友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ミサイルと桜と入学式

2009年04月06日 21時36分50秒 | Weblog
 北朝鮮のミサイル発射は何だったのか。北米航空宇宙防衛司令部は「北朝鮮が主張するロケットによる人工衛星の打ち上げは失敗だった」との見方を明らかにした。日本政府は、海上自衛隊の海上配備型遊撃ミサイル「SM3」搭載のイージス護衛艦2隻を日本海に、航空自衛隊を秋田・岩手両県や首都圏に地対空遊撃ミサイル「PAC3」を配備し、即時発射できる態勢をとっていた。

 前日に2回の「誤報」事件に振り回された地方行政の担当者は、何事もなく終わってヤレヤレといった様子だった。発射情報から緊急体制に移るまでがかなり短時間だったことからほっと胸をなでおろした人もいたことだろう。おそらく一番安堵したのは北朝鮮のミサイル発射を担当した部署ではないだろうか。人工衛星を軌道に乗せたかどうかよりも、北朝鮮が予告した水域にミサイルが正確に着水したことでその技術力の高さを世界に示した。技術力は即軍事力であるのだから。

 それにしてもどうしてこんなに人間は愚かなのだろう。ミサイル技術を競い合っても、それは死亡させる確立を高めるだけではないか。そんなにも他国を支配下にしたい、他国を引き摺り下ろしたい、それが政治と信じているのなら、政治家は昔のように1対1で堂々と素手で戦ったらどうだ。戦争をしてまでも他国を支配したいと思うような人は実際にはごく少数であろう。みんな、今日が幸せに暮らせるならそれでいいと思っているのだから。

 「国の安全を守るのが政治の役割である」と、誰かが言っていた。そのことを否定する気はないけれど、お互い様であることを忘れて、自国の安全だけを追求してはならないだろう。「降りかかる炎は払わなくてはならない。それが政治の仕事だ」と言う人もいる。そんな現実処理だけが政治の仕事なら、余りにも智恵がない。政治は炎を上げさせない、炎が無用となる社会にしていくことだろう。「それは理想論だ」と言う人がいる。理想に近づけることが政治の仕事だと私は思う。

 北朝鮮は近いうちに国家の解体という事態に直面するだろう。一枚岩と言われていた共産圏は崩壊し、残っている「共産主義的な国家」も大きく様変わりしている。「資本主義では経済恐慌を救えない」として、「新しい資本主義へ」のプラカードを掲げてデモをしている人々がロンドンにいた。「世界は大きく変わろうとしているし、若い人が変えていかないとだめだね」と、先日会った81歳の叔父がそう言っていた。

 今日は小学校の入学式で、可愛い新入生が両親に手を引かれて登校していた。校庭の桜は満開になった。この子たちが大きくなる頃は、ミサイル発射などという事件のない社会であって欲しいと思う。軍事力競争から脱却し、全ての国が軍隊を持たない社会へ向かって欲しい。憲法で戦争放棄を定めている日本こそがその先頭に立つ資格がある。軍隊を持たないことが誇りとなる時代へ向かうように努力しなくてはならないと思う。

 桜咲き入学式は春爛漫 穏やかな日々続けと祈る
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