クラブ報告
2018年1月7日(日) 天候 晴れ 参加者 46名(男19名・女27名)
CL 鷲見Mさん
今年の新年登山の祐向山・大平山は、本巣市の道の駅『織部の里もとす』の東に位置する小高い山並みであり、歴史は古く鎌倉時代には中世の山城があったようです。地元では西の城(山口城)、中の城(祐向山城)、東の城(文殊城)があったとされ、山口城、法林寺城、祐向山城、掛洞城などでは、曲輪、堀切の遺構が残っていて、山全体で連郭式の山城となっていたようです。主な城主は、藤崎氏・永井氏・斎藤氏であり、最後の城主は斎藤道三の孫の斎藤龍興であり、稲葉山城を一時退去しこの祐向山城へ、そして揖斐城へ移ったとされています。1568年(永禄10年)織田信長の侵攻によって廃城になった歴史あふれる山並みでもあります。
7:00関市役所から43名が9台の車で出発、文殊の森ふれあい館に7:50到着、現地集合3名を含めて合計46名と多くの参加者となりました。本巣市の天気予報は晴れのち曇りで気温は6時で2℃となっていましたが、道路標識の温度計は-2℃と冷え込んでいました。
CLの挨拶とストレッチをした後、A班とB班の2班に分かれて8:20出発。寒いが風はほとんど無し。登山道登り口までは平地のため足取り軽く、班の人数が22~24名と多いため長蛇となりました。右手に池田山とその奥に奥伊吹・小津権現・花房とみられる白い雪を被った山々の頂上付近が顔を出し、また、冬の閑散として広々とした柿畑の道路を歩いていると、所どころの柿木に赤い柿の実を残しているところがあり、その赤色がとても冬の風景に溶け込み印象的でした。
大平山への登山道が荒れているため、今回は迂回して徳川幕府旗本の戸田氏菩提寺からの登山道で登りました。立派な彫刻の古い山門をくぐり、左手側からお墓の間の道を通り抜けて大平山へと登ると、途中で、太平洋戦争中の敵機(B29)の監視哨跡(コンクリート礎石)がありました。
まずは、大平山山頂(212.5m)へ登頂、途中で5名の方が豚汁の準備のため峰下の鉄塔より下山、残りの41名は約100m登って掛洞城跡(309m)へ、そして最高峰の祐向山(祐向山城跡)(374.3m)、望郷の展望台(法林寺城跡)(341m)と峰に沿って歩きました。各山城跡には曲輪、堀切などの多数の遺構が見られました。
祐向山・太平山からの展望はほとんど無く、望郷の展望台の付近から、白い御岳・高賀山・天王山・誕生山がみられました。望郷の展望台よりふれあい館に向け下山。文殊峠、出発点のふれあい館に12:40に下山しました。
文殊の森ふれあい館に戻り、円形のキャンプファイヤー広場に座って全員で暖かいなめこ入り豚汁、果物、コーヒーをいただきました。食事後、記念撮影、13:45にCL挨拶し解散。
今回の祐向山・太平山は林が多いため展望の良い場所が少なく、また、冬のため草花、山菜、きのこもほとんどないため、遺跡巡りがメインの山行になってしまいました。今回のような遺跡巡りの山行も面白いものです。なぜ、この場所に監視哨を作ったのか、また、祐向山城は山岳山城としては防衛的に弱いのではないか、揖斐城はどうかなど、自分の頭の中で想像してみるのも面白いものです。
途中で下山し豚汁等の準備をされた皆様の大変なこころ遣いに感謝します。ありがとうございました。また諸役の皆様ご苦労様でした。
(記録担当 古谷さんの報告より)
コースタイム
関7:00==文殊の森ふれあい館7:50~8:20・・・戸田氏菩提寺9:00・・・しゅんらん広場9:20・・・監視哨跡9:30・・・大平山9:45・・・210mピーク手前5名下山・・・掛洞城跡11:15・・・祐向山11:30・・・ふれあい館分岐12:05・・・文殊峠12:20・・・文殊の森ふれあい館12:40~13:45(昼食65分)==関 15:00頃
(写真提供 水野Oさん)
(地図提供 須田Kさん)