。生まれながらこうした美徳を持った人がいる。「情けは人のためならず」という諺があるが、それはこの人のためであって欲しい。

 そんな話をしていたら、この諺を「情けは人のためにならないと思った」と言われ、仰天した。さらに、他人に恩を売れという功利的に解釈する人もいる。言葉も諺も時代によって変化することは仕方がないが、まるっきり意味が違ってしまうのも困る。美しい人は年齢を重ねても、輝きを失わないのは、美しさは外観だけに留まるものではないからだろう。

 「白雪姫」の話のように、西洋の物語には美しい人とそれを妬む悪い人がいる。美しい人は心も清らかで優しく思いやりが深い。けれどもなぜか、悪い人に呪われ魔法にかけられ、死を直前にする。この悲劇を救うのが白馬に乗った王子で、キスをするとたちまち魔法が解け、ふたりは幸せに暮らしましたで終る。こうした話はヨーロッパ各地にあるようだ。

 ヨーロッパの伝説の多くが、キリスト教以前の土着の物語であることを考えると、人の歴史は面白いと思う。日本も中国も韓国も、仏教が伝来される前にはそれぞれの土地に伝わる文化があった。それを異端のものとして完全に駆除してしまったかと言えばそうではなく、融合した文化に作り上げたり、あるいは昔話として伝承したりしている。

 宮沢賢治の未完の短編『学者アラムハンドラの見た着物』の中で、アラムハンドラ先生が子どもたちに「小鳥は鳴かずにいられないし、魚は泳がないでいられない。人はどういうことがしないでいられないか、考えてごらん」と言った。「歩いたり物を言ったりすること」「それよりもいいことをすること」「いや、いいことがなんであるかを考えないではいられないこと」と答えた。アラムハンドラ先生は「うん、そうだ。人はまことを求める。それが人の性質だ」と教えた。

 洋の東西を問わず、人が幸せになる鍵は「真実の愛」にあるようだ。そして「真実の愛」はどういうものかと求め続ける。けれど本当は、「情けは人のためならず」のような人こそが価値があるだろう。

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