友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

経験量が必須なんて笑わせないで

2011年09月13日 21時34分28秒 | Weblog
 肉体の疲労が思考を停止させているのか、何も考えられない精神状態が肉体の疲労を訴えているのか、いずれにしても今日のブログのネタが見つからない。そう思っていたら、中学時代からの友だちのブログに私のことが書かれていた。彼は自分が養子であることに大変こだわっていた。我が家は他所から見れば普通の家庭だっただろうが、私にはバラバラの、もっと言えば対立した家族だった。私が家族は血でつながっているものではないと強く感じたのは彼の家庭を訪れた時だった。高校の友だちは何人かが養子だったけれど、どの家庭を見ても血のつながりなど問題ではなかった。

 確かに彼が言うように、私は20歳を過ぎてからの彼を知らない。私の結婚式の時はお祝いに来てくれたけれど、詳しく話したりもしていない。彼の結婚式の連絡ハガキは来なかった。一度、就職先の学校へ訪ねて来てくれたことがあったように思ったけれど、どんな話をしたのか覚えていない。再び親しく付き合いだしたのは、おそらく50歳を越えたクラス会からではないだろうか。私は担任から頼まれていたこともあって、そして何より出席するのは生徒であった自分の役目と思い、クラス会を欠席したことは一度もないつもりでいる。それから、一度だけだったけれど、彼を我が家に招待したことがあった。20歳前の彼と50歳過ぎた彼とに大きな差があるとは全く私は思わなかった。

 彼が言うように、私は20歳から50歳くらいまでの彼がどのように生きて来たのかは正確には知らない。その苦悩もわかっていない。わかっているのは、彼が振り返って話す彼の人生の軌跡からの推測でしかない。ましてや、恋の話など知る由もない。彼はブログで、「私は大学を中退し、初恋の人と別れてから、男と女の関係になったのはわずか2人だったが、それこそ何10人の女性と夜中まで酒を飲み歩いたし、中にはハシゴをして朝まで付き合ったりもしてきた。たまには振ったこともあったが、その何倍もフラれてきた。こうした惚れっぽい性格と女に対してのフットワークのよさ、さらに名にし負う妄想家でもある私だからこそ、(略)なんだこんだで恋愛に関する記事を200以上もUPすることができたように思う」と書く。

 続いて、「彼のように(私のことだけれど)女に対して一途過ぎるのは、たとえ短編でもラブストーリーを書くのには適さないのではないか、最近、そんなふうに思えるようになった。恋愛小説を書くには、相手の女性に対するクオリティーの高い思いも不可欠だが、いかに数多くのキャラクターの女性と付き合ったかという経験量も必須のような気がする」とまで述べている。私は読んでいて笑ってしまった。確かに私に小説を書くほどの素養はないけれど、オレの方が経験豊富なんだぞ、経験量は必須条件だとまで言われると、そうとは思うけれど本当にそうだと心の底から思えないのだ。

 「友だち以上恋人未満」の彼女との『恋愛』を小説に仕上げて欲しいとけしかけた甲斐があった。けれども単なる経過を記述するだけでなく、男と女のあるいは人間の本質へと迫って欲しいと願っている。
コメント
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