松坂屋美術館で、『マルク・シャガール展』が14日まで開かれている。岐阜県美術館でも28日まで、別の『マルク・シャガール展』が開催されているから、この地方ではシャガールの人気は高い。シャガールが絵のうまい人かと言えば、何を持ってうまいと言うかであるが、私の観点からは否である。私はどうしても写実という点から観てしまうので、身体と手のつながりがおかしいとか、馬が馬の顔になっていないとか、そういうつまらないところに目がいってしまう。
けれどもシャガールの青色は好きだ。それに独特の構図にも感心させられる。私がシャガールから一番感動を受けたのは、よく知られている作品のほとんどが1950年以降に描かれていたことだ。60代半ばからあの奇妙なバランスの絵を大量に描いているのだ。シャガールは1944年、ユダヤ人への迫害から逃れるために渡ったアメリカで先妻を亡くしているが、それから8年後、同じユダヤ人女性と65歳の時に再婚している。そのことが彼の創作活動に大きく影響しているようにみえる。ちなみに再婚相手は娘の紹介というから面白い。
シャガールは1887年、現在のベラルーシのヴィテブスク郊外のユダヤ人居住区で生まれた。ヴィテブスクの風景はシャガールの絵の中によく出てくるが、板を張り合わせただけの粗末な家々が建ち並んでいる。シャガールはこの町で絵の勉強を続け、24歳の時にパリへ旅立ち4年ほど滞在している。この間に詩人アポリネールに出会い、かなり親密になっている。アポリネールは異端の詩人で、キュビズムの提唱者であり、シュールリアリズムの先駆者(?)と私は思っている。
パリで、そうした超個性的な芸術家たちに出会ったことはシャガールの絵に大きな刺激だったと思う。比較的初期の作品である「私と村」(1911年)や「バイオリンひき」(1912年)そして「ワイングラスを持った二人の肖像」(1917年)などは、筆遣いにキュビズムっぽいところがみられる。1915年に描かれた「誕生日」は、花束を持つ女性ベラにシャガールが飛び上がってキスをしているところを描いているが、シャガールの首は日本のろくろく首のように長く不自然だ。けれど、シャガールの絵という意味ではまさしくこうした作風のものを指す様になる。
ものの大小や遠近などにとらわれず、あるいはシュールリアリストの画家たちが場所や時空をごちゃ混ぜにしたように、シャガールはまるで子どものような天真爛漫さで作品を作り上げている。それが70歳過ぎの年寄りとなってからなのだから驚かされる。いや、むしろ、私たち高齢者もシャガールを見習うべきだろう。旺盛な探究心と想像力を発揮して、我武者羅に生きていっていいと思う。シャガールが著名な日本人から土産に墨と筆をもらった時、彼はそれを受け取ると自室に入ったままいつまでも出てこなかったそうだ。客人がいることも忘れて、その墨と筆で創作に夢中になってしまったという。笑って収めて欲しい話だ。