友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

名古屋市長選挙

2009年04月20日 21時25分11秒 | Weblog
 今朝の新聞を見ると、1週間後に迫った名古屋市長選挙で、民主党が推す河村候補が「一歩リード」とあった。河村さんは、市民税を10%カットするとか、校区毎に市民会議を設け、予算を付けて自主的に使えるようにするとか、市議会議員の報酬や市職員の給与を見直すとか、私たち『無党派市民派・自治体議員と市民のネットワーク』で議論してきたことに近い政策を掲げている。

 けれども私は直接会って話したこともないし、実際に政策が書かれたマニフェストやチラシを見たこともなく、演説も聴いたことがないので、河村さんを全面的に応援する気持ちに至っていない。他の候補が当選するよりは名古屋市民のためにはよいのではないか、そんな気がするという程度でしかない。「河村は品がない」と言う人もいるが、テレビで見る限りでは私もそう思う。

 ただ、見かけだけでは判断できない。ましてや名古屋市長だからそれなりにふさわしい感じも大事な気もするし、いや今は行政のあり方に根本からメスを入れられる人こそ選ぶべきだとも思うし、立候補者を見比べれば、河村さんしかいない気もする。首長が、自民・公明・民主の相乗りで当選する構図は絶対に避けたいから、そうなると図々しさがにじみ出ている河村さんが一番ふさわしいかとも思う。

 テレビで見る限りだと河村さんは面白そうだ。「名古屋の庶民革命だでよ」とこの市長選挙を位置づけるけれど、それにしては革命像が見えない。徹底的に庶民の味方であることをアピールして欲しいし、何よりも革命と言うからにはオバマさんのように「We」でなくてはならないだろう。オレがやる姿勢は必要だろうけれど、「みんなと一緒にオレはやる」のでなければ、独裁者になってしまう。

 もうひとつ、私が河村さんを全面的に信頼できないのは、「『今のままでは日本にテポドンが撃ち込まれても白旗を掲げるしかない』として、憲法九条の交戦権を認めない規定を改正するように主張している」(4月19日付け中日新聞)点である。発想が短絡的過ぎる。テポドンが撃ち込まれるような事態にならないようにするのが政治の役割で、憲法九条はそのもっとも有効な指針である。やはり、頭が悪いのではないか、そんな気がしてならないから、諸手を揚げて河村さんを名古屋市長にと言えない。

 今のところ、河村さんが一番人気であるらしいけれど、まだ6日間残っているからどんな風が吹いてくるか、決して楽勝ではないように思う。名古屋市議の中には元名古屋市職員がいる。緑区選出のその民主党市議は、民主党が推薦している河村候補ではなく、自民・公明が後押しをしている細川候補の応援演説を行っている。河村候補が嫌いならば民主党を離党すればよいはずだが、その気はないようだ。

 この市議がなぜ河村さんではダメだというと、市民税の10%カットや市議報酬や職員給与の引き下げに反対だからである。そんなに市議や職員の方を見て政治をしていていいのかと思ってしまう。いや、そもそも市議や職員はどうあるべきなのだろうか、あるいは行政はどうなくてはならないのだろうか、そうした行政のあるべき姿に向けて、何をどう変えていくのか、真摯な議論をすべきだろう。

 さて、どんな結果になるのか。
コメント (1)
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