友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

1週間は長すぎないか?

2010年06月06日 18時05分07秒 | Weblog
 中学校のクラス会の締めを行なうため、参加者へ会計報告とお礼の文章を送ることになり、その文章をメールで送った。これでやっと役割を終えることができたと思っていたら、電話で「送られてきたものは平成19年のクラス会の礼状だけれど」と言う。クラス会の礼状と言うファイル名だけで中身を確認もせずに添付してしまったのだ。早速やり直したけれど、どうも最近は慎重さに欠けている。それでも今日はのんびりできた。

 2日から、茨城にいる次女夫婦が我が家に滞在していたけれど、毎晩、友だちとの飲み会がセットされていて、我が家では一度も食事をしていない。それを気にしてカミさんは、次女のダンナが昼から茨城に帰るので、「その前にお昼ご飯を食べようか」と言う。とは言っても、カミさんはゴルフの練習で昼飯の用意は出来ない。それならばと、「食事に来てくれ」と頼まれているイタ飯屋へ連れて行った。

 以前は寿司屋だった店を借り受けて、イタ飯屋にしているので、たくさんの人数で訪れた場合は座敷で食事を出している。普段はカウンターだけの小さな店だが、開店して1ヶ月となり客足がやや遠のいてきたことをマスターの母親は心配して、「食事に来て」と言ってきたのだ。カウンター以外は8人が座れるテーブル席が1つと、座敷に大きな和机が2つというちょっとイタ飯屋さんらしくない作りである。

 次女が「味はいいと思うけれど、黒コショウが置いてなかったり、タバスコの容器の栓がティッシュだったり、ちょっと配慮すればできることができていない」と手厳しい。野菜サラダが出てきた時も、ドレッシングが市販のものをそのまま持って来ていたが、「別の容器に移してあればよかったのにね」とも言う。ダンナも窓ガラスの汚れが気になった様子で、「きっといろいろ思いはあっても実際に手が回らないのかもね」と言う。

 独立するにはまだ早すぎたのかもしれない。器が統一されていないし、蚊取り容器が平気で客席の横にぶら下げてあったり、店を経営するまでに至っていない気がした。それでもやり始めてしまった以上は、どこまでもお客のことを考え、店作りをしなくてはならないだろう。お客が来ないからと心配するなら、どういう店作りがお客に好まれるかを考えるべきだろう。

 次女は今度の日曜日まで、こちらにいると言う。1週間もダンナひとりにさせて大丈夫なのかと心配になる。もちろん夫婦といえどもたまにはひとりの時間があった方がよいとは思うけれど、1週間は長すぎないか。それもまた、当事者でないものが口を出すことではないか。私の来週は月曜日と土曜日にはポンプの据付工事、木曜日は井戸掘りもある。夏場が近づくと水のことが気になるようで、井戸掘りの依頼が増える。どこまでみんなの身体が耐えられるかが勝負なのかもしれない。
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