みのハイキングクラブ

友と山に登り、自然に親しみ、心身を健やかに、親睦を深めます。

第17回おれんじの会洲原神社御鎮座1300年

2021-12-11 | 散策

おれんじの会報告

2021年12月5日(日)   天候 晴れ   参加者 18名

 

CL 古谷さん

感想・雑記
 白山へ登る美濃禅定道の前宮となる洲原神社で、御鎮座1300年記念の垢離取祭(こりとりさい)を先ず見学した。これは、白山が雪に閉ざされ、総本宮(山頂)への参拝ができない冬の時期に、白山大神(しらやまのおおかみ)を迎える「神迎え神事」で、洲原神社の斎主が神職として、神社の前にある長良川で祝詞(のりと)を唱えた後川に入り、水面、水中、水底と、3回体を沈めて身を清める垢離の行を、朝6時から2時間 毎に7回実施。そのあと神迎えの神事が行われ、白山大神を迎え入れます。これにより、春に行う「神送り神事までは洲原神社に白山大神が鎮座している」ため、参拝すれば総本宮での参拝と同じ御利益がえられる、とされています。
 続いて長滝白山神社・白山中宮長瀧寺に向かう。ここは日本各地に分布する約三千社 ほどの白山神社の中心的な神社の一つで、白山信仰との関わりが深い。白山信仰の美濃側の中心。祭神は白山比咩(ひめ)神・白山権現、他。白山三馬場の一つ。馬場とは禅定道(登山道)の起点のことで、三馬場とは ①美濃国の長滝白山神社 ②加賀国の白山比咩(ひめ)神社 ③越前国の平泉寺白山神社。参拝の後はすぐ近くの白山文化博物館もゆったりと見学する。ここでは白山信仰に関わる様々な資料が展示されていて、大映像による登拝の魅力を見ることもできました。すぐ前にある道の駅では、一息入れて昼食を済ませた後、雪のかぶる油坂峠を越えて石徹白の白山中居神社へ向かう。
 江戸時代、越前国大野郡石徹白村が、白山信仰によって白山へ向かう巡礼者の手助けを行い、村人は白山神社の社人・社家となり、無税、帯刀御免の身分とされていた。その後石徹白騒動が発生、同時期発生の郡上一揆とともに幕府評定所の判決により大規模な処分が行われる。石徹白村は昭和33年に越県編入して岐阜県郡上郡白鳥町(その後更に郡上市に)石徹白になった。《白山山頂の奥宮が本宮、長滝白山神社が中宮、洲原 神社が前宮(さきみや)》。中居神社に参拝した後、その裏手にある原生林と浄安杉を、ネットで調べて行きたかった水野さんの希望と提案があって、当初計画に入れてあったが、残念ながら水野さんはその念願が果たせなかった。そこで、最初神社直ぐ裏手の、落ち葉と雪の悪路を上り始めてみたが、とても登高が困難なため断念し、神社に向かって少し左手の山を300m登ったところにある浄安杉に全員が到着した。そしてその巨大さには声も出せないほどだった。屋久島の縄文杉も脱帽するのでは・・というほどの 迫力であった。根元の幹周囲13.6m、標高32m、樹齢1.000余年の推定で、岐阜県の天然記念物に指定されている。そこを下ってから水野さんに(半分しか果たせなかったよ)との思いも込めて、みんなで水野さんに黙祷をしました。行程の最後は石徹白大師堂でした。白山中居神社の仏像群が、明治維新の神仏分離令でここに移され祀られています。奥州藤原秀衡(ひでひら)寄進の銅像虚空蔵菩薩像(国重文)や霊峰白山の開祖・泰澄(たいちょう)像など白山信仰ゆかりの仏像が祀られています。
 私たちのみのハイクは、登山を単に運動するスポーツとしてだけでなく、登山文化としても捉えているだけに、今回の白山文化を巡る内容豊富な旅には心が満たされる幸せを感じることが出来ました。また、コロナ禍のまださなかではありながら、協力と慎重さで成功させることができたこと、そして好天にも恵まれたことと合わせ、感謝感謝です。リーダーさんを始め参加者のみなさま、本当にありがとうございました。
                         (記録担当 澤田Zさんの報告より)

コースタイム
 関7:00=洲原神社7:30~8:30=長滝白山神社・白山文化博物館9:45~含む道の駅(白山文化の里長滝)昼食~12:00=白山中居神社・浄安杉・大師堂12:  30~14:25=白鳥IC(東海北陸自動車道)=関16:00着

 

   
                             (写真提供 古谷さん)

 

                         (地図提供 古谷さん) 

 


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