午前中に手押しポンプの据付けを終了した。何度もやっていれば要領を得て、手順もよくなる。当然、作業時間も短縮できそうなものだけれど、それがそうならないところが営利目的ではない素人集団の宿命である。1つひとつの作業について、それぞれに思い入れが強い。こうやれば簡単にいくことも、ああでもないこうでもないと茶々が入る。「船頭多くして船山に登る」の諺どおりである。任せておけばよいことでも、「そうしない方がいい」と言う。何のために何をしているのか、確かめもせずに口を出す。それで、ケンカにならないことが不思議なくらいだ。
先日、孫娘も交えて食事をしていた時、私が酔っ払って余分なことを言った。それが何であったのか、全く覚えていないけれど、よくある話であることは確かだ。たとえば、「それは白豚ちゃんのせいだ」とか「ママちゃんの本質なんだ」とか「勉強に意味があるわけではなく、なぜ勉強するかに意味がある」とか、自分では話を盛り上げるつもりで横槍を入れるのだけれど、皆さんからは「また余分なことを言う」と非難を受ける。「相手の言うことをしっかり聞きなさいって、いつも自分が言っていることでしょう」とやり込められてしまう。60代や70代のジジイばかりで馬鹿話をしている時の冗談が家では全く通用しない。
すると高1になった孫娘が「あのね、うまくいくためには何も言わないことだよ」と、私に教えてくれる。何も言わないことか!確かに何も言わなければ波風は立たない。16歳の女の子の智恵でもあるのかと感心した。何でも言える、何か欲しいものがあれば買ってあげる、孫娘が嫌な思いをしないように、要求に応えられるように務めてきた。それでも孫娘は何も欲しがらないので、物欲の無い子だと思っていたけれど、彼女は彼女なりに家庭の中で自分の位置を見極めていたのだ。「ああ、あんたは賢いね。そうして人間は大人になっていくんだね」と私は孫娘に言う。
けれども本当はもうひとつ言いたかった。「何も言わないことも大事なことかもしれないけれど、自分から何かを求めることも決して悪いことじゃないよ。求めることは甘えることでもあるけれど、信頼できる人にしか甘えられないでしょう。甘えることは相手を全面的に信頼している証であるし、もっと言えば、人は甘えたり甘えられたり、そういうことができる関係にあることが幸せというものだよ」。人に甘えることができない人は甘えても貰えない。人を信頼しなければ決して信頼もされない。
人間は実にか細い存在なのだと思う。自分ひとりで生きていける人でも、何もかも全てが自分だけでできるわけではない。人がいて、自分がいるから、そこに幸せも逆に不幸も存在する。私たちのグループは言われた場所で井戸掘りをするけれど、そこに水があるのかと言われれば、実は何の確信もない。水が出ることを祈って掘っているに過ぎない。でも私は、それでいいのだと思うようになった。
先日、孫娘も交えて食事をしていた時、私が酔っ払って余分なことを言った。それが何であったのか、全く覚えていないけれど、よくある話であることは確かだ。たとえば、「それは白豚ちゃんのせいだ」とか「ママちゃんの本質なんだ」とか「勉強に意味があるわけではなく、なぜ勉強するかに意味がある」とか、自分では話を盛り上げるつもりで横槍を入れるのだけれど、皆さんからは「また余分なことを言う」と非難を受ける。「相手の言うことをしっかり聞きなさいって、いつも自分が言っていることでしょう」とやり込められてしまう。60代や70代のジジイばかりで馬鹿話をしている時の冗談が家では全く通用しない。
すると高1になった孫娘が「あのね、うまくいくためには何も言わないことだよ」と、私に教えてくれる。何も言わないことか!確かに何も言わなければ波風は立たない。16歳の女の子の智恵でもあるのかと感心した。何でも言える、何か欲しいものがあれば買ってあげる、孫娘が嫌な思いをしないように、要求に応えられるように務めてきた。それでも孫娘は何も欲しがらないので、物欲の無い子だと思っていたけれど、彼女は彼女なりに家庭の中で自分の位置を見極めていたのだ。「ああ、あんたは賢いね。そうして人間は大人になっていくんだね」と私は孫娘に言う。
けれども本当はもうひとつ言いたかった。「何も言わないことも大事なことかもしれないけれど、自分から何かを求めることも決して悪いことじゃないよ。求めることは甘えることでもあるけれど、信頼できる人にしか甘えられないでしょう。甘えることは相手を全面的に信頼している証であるし、もっと言えば、人は甘えたり甘えられたり、そういうことができる関係にあることが幸せというものだよ」。人に甘えることができない人は甘えても貰えない。人を信頼しなければ決して信頼もされない。
人間は実にか細い存在なのだと思う。自分ひとりで生きていける人でも、何もかも全てが自分だけでできるわけではない。人がいて、自分がいるから、そこに幸せも逆に不幸も存在する。私たちのグループは言われた場所で井戸掘りをするけれど、そこに水があるのかと言われれば、実は何の確信もない。水が出ることを祈って掘っているに過ぎない。でも私は、それでいいのだと思うようになった。