友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「毎日見てますよ」と言われて

2009年04月11日 20時59分15秒 | Weblog
 「毎日見てますよ」とか「いつも読ませてもらっています」とか言われると、うれしくなってお応えしなくちゃーと思う。思うけれども、コレというものがない時は何かないかと探し回ることがある。先日、我が家からは少し離れたコーヒーショップで偶然出会った人から「いつもブログ読ませてもらっています。今では、昨年の6月まで遡って読んでいます」と言われた。言われて気が付いた。長女の結婚式でお手伝いをしてくださった人だ。確か、長女の職場の後輩で、孫娘のピアノの発表会にも来てくださった。

 私の全く知らないところで、私のブログに興味を持っていてくれる人がいることに感激した。家族のことや出来事など、あるいは私の考えを思いつくままに書いている。だから嘘はないけれど、誇張や縮小があることは許していただきたい。次女が「えっ!本当のことじゃないの!騙されているわけ!」と吠えたことがあったが、本当のことしか書いていないけれど、何もかも全部さらけ出しているわけではない。私自身のことならそれでもよいが、私以外の人のことにはさすがの私も気を遣って書いている。

 けれども、このブログは基本的に自分が知っている人々への手紙のつもりなので、私が思ったこと考えたこと体験したこと望んでいることを正直に書き記している。私が毎日欠かさず読んでいるブログもいくつかある。中学・高校からの友だちのブログはそのひとつだ。彼のブログに今頃では時々しか載っていない、彼の12年以上も付き合っている女性との話は特に興味深い。中学からよく知っている男であり、彼によって文学へ誘われたとも言える。彼が付き合っている女性との関係は「友だち以上恋人未満」であることに間違いはないけれど、なぜそうなのか、そしてそれでよいと決め付けているものは何か、つまり人間は、少なくとも男はどういう存在何か見極めたいと私は思っている。

 彼に、「あなたは女友だちとのことを小説に書けないだろうけれど、私は男と女の究極の存在について書いてみたいと思っている。一緒にやらないか」と提案したけれど、未だに返事は来ない。おそらく余計なお世話というわけだ。今朝の朝日新聞『be on Saturday』に上野千鶴子さんが「エロスを封じるには人生長すぎる。(略)迷うのも楽しみのうち。自分の器に見合った選択をすること」と述べていた。恋多き(?)賢き女性は見る目が違うなと思った。

 政治のことも社会のことも男女のことも、私には皆同じことだ。人間とは何だろうという関心である。そんなわけで、これからもこの辺りのことを書き綴っていくつもりでいる。
コメント
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