あいち国際女性映画際で南アフリカの女性監督が作った『テンバ』を観た。テンバとは「希望と呼ばれた少年」の名前で、貧しいサッカー少年がプロプレイヤーとなっていくシンデレラ物語である。アフリカと言えば、ジャングルと見渡す限りの草原が続く光景だけれど、テンバが住む南アフリカはアフリカ大陸の南端にあり、でこぼこした大地の向こうに青い海が広がっている。農業には適さない土地のようで、野菜を育てている畑は家の周りにほんの少ししかない。テンバの父親は鉱山で働いているのだが、仕送りは途絶えてしまっている。母親は鉱山の労働組合の執行委員をしていると言う。
ある時、鉱山で働いていたという中年の男が宿を探していた。母親は父親の名前を告げ、消息を知ろうとする。中年男の言う、同じ部族の出身という言葉に母親は男を家に引き入れる。働かず、酒におぼれたどうしようもない中年男に、夫が出て行ってから長い年月を経てしまった母親はいつの間にか惹かれていく。子どもたちの目の前でいちゃつく二人に耐えられないテンバは苦しむ。なぜ、母はこの男が好きなのか、子どものテンバにはわからないだろう。
母親は茶摘み畑で働いていたが、白人の雇用主に解雇を言い渡される。たくさんの黒人が働くプランテーションで、唯一の収入源だった。母親はケープタウンに出働きに行く決意をする。家には、父親代わりを気取る飲んだくれの中年男が相変わらず働きもせずにいる。ところが母親からの大事な仕送りも、「父親代わりに面倒をみている」と言う中年男が取り分を持って行ってしまう。少年は大きくなり、サッカーの試合では活躍するのだが、家は相変わらず貧しい。少年の妹も女らしくなってきた。ある夜、中年男の手が妹の身体に伸びてきた。テンバは妹に「おじいちゃんの所へ逃げろ」と言い、中年男と争うが逆に押さえ込まれてしまう。
テンバは翌朝、オカマを掘られたことに気が付く。お尻から血が出ていた。「鉱山の男の子はみんなこんな目に遭うのだ」と中年男は言う。テンバは怒りから中年男を殺そうとするが出来ない。彼は妹を連れて母親のいるケープタウンに行く。母親は行方不明だったけれど、探し当てた場所は貧民街の中だった。母親はエイズに侵されて、死を待つような状態だった。彼は母親を病院へ連れて行き、薬の投与を乞う。そして自分は日雇い労働者となって母親と妹を養うのだが、ここから突然に、シンデレラ物語になっていく。プロサッカー選手を養成する組織のコーチに認めれ、サッカー選手として開花していく。これまでの家とは全く違う大きな家を買う。
こうしてテンバは幸福へと突き進むわけだけれど、えっ、それって幸せなの?と思ってしまう。エンバもそして彼の母親も飲んだくれの中年男にエイズを移された。母親は中年男と愛し合って、テンバはレイプされてエイズに冒された。形は違うけれどエイズであることに変わりはない。プロ選手になったテンバは言う。「エイズになったことを隠す必要はない。どのような経過であったとしてもそれは関係ない。恥じることはひとつもない。薬を飲もう。戦おう」と。そうか、この映画の主題はエイズの撲滅にあったのか。性病は享楽の副産物と思っていたけれど、そんな風に短絡的に捉えることは間違っていた。それを教えてくれる映画だった。
ある時、鉱山で働いていたという中年の男が宿を探していた。母親は父親の名前を告げ、消息を知ろうとする。中年男の言う、同じ部族の出身という言葉に母親は男を家に引き入れる。働かず、酒におぼれたどうしようもない中年男に、夫が出て行ってから長い年月を経てしまった母親はいつの間にか惹かれていく。子どもたちの目の前でいちゃつく二人に耐えられないテンバは苦しむ。なぜ、母はこの男が好きなのか、子どものテンバにはわからないだろう。
母親は茶摘み畑で働いていたが、白人の雇用主に解雇を言い渡される。たくさんの黒人が働くプランテーションで、唯一の収入源だった。母親はケープタウンに出働きに行く決意をする。家には、父親代わりを気取る飲んだくれの中年男が相変わらず働きもせずにいる。ところが母親からの大事な仕送りも、「父親代わりに面倒をみている」と言う中年男が取り分を持って行ってしまう。少年は大きくなり、サッカーの試合では活躍するのだが、家は相変わらず貧しい。少年の妹も女らしくなってきた。ある夜、中年男の手が妹の身体に伸びてきた。テンバは妹に「おじいちゃんの所へ逃げろ」と言い、中年男と争うが逆に押さえ込まれてしまう。
テンバは翌朝、オカマを掘られたことに気が付く。お尻から血が出ていた。「鉱山の男の子はみんなこんな目に遭うのだ」と中年男は言う。テンバは怒りから中年男を殺そうとするが出来ない。彼は妹を連れて母親のいるケープタウンに行く。母親は行方不明だったけれど、探し当てた場所は貧民街の中だった。母親はエイズに侵されて、死を待つような状態だった。彼は母親を病院へ連れて行き、薬の投与を乞う。そして自分は日雇い労働者となって母親と妹を養うのだが、ここから突然に、シンデレラ物語になっていく。プロサッカー選手を養成する組織のコーチに認めれ、サッカー選手として開花していく。これまでの家とは全く違う大きな家を買う。
こうしてテンバは幸福へと突き進むわけだけれど、えっ、それって幸せなの?と思ってしまう。エンバもそして彼の母親も飲んだくれの中年男にエイズを移された。母親は中年男と愛し合って、テンバはレイプされてエイズに冒された。形は違うけれどエイズであることに変わりはない。プロ選手になったテンバは言う。「エイズになったことを隠す必要はない。どのような経過であったとしてもそれは関係ない。恥じることはひとつもない。薬を飲もう。戦おう」と。そうか、この映画の主題はエイズの撲滅にあったのか。性病は享楽の副産物と思っていたけれど、そんな風に短絡的に捉えることは間違っていた。それを教えてくれる映画だった。