友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

いじめ、差別、介護に共通するもの

2012年10月03日 18時48分13秒 | Weblog

 岐阜県可児市が『子どものいじめの防止条例』を制定した。2年前、同市で中学1年の女子生徒が、上級生に裸にされて写真を撮られる事件があり、市長はその時の選挙で、いじめ防止を公約に掲げた。滋賀県大津市でいじめ事件があり、全国でも初めての条例づくりを進めてきたのだ。可児市の市議には知り合いもいるから、どんなやり取りがあったのか、機会があれば聞いてみたい。

 今朝の中日新聞は、この『子どものいじめ防止条例』をかなりの紙面を使って取り上げていた。小学校の先生は「現場では、時間をかけてでも根気強く話し合い、いじめ解消を目指している」と言い、中学校の先生は「いじめた子の側に厳しい要請が出た場合、いじめられた側が報復を恐れることも考えられる」と言い、現場の難しさを語っていた。また、いじめを受けて自殺した子の親は「いじめは小さいうちに気付いて防げれば、皆がつらい思いをせずにすむ。本来は学校の中で解決できるのが一番だが、市全体で取り組む意思表示として大きな意味がある」と語っていた。

 ところがその記事の隣りに、『中3全裸にして撮影』の記事があった。滋賀県彦根市で、同級生の男子生徒に暴行を加え、カメラ付きケイタイで写真を撮って、皆が閲覧できるようにしたという。全くアホかと言いたい。私の小学校の時も、クラスのボスから「チンチンを見せろ」といったことがあった。中学3年生では大人になっているだろうから、ショックは大きいだろう。どうして人間は自分よりも弱い者をいじめたがるのだろう。広島では、11歳の女の子が母から殴られて亡くなっている。

 親になってみると分かることだが、親は子どもに対して絶対的な力を持っている。自分よりも力が強い者に自分のやり場のない気持ちをぶつけることが出来ないが、弱い者なら絶対的な権力を行使してしまう。10月1日の中日新聞の社説は、『介護労働』と『障碍者の差別』だった。そして今日の社説は『いじめ防止条例』であった。いじめ問題も障害者問題も介護問題も共通するところがあるように私は思う。それは弱者に対する暴力である。健常な人や元気な子どもは弱者が見えていないのだ。

 中日新聞の社説では「自分が他の人からやられて嫌なことは、やるな。これがいじめに立ち向かう基本的姿勢でしょう」と述べ、「差別をなくすには差別の実態を知らせ、知る努力が肝心だ」と言い、介護現場の離職が止まらないのはなぜかを掘り下げ、「今、必要なのは、介護業界の待遇と職場の改善だ」と主張している。子どもたちはふざけて遊んでいるつもりでも、それがとても苦痛になっている子がいることを知らなくてはならない。親は子どもに暴力を振るってはならない。ひょっとしたら、苦しい思いをしている人がいるかも知れないと、周りを見る余裕が欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする