友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

続けることが大事なこと

2012年10月05日 19時02分46秒 | Weblog

 話していると、ふと、この人は私のブログを読んでいてくれていると分かる時がある。とても嬉しくなるし、ちょっと恥ずかしくなる。私は年賀状に自分のブログの名前とアドレスを書いている。年賀状は毎年減らしてきたが、それでも250枚くらいある。年賀状を受け取った人でもブログに興味の無い人はいるだろうし、パソコンを持っていない人や操作が出来ない人もいるだろう。年賀状の交換はしていないけれど、ブログには興味を持っていてくれる人も、数は少ないがいてくれる。

 それにしても、毎日700件ほどの閲覧があり、200人くらいの訪問者があるけれど、一体誰なんだろうと考えてしまう。しかし誰であろうと、読んでくれている人がいる。今日はネタがないから辞めようと軽々しく決められない。花粉症で鼻水が出て、クシャミが止まらなくて、目が痒くて、何もしたくないと思っていても、何か、ネタを探さなくてはと思う。特に今日のように、家から外に出ない日は、ネタ探しは困難で、新聞を見たり、書棚の本を拾い読みしたりしている。

 先ほどから、高校3年の孫娘が来て、彼女が我が家のテレビに貯めておいたドラマを見ている。青春ドラマはどうしてあんなに怒鳴り合うのかと思うほど、大きな声で、テレビのある居間から離れた部屋にいるのに、すぐ傍で見ているように聞こえてくる。悪ガキどもが、熱血教師に出会って本来の自分を見出していくというドラマだ。「クズ」と言われている不良の高校生たちが、罵り、破壊し、殴り合い、見ている方はスカッとするだろう。ふつなら出来そうにないことが出来るから、まるで見ている方も自分がやっている気分なれる。男たちが好きな、戦争映画やヤクザ映画と同じだ。

 アホ臭い。そんなに現実は甘くない。ドラマのようにうまくいくようなら、陰湿な社会は存在しないだろう。いやそうではなく、現実が陰湿だから、ああいう熱血漢に憧れるのだろう。馬鹿だな、人々は、自分はヒーローにはならず、かといって悪にもならず、傍観者であり続けている。世の中はそんなふうに成り立っているのだろうけれど、だからなかなか理想へとは向かわない。まあ、それでも、悪いことは悪いと言い続けることだと思う。テレビニュースで、オスプレイの沖縄配備に反対している住民が、「反対してもなぜ聞いてもらえないの」と言っていたが、本当にそう思う。

 原発でも、オスプレイの配備でも、圧倒的な民意が反対にありながら、政治は逆の方向へ進んでしまう。なぜ、そうなるのか、その仕組みを明らかにしないと民主主義はただの形式になってしまう。さて、孫娘のテレビ観賞が終わったようなので、私のブログも今日はここまでにしよう。

コメント (3)
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