友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

選挙に勝利ではおかしいよ

2010年06月09日 21時48分41秒 | Weblog
 菅直人新内閣が発足して、民主党の支持率は大きくアップした。民主党の狙い通りになったわけであるが、私が気になるのは、菅さんはじめ民主党の幹部の人たちが言う「何としても参議院選挙で勝たなくはならない」という言葉だ。「参議院選挙に勝利するぞ!」とシュプレヒコールを繰り返していたけれど、「それはそちら民主党の都合でしょう!」としか思えない。参議院で民主党が過半数を超すことができれば、法案を間違いなく通せるというけれど、それがなぜ「いい」のかは疑問だ。

 確かに、名古屋市議会で河村市長の提案をことごとく否決され、市長は「議会は王様か」と批判しているように、どんなによい政策でも議会で否決されたなら実行できない。議会で多数となれば逆に何でも可決できる。だから、河村市長は議会を解散し、市長を支持する議員で過半数を占めたいのだろう。民主党が安定政権を維持するためには、衆参両院で過半数を占めたいというのと同じだ。自分のあるいは自分たちの政策を実現するためには、議会で過半数取らなければならない。

 では議会は、可決してお墨付きを出すための機関なのか。結果的には、あるいはもっと言えば制度上はそういう機関である。議会がウンと言わなければ何事もできない。だから逆に議会がウンと言えば何でも成立させることができる。どんな悪法であっても、法は法である。最初に議会が生まれたイギリスでは王様の権限を押さえるものとして議会は機能していた。そして民主主義議会では、多数によって可決されたならば、これを是としてきた。

 私は地方議会の議員を何年か務めたけれど、どうも議会の役割は違うように思う。議会が立法の役割を担うとしても、それは中学校や高校のクラスのようなもので、本来の議会は議論の場ではないだろうか。中学や高校のクラスはたまたま一緒になっただけだけれど、議会は住民から選挙で選ばれた人々の集まりだから、もっと自分の住んでいる町や国について、どんな形にするのかを話し合うことができる。議会は何かを決める機関というよりも話し合っていくことで最終的には結論を多数決で決めているもののように思う。

 だから、本会議とか、所信表明の演説とか、代表質問とか、個人質問とか、議会運営とか、様々な議会のやり方や規則があるけれど、本当はまず議員みんなでいろいろと話し合う、そこに首長も加わって議論していく、それが議会という形なのではないだろうか。過半数を取ることが目的になってしまっている民主主義は、それを民主主義と読んではいけないのではないのか、そう私は思っている。

 民主党の皆さんは、自民党よりも地域や企業に縛られない、政治に対して真摯に考える人たちが多いと私は信じているので、ぜひとも議会で過半数を取ることばかりに専念せずに、どのような国をどのような世界を目指すのかを議論し、その政策を国民に示して支持を訴えて欲しいと思う。
どうだろうか、菅さん。
コメント
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