久しぶりに雨だ。夕方だったけれど、五条川の堤を車で通ったが、もうすっかり葉桜に変わっていた。花を包んでいたガクが雨に打たれて地面に落ちて、まるで赤い花が咲いているように見えた。その横を大きな鞄を背負った女子中学生が重い足取りで歩いていく。スカートの丈が長いからおそらく新1年生だろう。
スカートの丈が学年を表しているのも面白い。高校生は極端なくらいミニだけれど、それも学年が上になるほど短いと見ていい。ミニスカートは彼女たちが意識しているかいないかは別にして、男の目を釘付けにするから、「性」を売りにしていると言えるだろう。大根足ではミニは似合わないと言う人もいるけれど、そう言う男も彼女たちの足に目をやっている。ロングスカートよりもアピール度はやはり高いのだ。
まあ、そんなことはどうでもいいか。「そういうことを書くからエッチと言われるんだよ」とまた孫娘に叱られそうだ。思いの違いから人間は逃れられないと私は思っている。私は、後2日で65歳になる。誕生日を祝ってもらって嬉しいかと問われれば、別に嬉しいわけではないが、けれども自分がこの世に生まれ出たことには感謝している。生まれてこなかったなら、私のドラマはなかったし、この世の喜びもなかったのだから。
誕生を祝うのは、「あなたに出会えて本当によかった」と言うためだ。友だちは毎年、好きな彼女の誕生日にメールを送っている。ところが誕生日と彼女の母親の葬儀とが重なってしまった。お祝いの言葉を送りたい気持ちは強いのに、彼女の状況を考えれば、「おめでとう」などと言うのは不謹慎に思える。ここは常識として控えておくべきだろうと判断した。ところが彼女は「どうしてメールをくれなかったの?」とご機嫌が悪い。
まさか、葬儀の席にいる人なのに、それを承知でお祝いのメールは送れない。友だちはビックリしてそう弁明した。その時、彼の中で何通りの思いが交差していた。常識のある人間ならメールは送らないだろう。それを分かって非難しているなら、可愛い。もし、分からずに言うなら非常識で身勝手な女だ。いや違う。彼女はもっと単純にいつものように誕生日にメールを送って欲しかった。愛している者の証だと思っているのだ。「冷たい人」と言うのは、常識などにとらわれていないでという表現なのだ。
相手のことを思いやっての行為が、逆に相手から愛情のない行為と思われてしまうことは、日常生活の中ではよくあることだ。若い時はよりたくさんのものを欲しがるから、そんなすれ違いがケンカになるけれど、年老いてくると多く求めるとケンカになるとわかるから、次第に目を瞑るようになる。また若い時なら、こんなことですれ違いたくないと思うから、そう思った方が矛を収めて謝るだろう。年老いた者たちは、目くじらを立てる前に止めてしまう。
求めなければ情愛にならないし、求めすぎれば憎悪になってしまう。人間は難しいね。
スカートの丈が学年を表しているのも面白い。高校生は極端なくらいミニだけれど、それも学年が上になるほど短いと見ていい。ミニスカートは彼女たちが意識しているかいないかは別にして、男の目を釘付けにするから、「性」を売りにしていると言えるだろう。大根足ではミニは似合わないと言う人もいるけれど、そう言う男も彼女たちの足に目をやっている。ロングスカートよりもアピール度はやはり高いのだ。
まあ、そんなことはどうでもいいか。「そういうことを書くからエッチと言われるんだよ」とまた孫娘に叱られそうだ。思いの違いから人間は逃れられないと私は思っている。私は、後2日で65歳になる。誕生日を祝ってもらって嬉しいかと問われれば、別に嬉しいわけではないが、けれども自分がこの世に生まれ出たことには感謝している。生まれてこなかったなら、私のドラマはなかったし、この世の喜びもなかったのだから。
誕生を祝うのは、「あなたに出会えて本当によかった」と言うためだ。友だちは毎年、好きな彼女の誕生日にメールを送っている。ところが誕生日と彼女の母親の葬儀とが重なってしまった。お祝いの言葉を送りたい気持ちは強いのに、彼女の状況を考えれば、「おめでとう」などと言うのは不謹慎に思える。ここは常識として控えておくべきだろうと判断した。ところが彼女は「どうしてメールをくれなかったの?」とご機嫌が悪い。
まさか、葬儀の席にいる人なのに、それを承知でお祝いのメールは送れない。友だちはビックリしてそう弁明した。その時、彼の中で何通りの思いが交差していた。常識のある人間ならメールは送らないだろう。それを分かって非難しているなら、可愛い。もし、分からずに言うなら非常識で身勝手な女だ。いや違う。彼女はもっと単純にいつものように誕生日にメールを送って欲しかった。愛している者の証だと思っているのだ。「冷たい人」と言うのは、常識などにとらわれていないでという表現なのだ。
相手のことを思いやっての行為が、逆に相手から愛情のない行為と思われてしまうことは、日常生活の中ではよくあることだ。若い時はよりたくさんのものを欲しがるから、そんなすれ違いがケンカになるけれど、年老いてくると多く求めるとケンカになるとわかるから、次第に目を瞑るようになる。また若い時なら、こんなことですれ違いたくないと思うから、そう思った方が矛を収めて謝るだろう。年老いた者たちは、目くじらを立てる前に止めてしまう。
求めなければ情愛にならないし、求めすぎれば憎悪になってしまう。人間は難しいね。