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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ステキな革のトートバッグのプレゼント。今年の秋のミモロのファッションは、チェックがポイント

2013-11-10 | ファッション

日に日に、秋が深まる京都・・・ミモロの住む京都岡崎エリアの紅葉も進んでいます。

週末は、近所の南禅寺、永観堂、真如堂、金戒光明寺など、紅葉の名所は、すでに多くの観光客が訪れて、いつもより賑やかに…。

そんな秋のある日、ミモロは、お友達からお電話を頂きました。
「ミモロちゃん、できたよー!気に入ってくれるといいんだけど…」と。実は、そのお友達は、革の小物づくりがお得意。そこで、以前、会った時に・・・
「あのねー。ミモロ、お買い物やお勉強に行くときのバッグ欲しいなぁ…」と、さりげなくリクエストしていたのです。「じゃ、ミモロちゃんのために、ちょっと作ってみるねー」と言ってくれて、そのバッグが完成した連絡です。

「キャーできたんだって・・・どんなのかなぁーワクワク」と、胸踊らせて、待ち合わせの場所へ。

「はい、どうぞ…」ピンクの紙袋を渡されました。

「ありがとう…」どんなのかぁーとさっそく袋を覗きます。
「わースゴイ・・」

ミモロ、ひとりで見てないで、見せてー!

袋の中には、小さな革製のトートバッグが…「わー本格的なバッグだよー」と、そのバッグに見惚れています。


このバッグは、お友達が持っているバッグの縮小版。型紙も、大きなバッグのものを、縦横4分の1に正確に縮小。つまり、バッグの面は、16分の1のサイズに。横のマチの部分も縮小されていますから、容積からすると、なんと64分の1の大きさになります。

バッグの縁を内側に曲げるために、革の縁の部分を薄く加工したり、また、ミモロの腕に合うように、細い持ち手を作り、それをバッグに縫い付ける部分など、本当に細かい作業です。

「持ち手の部分を作るのは、大変だったんだよー。何しろ、ミモロちゃんが小さいから…」と。お友達は、がっしりとした体格で、指だって、細くありません。「自分のバッグ作るより、大変だった…」とおっしゃるのが、よくわかります。

ステッチは、サドルステッチでしっかりと。まさに本格的な革のトートバッグです。

「ほら、ピッタリ…ありがとう…」「ミモロのために、こんなステキなバッグ作ってくれて…」と、感激で目がうるんでいます。

バッグを持って、歩き回るミモロ。うれしくてジッとしていられない様子です。


「あのーこれ…」と、大好きなマドレーヌをお友達にプレゼント。


「バッグに何かいれたいなー」と、プレゼントしたマドレーヌを一個入れてもらいました。
結局、自分が食べちゃうの?

お友達にお礼の心でプレゼントしたマドレーヌを、ちゃっかり自分も食べながら、バッグづくりのお話などに花が咲きます。
「この革は、使うほどに味わいがでるんですよー」と。「うん、ずっと大事に使うねー」と、大切そうに抱えます。

マドレーヌを食べ終わって、「じゃ、これから、紅葉を見に行って来まーす」と。


お気に入りの赤いベレー帽とリュック、そして新しいトートバッグで、秋のお出掛けファッションもバッチリ!

リュックとベレー帽は、手づくり市に出品されているクラフト作家さんの作品。

京都に暮らしているから、こんな素敵なものを作ってもらえるのだと…。
ものづくりをする人の数は、きっととても多いのです。それは、手づくり市をはじめ、さまざまなイベントで、作品を発表できる機会の多さも、クラフト作家さんを育てる環境に。

「京都に来て、すごくいろんなものが増えちゃったーうれしい…」ミモロの宝箱には、次々にお気に入りのものが増えています。

もちろん、お洋服も増え、すでに30着を越えています。お気づきかと思いますが、最近ミモロは、赤いチェックのスカートをはいています。秋になり、いつものコットン素材からウール素材の洋服に。
このスカートは、この秋のミモロのお気に入りのスタイルです。

ほかに、もう一着こちらは、少し大人の雰囲気?
黄色がポイントカラーのウールのスカート。ミモロのスカートを作ったハギレ(こちらの方が分量は多い)で、マフラーを作りました。

京都の紅葉の名所では、ライトアップも始まり、夜の紅葉見物も楽しみに…。
でも、夜は、かなり冷えるので、くれぐれも温かい服装で…。


また、紅葉の情報をリポートします。お楽しみに…。


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江戸時代創業の数珠の老舗「中野伊助」。大切な数珠の選び方を伺いました。

2013-11-09 | 老舗

京都の四条通にある「藤井大丸」の東側を通る寺町通を進み、高辻通を少し過ぎたところに、古い構えのお店があります。
  
大きな木の看板には「中野伊助」と。「なんのお店だろ?」とミモロは、中を覗きこみます。
ここは、数珠の専門店。ミモロは、さっそく中へ。
  
お店の壁一面に、いろいろな種類の数珠が下がり、また、長年使い込んだ戸棚の中にも、さまざまな美しい数珠が並んでいます。
 

「こんにちはーちょっと数珠のこと教えてください…」お店の方に声を…

「いらっしゃいませー」笑顔で迎えてくださったのは、10代目のご店主の中野恵介さん。

ここ「中野伊助」は、明和元年(1764)の創業。10代将軍徳川家治の時代です。「東京オリンピックの200年前だー」とミモロ。寺町通は、その名の通り、お寺が多く、そのため仏壇や仏具を扱う店も集まっています。

「数珠は、もともと寺院で作られていたもの。数珠屋として成立したのは、江戸中期。この店が創業したころです。また、一般の人が、数珠を持つようになったのは、実は、江戸末期。それまで数珠は、僧侶だけがもっていたんです」と、中野さん。

ここで、数珠について、基本的な質問を…。
「あのー御数珠って、どうやって選んだらいいんですか?」とミモロ。

・数珠は、その人の家の宗派によって選ぶのが基本です
宗派によって、数珠のスタイルに違いがあります。天台宗は、そろばんの玉のような形の玉を繋げます。浄土宗は、2つの輪からできたもの。日蓮宗は、房が5つ付いています。
真言宗の数珠浄土宗の数珠
「ホント…違うんだー数珠ってみんな同じだと思ってたー」とミモロ。

数珠の玉の数は、108つが基本。煩悩の数と一緒です。数珠玉をくりながら、お念仏を唱えるのだそう。ほかに、27というものも、あくまで108に係わる数が基本だとか。

「えーミモロのお家の宗派って、よくわからないー」と、頭を抱えます。最近は、宗派にこだわらずお墓をもつ人も増えています。

その場合は、宗派を問わず使える略式のもので。
 

 
「ところで素材は、どういうものを選べばいいんですか?」
・数珠の素材の種類は、お好みで…。
お店には、さまざま素材が揃い、お客様の要望に対応しています。
 「昔から、菩提樹、黒檀などの木の素材や、鉱物なら、水晶、瑪瑙、翡翠、また、珊瑚や真珠も女性に人気です。最近は、パワーストーンの影響もあって、ローズクオーツやカルセドニーなど、種類も増えています」と。宗派によって使わないほうがいいものもあるので、数珠のお店で詳しく聞くことをおすすめ。

「京都のお土産に買って、他の人にプレゼントしてもいいんですか?」
・人生の節目に、贈り物や購入にするのは、おすすめです。
昔は、嫁入り道具のひとつとして、嫁ぎ先の宗派の数珠を必ず娘に持たせたそう。また成人式などにプレゼントするのもいいそう。

「1本の数珠を家族で使ってもいいですか?」
・数珠には、男女の別があります。また数珠は、他人との共有はできません。
男性の数珠は、大振り。女性のものは、小降りの玉で作るのが一般的。「ユニセックスのお数珠ってないんだー」
ひとりひとりの念が入るので、家族といえども共有はできないそう。一家に1本ではなく、ひとりに1本です。

「オーダーで自分が気に入った素材で作って頂くのがいいねー。憧れちゃう…」とミモロ。

京都のものづくりは、分業制。ここでは、専門の数珠玉職人さんから届いた玉をひとつひとつ繋ぎ、房を付ける仕上げの部分が行われます。
    

「こうやって、最後は組紐みたいに止めるんですよ」
 
ミモロは、興味津々でじっと作業を見つめます。

ここで、ご店主の中野さんは、ご用事があるのでお出かけに…。ミモロは、まだ見たりないのか、お店の中を歩き回っています。
「なにか探しているの?」と声をかけてくださったのは、中野さんのお母様。先代の奥様です。
「あのねーミモロに合うお数珠ないかなぁー」と。「それなら、これはいかがですか?」 ミモロに渡してくださったのは、小さな赤いお数珠。プラスチック製で、仏教関係の幼稚園の子供たちがもつ「稚児数珠」という子供用のもの。「わーカワイイ…」ミモロにピッタリ。女の子は、赤で、男の子のは青だそう。
「じゃ、これは今日、来てくれたお礼にプレゼントします」「えーホント!嬉しい、ありがとうございます」と、遠慮なく頂きます。ミモロは、自分の数珠を持って大喜び!「今度、お寺に行くとき、持って行こう…」と。京都では、仏事に数珠は、参列者の必須アイテム。きちんとした数珠を持つのは、大人のたしなみです。ミモロも自分の数珠もらい、京都のネコ度はがぜんアップ。

お店には、数珠のほかに、御守のように使うブレスレットタイプのものも種類豊富。
 
さらに、オリジナルの「百八念珠飴」や「元気になるバッグ」なども。
 

このお店では、数珠の糸の付け替えや房の新調など、リフォームもしてもらえます。

一生使える自分だけの数珠を選びに、ぜひ、京都に来たら、ここへ。値段も数千円のものから、うん十万円などさまざま。ミモロのように自分に合った数珠を選ぶことがポイントです。

*「中野伊助」京都市下京区寺町高辻下ル京極町505 075-351-0155 9:00~18:00 日曜・祝日、第2土曜休み 四条河原町から徒歩8分

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泉涌寺の近く「即成院」。極楽浄土へ導く阿弥陀如来と二十五菩薩。おみくじと紙石鹸のガチャガチャも

2013-11-08 | 寺社仏閣

紅葉の名所「泉涌寺」の門前近くにある「即成院」は、真言宗泉涌寺派のお寺。
 
その歴史は、古く平安時代に恵心僧都が、伏見に建立した光明院がルーツと言われます。この光明院を建立したのは、橘俊綱で、関白藤原頼通の息子さん。父、関白が、宇治に平等院を建立したのに、憧れたのか、寛治元年(1087)伏見桃山に広大な山荘を作って、そこに阿弥陀堂を建てたのが、光明院のはじまりだそう。

本堂には、りっぱな阿弥陀如来さまと、二十五菩薩が、極楽浄土へと導くために鎮座しておられます。

国の重要文化財である仏様たちは、恵心僧都作とも、平安時代の仏師、定朝とその弟子たちの作とも言われているそう。ということが、お寺のパンフレットに…。
「えー定朝って、平等院の阿弥陀如来も作った人でしょ?平等院の阿弥陀堂ができたのは、天喜元年(1053)だから、随分長生きだったんだねー」と、ミモロ。阿弥陀如来のお姿は、平等院のものと、とてもよく似ていらっしゃいます。でもこのお寺のはじまりの年には、すでに没しているはず…。まぁ、誰が作ったかはともかく、とても美しい阿弥陀如来であり、優秀な仏師の作であることは、一目瞭然です。

昔は、金色に輝き、まばゆいお姿だったそう。隣りに並ぶ二十五菩薩は、それぞれ手に、笛などの楽器を持ち、表情豊かな坐像です。
「どんな音楽演奏するんだろ?」と想像します。さぞや妙なる調べでしょう。

本堂では、とても近くで、阿弥陀様たちを拝むことができます。阿弥陀如来の衣は、「きりかね」細工が施されていたそう。今は、その輝きを見ることはできません。きりかね細工は、金箔などを細く切って、接着させて、細い線を描く装飾技法。高度なテクニックが必要とされるもの。つまり、それだけ優れた腕をもつ仏師に依頼した、お金を掛けた仏像だと言えます。注文主だろう橘俊綱の思い入れを伺わせます。

さて、阿弥陀如来に参拝する前、ミモロは、お寺の手水場でお清めを…。
 
「与一の手洗い場」との表示が。実は、このお寺は、「平家物語」の屋島の合戦で、扇の的を射落としたことで有名な那須与一が、庵を結び没したといわれる、与一ゆかりのお寺です。与一は、深く阿弥陀如来を信仰していたとか。

ともかく、神様、仏様に、なにか願いをするためには、まずお清めで、心を整え、身を浄めることが大切。
洗い場のところには、正しい手の洗い方の説明が、写真でわかりやすく…。「フムフム・・・石鹸で、こう洗うのねー」と、熟読するミモロ。そばには、「願いが的へ」と書かれたものが立っています。
その扉を開けると・・中にはガチャガチャが。
「えーっと200円入れて、ガチャガチャすればいいのねー」と、さっそく100円玉をいれ、つまみを廻します。
「わー出てきたー」プラスチック容器がコロンと。
中には、おみくじ、扇型シール、そして扇の形の紙石鹸が入っていました。
ミモロは、紙石鹸を手に取り、水道の蛇口のところへ。
「よーく心を鎮めながら、丁寧に手を洗わなくちゃー」と。「あんまり泡は立たない石鹸だねー」と、一生懸命手をすり合わせます。洗った後は、手を拭いて、そしておみくじに願いを込めながら、縛り、最後に扇型のシールを貼って…。ミモロ、なにお願いしたの?「ウー秘密だよー」と、黙して語らぬミモロです。

お寺の境内の奥には、「那須与一の墓」と言われる供養塔があります。
「大きな供養塔…」そう高さ3メートルで、ボディ部分もがっしりとした堂々たる供養塔です。参拝した人の願いが的へと進むのを叶えてくださる供養塔です。
 

お堂には、那須与一の絵や、絵馬が。
  

ちなみに、与一が、屋島の戦いで、小舟の的を射ったのは、なんと17歳の時。「えー高校生だったんだー」と、ミモロはビックリ。もちろん17歳と言えば、すでに元服を済ませ、当時は大人と認められている年齢です。そうは言っても、合戦への参加経験も浅く、さぞや緊張したことでしょう。

屋島の扇の的のシーンは、平氏と源氏の戦いが一段落して、お互い休戦状態になった夕刻に始まります。一艘の小舟が美女?を乗せて、沖に待機する平氏軍から、岸にいる源氏の方へを漕ぎいでます。美女のそばに掲げられた扇を射るよう挑発する平氏。そこで源氏としては引き下がれず、義経は、手練れの武将に命じますが、誰もが「体調が悪いの」「腰が痛いの」と言って辞退。やむおえず、その役目が、那須与一に回ってきます。でも、はじめはお兄さんにと言われたのに、お兄さんも「足の具合が…」と辞退し、弟へ。「すごいプレッシャーだよねー」そう、状況から見て、与一は逃げられない…もし失敗したら自害する覚悟で、馬を海へと進めます。そして「南無八幡大菩薩」と念じ、矢を放ちます。見事、矢は、扇を射落とし、夕陽に染まる海に日輪の扇が浮かびます。その成功に、敵である平氏も船端を叩き、ヤンヤヤンヤの大喝采。いちおう、その場は、めでたしめでたし…というお話。

でも、実はそれだけでは終わらず、その小舟に乗っていた平氏の武将が、興にのったのか舞はじめます。それを見た義経は、彼を射るように命じ、その武将を与一は射殺したという話も…。

それを、きっかけに、再び戦いが再開。平氏は、敗走し、壇ノ浦の戦いへとつながってゆきます。

戦いの無常を痛感しただろう17歳の与一…。戦いの後に出家し、平氏の菩提を弔う意味もあったのか、凱旋した鎌倉から戻り、平氏のホーム京都で、庵を結び、34歳で没します。それが、このお寺なのだとか…。


「源氏が鎌倉幕府を開いても、那須与一の名前が、その後出てこないのは、出家してたんだー」と。平家も滅亡、主人義経も追われ、まさに無常…無情…。

「この時代も過酷だよねー」とミモロ、京都に暮らし、歴史を知れば知るほど、その歴史の厳しさを感じます。日本史で習うのは、勝者の歴史。その陰に、必ず多くの人の悲しみがあることも、忘れてはいけないことかも…。

お寺を出て、近くを散策しながら、「秋だねー」とポツリ。散りゆく紅葉を見ながら、ちょっとしんみり。「あ、ドングリ…」色づいた落ち葉の蔭に、ドングリを見つけます。木の次ぎの世代へと命をつなげる実・・・「ここから芽が出て、大きな木になるんだよねー」。小さなドングリをひとつ拾って、リュックの中へ、そっとしまうミモロです。


*「即成院」の詳しい情報は、ホームページで



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京焼・清水焼の窯元が集まる泉涌寺周辺。乾山写しなどの器が並ぶ店「京のやきもの 泉涌寺わくわく」

2013-11-07 | お気に入りの品

ミモロが、訪れている紅葉の名所「泉涌寺」。その周辺のエリア、東林町は、清水焼・京焼の窯元が集まっていて、陶器好きは、窯元めぐりが楽しめるところです。その窯元のひとつ「森山俊山窯」の品々が並ぶお店が、「泉涌寺」の門前にある「京のやきもの 泉涌寺わくわく」。
「お邪魔しまーす」 

「こんにちはーちょっと見せてくださいー」とミモロは、お店の中へ。
「はい、いらっしゃいませ…どうぞ、ごゆっくり…」と迎えてくださったのは、「森山俊山窯」の三代目となる森山俊次さんと奥様。さまざまな陶芸展で受賞なさっている陶芸家です。現在、このエリアの窯元が加盟する「京都青窯会協同組合」の理事長を務められています。

そもそもこのエリアがやきものとの関わりを持ったのは、秀吉が大仏造営に当たり、瓦を焼かせたことから…。大正初期まで、瓦を焼く窯が、十数軒あったそう。明治になり、陶芸家が窯を開きはじめ、その後、五条坂にあった窯元たちも、こちらに移り、窯元の町を作ります。
「へぇーここにも陶器の町があるんだー。さすが陶芸の町、京都…五条坂、山科の清水焼団地、そして泉涌寺周辺って、陶器好きには、たまらないねー」とミモロ。

「森山俊山窯」の初代は、九谷焼を習得し、大正6年に京都で窯を起こされたそう。さまざまな器が作られる町で、清水焼らしい雅な絵柄が施された絵画のような美しさを湛えた器が、ここの特徴です。

 

京焼と言えば、江戸時代の野々村仁清と尾形乾山が、世に広めたと言われます。特に尾形乾山の色柄は、兄の尾形光琳の絵を取り入れ、一世を風靡します。「乾山焼」と呼ばれる乾山の模様を写した器は、この窯の特徴。
 

 
「白い器を使う人が増えているけど、こういう雅な絵柄の器をひとついれると、食膳の趣が出るよねー。乾山の器は、美術館で見たことある…その趣を手軽に楽しめるって、ステキ…」とミモロ。

器に四季の趣を映すのが、日本の器の特徴のひとつ。「わー秋らしい器がいろいろあるよー」と
 
 
「あ、雪だるまやクリスマスの柄もあるー」
「これ、お正月にいいかも…なんかおめでたい感じがするー」と、お店の中をあちこち見てまわるミモロです。
 思わず、笑顔になる器です。

「ぴったりのコーヒーカップがありますよー」と森山さん。
まさにミモロサイズの小さなカップにも素敵な絵が描かれています。「わーこういうカップ欲しいなぁー3,000円かー」と憧れの眼差し…。
「ミモロは、お店の品々を熱心に見ていると…お茶どうぞ…」と奥様。
ここでは、たっぷり大きな普通サイズのお茶碗で頂きます。「あのねー。昨日、ケーキ食べちゃって、おこずかい使っちゃったのー今度、貯まったら、また来ます」とミモロ。

「それなら、もうすぐ恒例の『窯元もみじまつり 窯元大陶器市』がありますか、それに来たら…。ここにある約30軒の窯元が、お得な価格で品を並べる陶器市なんですよ。きっとお気に入りのものが見つかるのでは?」と、「えーもうすぐ?ミモロ、陶器市大好きだから、見に来まーす」と、目を輝かせます。「紅葉の盛りだから、もみじ狩りと陶器市の両方が楽しめるんだー絶対行かなくちゃ…」と、意気込むミモロです。

*第20回「東福寺~泉涌寺 窯元もみじまつりー窯元大陶器市」は、11月23日~12月1日 10:00~16:00 祝日、週末は、ろくろ体験、振る舞い餅、ゲームなどのイベントも開催されます。窯元を巡りながら、気に入りの品をお得な価格で、手に入れるチャンスです。紅葉も見ごろのはず…。東福寺、泉涌寺の紅葉を見てから、ぜひ、陶器の町へ。窯元は、2つのお寺の間に点在しています。

*「京のやきもの 泉涌寺わくわく」京都市東山区泉涌寺東林町12 電話075-561-9338 10:30~17:00 木曜、第2.4火曜休み


  


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泉涌寺にある御陵の「月輪陵」、孝明天皇の「後月輪陵」。静寂に包まれた清らかな場所

2013-11-06 | 歴史・史跡

紅葉の名所のひとつ「泉涌寺」と「東福寺」エリア。秋は、多くの観光客で賑わいます。そのエリアにあって、常に静寂漂う場所があります。それは、「泉涌寺」の境内の奥にある「月輪陵(つきわりょう」です。伽藍をもつ広い境内の南奥、美しく掃き清められたなだらかな坂道を上がると、山に抱かれるように、りっぱな御門が見えてきます。
「わーここは、他の場所とは違う…」と、ミモロは立ち尽くします。
京都には、天皇や皇族関係を弔う御陵が数多く点在しています。大原の「寂光院」のそばには、安徳天皇と建礼門院徳子さまを祀る御陵がありました。ミモロは、今まで、いろいろな御陵に出会いましたが、この「月輪陵」は、失礼ながら、他と比べ、規模も大きく、漂う雰囲気もいっそう厳かな感じです。それもそのはず、この御陵は、仁治3年(1242)に、四条天皇が崩御され、ここに葬られてから、歴代の天皇、皇后が、このエリアに山陵を営まれ、皇室の菩提所となっているのです。
入口には、ここに御陵を持たれた方々のお名前がズラリ。
「あ、後水尾天皇の皇后の和子(まさこ)さまも、こちらにいらっしゃるんだー」と、ミモロが知っている名前を見つけました。中宮の和子さまは、徳川秀忠とお江の娘で、徳川家として初めて皇族になった方。このご結婚で、和子さまと共に、宮中にもたらされた多額の持参金で、夫の後水尾天皇は、思う存分、京都の文化発展に力を発揮できたと思われます。「もし結婚してなかったら、修学院離宮も出来なかったかも…」。また、徳川家の援助は、京都の多くのお寺の修復や復興を果たします。

ここ「月輪陵」には、四条天皇をはじめ、後水尾天皇から仁孝天皇まで25陵が祀られています。
「後水尾天皇の奥さんたちや、子供たちもここにいっしょにいらっしゃるんだねー」と、お名前を見て…。
この御陵にいらっしゃる109代明正天皇(女帝、母親は和子さま)、110代後光明天皇、111代後西天皇、112代霊元天皇は、すべて108代後水尾天皇のお子様、ただしお母様は、全部違います。
「さすが後水尾天皇、長生きなさったし、奥様もたくさんいらしたみたい…」と、改めて感心しきり。

御陵の前は、広々とした白砂のスペースがあり、そばには、大きな水盤が。
「お清めしよう…」と水面を見ると… 「あ、お水に御門が映りこんでいる…」かなり離れているのに、不思議に御門が…。だれもいない御陵の前で、ミモロは、静かな時間を過ごします。
「ここにいると心が落ち着く…こういう場所って、パワースポットなんじゃない?」と深呼吸。

しばし時を過ごした後、ミモロは、泉涌寺から出るために、北側の出入り口へ。そこで拝観券の係りの方に、「今ね、月輪陵に行ったのー。すごく素晴らしい場所でした…」とお話を。すると「それなら、孝明天皇の御陵にも行ったら…」と、「えー孝明天皇?ミモロの住む岡崎にある平安神宮のご祭神の御陵がここにあるのー?」と、目を見開きます。孝明天皇は、つい最近、時代祭で、参拝したご祭神です。

そこで、今度は、境内を一度出て、敷地に沿うように続く道を上ります。
山沿いの道は、紅葉の時期は、きっと美しく彩られるだろうと思われる景色。
「わーここも広い…」 孝明天皇の「後月輪陵」です。

さらに、そばの四条天皇のお父様の後堀川天皇の御陵にも足を伸ばします。
 

再び、泉涌寺の入口の所へ戻ると、「あのー質問があるんですけど…。あの広い御陵のお掃除だれがやってるんですか?」と尋ねるミモロ。「それは、近くに、宮内庁の管理事務所があるんですよーそこで…」とのお答え。

泉涌寺のそばに、ありました宮内庁の事務所が。この日は、休日なので、ひっそりとしています。
「あれだけ広い場所を、いつもあんなにきれいにしてるって、すごいねぇー。さすが宮内庁…」と、ミモロ。
確かに、宮内庁が管理している場所は、京都御所、桂離宮、修学院離宮をはじめ、それぞれ市内に点在する御陵も、どこも美しく整えられています。

『月輪陵墓監区事務所』は、全国を陵墓の所在地により、5つに区分したひとつを管理するところで、京都、滋賀、石川、富山、鳥取、島根などのエリアを担当しています。全国で、宮内庁が管轄する陵墓は、天皇陵ほか、いろいろトータルで896もあるとか。分布地域は、458か所にも及ぶそう。京都には、他に桃山陵墓監区事務所もあります。こちらは、もっと南のエリアで、九州地方なども担当。

「すごくたくさんあるんだねー」と、改めてその数の多さに驚きます。

泉涌寺に紅葉狩りに行ったら、ぜひ、足を伸ばして、「月輪陵」へ。きっと静かに紅葉が眺められるはず…。


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