友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「お友だちの話がありませんね」

2009年04月28日 22時17分29秒 | Weblog
 「この頃、先生のお友だちの話がありませんね」と卒業生が言う。12年以上も、友だち以上恋人未満の女友だちがいる私の中学・高校からの友だちのことだ。卒業生と言っても、私と年齢の差は余りない50代だ。私が中学・高校からの友だちの話を書くのは男と女のことを興味本位に煽るためではない。私は彼をよく知っているし、友だち以上恋人未満を続けていることに疑いの余地はない。

 それで彼が満足なのか?と言えば、きっとそこには葛藤が存在するだろうことも確かだ。けれども、自分が置かれた状況が見えずあるいは見ようともせずに、のめりこむ人もいれば、彼のように決して一線は踏み越えない強い意志の人もいる。踏み外して地獄を見るのか、留まって友だち以上恋人未満を続けるのか、それぞれの人の生き方の違いなのだろう。

 「ひょっとすると、お友だちと書いているけれど、先生自身のことではないですか?」と彼は言う。ズバリといいところを突いてくる。残念ながら私のことではない。私は彼のように冷静沈着でいられず、猪突猛進してしまう。それよりも私が感激したのは、そんな風に読み込んでくれる人がいるということだ。

 私はいつも自分の心に嘘をついて書かないと決めている。だから自分の中では真実を綴っているつもりだが、自分のことはそれでよいけれど、家族のことや友だちのこととなると書いていいこととまずいことがある。いくら具体的な名前が出ていないからといってもその辺の配慮はしているつもりだ。

 私の友だちの中にも彼とは全く違う遊び人もいる。何人もの女の人を泣かせてきた人もいる。真剣に恋をして泥沼に入り込んでいる人もいる。私が、中学・高校からの友だちの生き方に関心があるのは、大げさに言えば人間とは何か、男と女はなぜ愛し合うのか、求め合うのか、人が生きるということはどういうことなのか、人はひとりでは生きられないことは確かなのに、愛し合う形はどうして様々なのだろうという疑問からだ。

 私は見極めたいと思っている。自分自身が何者なのか。人類の普遍と個人の価値を。人間が作り出してきた社会には必ず法則があるように思うけれど、それはどうなっているのか、人間自身が作り上げたものとその対象である自然が生み出してきたものの、相乗的な何かがあるように思う。

 こんなことは私のような者が考えなくても、世の中には優れた学者や専門家がいるし、実はもう答えを出している人もいるのかも知れないが、肝心なのは私自身が自分で納得したいということなのだ。欲深いというか身の程知らずというか、それでもそれが私なのだと開き直って生きていくつもりだ。
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