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ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

来年の祇園祭での初お目見えが楽しみな「大船鉾」。今、着々と完成へ歩みを進めて・・・

2013-11-15 | 祭事・神事・風習

ある日、ふと見ると、ミモロは、部屋で、じっとしていました。
何してるの?「今、ネコの歴史お勉強してるのー。静かにしてー」と。そばにキャンディーを置き、ポリポリ齧りながらテレビを真剣に見ています。
「家ネコのルーツは、エジプトにあるんだってー」。どうしたの…。

「あのねー。後世に恥ずかしくないネコになるのー」と、え、なぜ?突然…

テレビを見終わって、「だってー」と持ってきたのは、一通の封筒。
「四条町大船鉾保存会」からの郵便です。
宛先には、「ネコのミモロ様」と。えーミモロの郵便が来たの?なんて書いてあるの?

実は、今年の祇園祭の時、ちまき授与のボランティアをした「大船鉾」で、鉾復活のための支援募金を募っていたのです。

そこで、ミモロは、「大船鉾」の内部の鐘掛金具8つの内のひとつのために、わずかながら寄付をさせていただきました。「へーこんな素敵な金具が鉾につくんだー」と、同封されていた図面を見て、感激。
またお手紙には、寄付のお礼と共に、支援した人の名前を、大船鉾の保存会芳名録に記載し、永久に保存されると書かれています。
「ネコのミモロって、永久に残るんだよー。だから後世の人が、これだれ?って言ったとき、『あのーミモロちゃんねー』って言われるようなネコにならなくちゃー」と。それでネコの歴史から勉強してるわけ…?

まぁ、勉強するのはいいことだから…理由はともかく・・・・。
きっとそこまで気にしなくて、小さな記載だから大丈夫じゃない?「え~でも~ミモロが京都にいたって、証(あかし)でしょ?」そう・・・確かに…。

そもそも「大船鉾」は、約500年前、将軍、足利義教の命により、「祇園祭」が再興した折に、建立されたと伝えられます。応仁の乱で戦火にまみれ、その後、復興された36基の山鉾の中にも…。次に天明の大火にて全焼するも、町衆の力で、再興。しかし、幕末の蛤御門の変で、またもや火事にみまわれます。鉾は焼けますが、装飾品やご神体の神功皇后のご尊面は、類焼を免れ、現代へと受け継がれています。復興のために、町衆は、寄付を募りますが、折しも、明治維新の小学校制度の導入により、その費用は、小学校建設にまわされ、長らく、鉾を再び、作ることができなかったのです。しかし、一昨年、140余年の時を経て、ご神体のご尊面を乗せた唐櫃での巡行が実現。いよいよ「大船鉾」の復活の第一歩を踏み出しました。そして、ついに2014年、150年ぶりに「大船鉾」の船体を祇園祭にて、現すという四条町の人たちの祈願が叶うことになったのです。
そこで、その新しい鉾に使われる部品などの寄贈を募ることに…。



さらに封筒には、「大船鉾」復興に尽力なさる書家の窓月庵坐こつ(そうげつあんざこつ)先生の書、そして「大船鉾」の手ぬぐいが入っていました。

「わーうれしい…少しだけだけど、お役に立てたのかなぁー」と、封筒を握りしめながら、感激しきり。

「京都駅のそばのヨドバシカメラの1階で、今、展示されてるんだって、行ってみようよ」ということで、さっそく。

夏に訪れた時は、まだ骨組みしかなかった鉾ですが、
「わーすごくできてるよー」と、ビックリ!
 
船体の姿が、堂々と…。「さすが京都…大工さんたちの技術がすごいねぇー」
ミモロは、船体をじっくりと見て行きます。「あれ?ミモロが寄贈した鐘掛金具ってどこ?」
それは、まだ設置されていない部分です。「鉾の上の屋根の下の部分ね?」
展示場には、小さな完成模型が。「どこかな?」模型を覗きこむミモロです。
模型には、さすが小さな金具までは付いていなかったよう…。

来年、1月中旬には、完成お披露目の見通しとか…。このように建設中の鉾が間近で、ゆっくり見られるのは、来春までとのこと。その後は、解体され、四条町へと納められます。
「今の内によく見とかなきゃねー。お友達にも教えてあげよう…」

さて、来年の祇園祭は、本来の姿である先祭、後祭の2回にわたり、山鉾巡行が行われる予定です。先祭は、7月17日、そして後祭は、7月24日に。
「先祭の山鉾巡行の数が減るんだー。ということは、宵山にも後祭グループの山鉾は、登場しないわけね」

先祭の山鉾は、長刀鉾から船鉾までの23基。そして後祭は、橋弁慶山から大船鉾までの10基です。
「後祭で鉾は、大船鉾だけなんだー。大きな山は、北観音・南観音だねー。後祭にも宵山ってあるのかな?巡行のコースも違うんだよねー。どうなるのか想像できないー」と、今から気がかりな様子のミモロ。


「でも、来年が楽しみだね…動く姿見たら、きっと涙でちゃうかも…」と、完成間近な鉾の姿を見ながら、すでに目を潤ませるミモロでした。



*「大船鉾」の常設展示(正式名称:「京都市無形文化遺産展示室(京都祇園祭大船鉾復興展示)」は、京都駅そばのヨドバシカメラの1階、北側で、10:00~18:00 水曜休館 入場無料で開催しています。京都駅から新幹線に乗る前などに、ぜひお立ち寄りください。展示は、来春までの予定。冬でも見られる祇園祭です。
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紅葉の「南禅寺」の別院「南禅院」での早朝の坐禅会。24日は、盛りを迎える紅葉が楽しみに

2013-11-14 | 体験

毎月第2,4日曜の午前6:30から、1時間ほど「南禅寺」で行われる「暁天坐禅会」。いつもは「龍淵閣」という境内奥の大きな広間のある建物が会場に。でも、今年11月だけは、別院の「南禅院」で行われることに…。
そこで、ミモロは、早起きして、久しぶりに坐禅へと向かいました。
色づきだした紅葉を見ながら「南禅寺」の三門の前を過ぎ、境内を奥へ。この日の坐禅会場である「南禅院」へと急ぎます。
朝、6時台は、まだ夜の薄暗さが残る時間。空気も冷めたく、眠気も吹き飛ぶよう…。
息を切らせ、「南禅院」に到着。

「南禅院」は、亀山天皇の離宮の跡で、「南禅寺」発祥の地といわれるところ。方丈は、元禄年間に、5代将軍、徳川綱吉の母、桂昌院の寄進により再興された、総檜の入母屋造こけら葺き。内陣には、亀山法皇の木造(重要文化財)が安置され、狩野派の絵師により水墨画の襖絵が。
 
「こんな場所で坐禅ができるなんて・・・感激…」とミモロ。開け放した室内は、外と同じ気温。坐禅経験者のミモロは、久しぶりの坐禅に、身も心も洗われたような心地に。この日の参加者は、20名ほど。20代、30代の若い参加者の姿が目立ちます。
約1時間、この日は、3回に分けて坐禅をしました。ミモロは、僧侶が前を通ると、合掌して警策をいただきます。「この痛さが体中の細胞を目覚めさせる気がする・・・」と。確かに、坐禅の間、この痛みに神経が集中して、それが和らいでゆく感じに心地よさを覚えます。

さて、その日の法話は、人の結びつきのありがたさに関するお話でした。最後に皆で般若心経を唱え、坐禅会は終了。「ちょっと寒かったけど、爽快だねー」と。

ミモロは、静寂に包まれたお庭を拝見することに・・・
「心が鎮まるねー」
庭園は、亀岡法皇の離宮の庭の面影を残す、鎌倉時代の代表的な池泉回遊式庭園。京都の三名勝史跡庭園のひとつです。桜、楓などが池の周りを彩ります。
「紅葉は、きっと次ぎの坐禅会の時が見ごろかも…。また来なくちゃー」楓は、まだ枝先が色づいたばかり。でも、このところの急激な冷え込みで、かなり色づきもスピードアップされそうです。
池には、鴨が紅葉の木々の下で、のんびり。「こんなりっぱなお庭に暮らせるなんて、幸せだねー」と。

坐禅を終えて、ミモロは、境内をお散歩することに・・・。
まずは、水路閣へ。「紅葉は、もう少し…」

続いて、法堂のそばへ。
 御本尊の釈迦如来さまにお詣りします。
参拝を終えて、三門へとトコトコと…
「あ!」というと突然立ち止まったミモロ。見ると足元にドングリがいっぱい。
きっと誰かが集めたもの…。

ミモロ、後ろ・・・「えーなぁに?」振り返ると、そこには、鮮やかに紅葉した枝が伸びています。
「わーキレイ…」境内には、すでに見事に紅葉した楓も…。「秋だねぇー」と、しばし紅葉を見上げます。

三門の石段にも、赤や黄色の落ち葉が…

秋が深まる京都…お散歩の楽しみもいっそう…。
 


*「南禅寺」 『暁天坐禅会』の詳しい情報は、ホームページで。次の坐禅会は、11月24日06:30~「南禅院」にて。参加無料、時間厳守、温かな服装で、ただし坐禅は裸足が原則。

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東山岡崎エリアの紅葉見物で立ち寄りたい「京菓子司 平安殿」。岡崎らしいお菓子がいろいろ

2013-11-13 | グルメ

「永観堂」「真如堂」「南禅寺」「平安神宮」「金戒光明寺」をはじめ、疏水沿いなど、紅葉の美しさが、日に日に増している京都、岡崎エリア。紅葉見物のお土産やひと休みにおすすめなのが、神宮道にある「京菓子司 平安殿」。
マンションや新しい建物が並ぶ神宮道で、暖簾がさがるこのお店は、ひときわ京らしい趣が漂います。
  

昭和26年に東山で創業した和菓子店で、現在の場所には、昭和30年代に。かつての個人のお宅だったという大正時代の建物を、現在、店舗、工場として使っています。
「朝、ここのそば通ると、甘い美味しそうな匂いがするんだよねー」と、鼻をピクピクさせるミモロです。

ある日、疏水沿いを散策して、お店の前を通りかかったミモロ。「名物 くず善哉だってー、ねぇ、ひと休みしようよー」と、動かなくなりました。わかりました、入りましょ。

 
落ち着いた雰囲気の店内には、古い額や書、お菓子の型などが飾られています。
ミモロは、ご近所のこのお店には、何度かお買い物に来ています。
だから、ご店主の小川善一さんとも顔なじみです。
「ミモロちゃん、こんにちはー」小川さんは、今年の時代祭で、勇壮な甲冑姿で、一際目を引いた、滝川一益役を演じました。「時代祭、カッコよかったでーす。今日は、善哉食べにきましたー」と…(その姿は、ミモロ時代祭で検索を…)
「ゆっくりしていってくださいねー」と、笑顔で…。お店の中を見まわすミモロ…

額の「平安殿」の文字は、陶芸家、富本憲吉の作。
昭和30年初めての重要無形文化財保持者に、そして後に文化勲章も受賞した著名な陶芸家です。バーナード・リーチとの親交が深く、一時は、柳宗悦の民芸運動にも名を連ねたことも。現在、この文字は、「平安殿」という柚子風味の焼き菓子のパッケージに使われています。

また、書は、『友情』『愛と死』などでの著作で知られる作家、武者小路実篤のもの。

志賀直哉、有島武郎らと文学雑誌「白樺」を創刊したことは、日本史で必ず習うところです。こちらもカステラ饅頭の「平安饅頭」の包み紙に。

「あのーどうして、こういう人たちの書なんかあるんですか?」と、ミモロ。「それは、うちは、以前、菓子屋をやる前に、古美術商をしていて、その当時からのお付き合いからだと聞いています」と。

このお店には、実にさまざまな種類の和菓子が並びます。
 秋を表現した上菓子。「秋は、栗がたくさん使われているお菓子があって、豪華な感じ…」
ほかにも、羽二重餅の「平安餅」や秋から春に登場するどら焼きの「知恩」も人気の定番。
 
また、醤油の風味が香ばしい「粟田焼」「これ甘辛くて美味しいよねー」と…。
「一個130円とか160円で、買いやすい…たくさん食べれちゃう…」と、ミモロは、ときどきおこづかいで1個だけ買って、疏水脇のベンチで食べていたり…。

「あのー昔、ここには、美味しいシュークリームがあったって、お友達に聞いたんですけど…」とミモロ。
「そう、以前は、ケーキもあったんですよー。洋菓子部門は、弟がやっていたんですけど…今は、和菓子だけです」と小川さん。「でもねー、焼き菓子には、サブレやマドレーヌみたいのがありますよねー」「はい、欧風菓子として、それはありますよ」
 「疏水アーチ」(150円)は、南禅寺にある水路閣にちなみレンガの形をしたマドレーヌような焼き菓子。「インクライン」(150円)は、日持ちのするプラムケーキです。
平安神宮の屋根にあるシビを象った「平安殿サブレー」(80円)は、コーヒーや紅茶に似合います。
「どれも1個でも買えるんだよねー。でも、ミモロ、東京に行くとき、お土産にするのー焼き菓子は、日持ちするから喜ばれるんです」と。
「お菓子の名は、この岡崎エリアにちなんだもので、京都らしいでしょ!」と。「ハイ、特に岡崎ぽいのがステキ」

「あ、これもおいしそう…」ミモロ大好きな試食…「わらび餅だってー」
ミモロ、試食たくさん食べちゃダメ…善哉はどうしたの?「あ、そうだった…」ミモロは、小川さんに挨拶して、奥の甘味処へ。
18席ある茶房では、夏は、かき氷なども。今は、季節の和菓子と抹茶のセット、名物のくずぜんざいなどが頂けます。
「えーっと、くずぜんざい・・・ちょっと贅沢して栗入りお願いしまーす」と。
注文して間もなく…「来た、来たー」
「わー美味しそう…」
丹波大納言の善哉には、白玉と吉野葛が…。「吉野葛入りの善哉って初めて…トロリとした感じで喉越しなめらか…甘さが抑えられてる気がする…白玉もいっぱいだし…あ、大きな栗も入ってるー」
ミモロは、リュックをおろすのも忘れて、善哉に夢中です。

しばらくして「あーん、もうなくなっちゃったー」
空になったお椀を名残惜しそうにのぞきこんでいます。ミモロにとって、しあわせと、さびしさの両方が交錯する瞬間です。

さぁ、いつまでものぞいてないで、もう帰りましょ…。「今度、栗きんとんが食べたい…」お店を出るまで、お菓子の並ぶケースにしがみつくミモロでした。


*「京菓子司 平安殿」京都市東山区神宮道三条上ル堀池町 電話075-761-3355 9:00~18:00 年中無休 平安神宮の鳥居から徒歩2分。

  

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禍退散、ガン封じのご利益も「狸谷山不動院」。宮本武蔵が心鎮めた滝やトイレの神さまも。

2013-11-12 | 寺社仏閣

真言宗「狸谷山不動院」の250段におよぶ階段を昇り、本堂前に到着したミモロ。
本堂は、清水寺と同じ、懸崖造りと言われる急な斜面に柱を立てて建物を作るスタイルです。

境内の順路に従い、まずは、小さな社に参拝します。
 
ここは、「三社大明神」と「うすさま明神」をお祀りしています。「うすまさ明神」は、不浄を浄める神さまと言われ、近年、トイレの神さまとして女性の参拝者が多いところ。「ここにお詣りすると、美人になれるんだって…」
ミモロ、ただお詣りしてもダメ。ちゃんとトイレをキレイにしないと…。
社の木彫がなかなか素晴らしいものが。

次は、宮本武蔵が、一乗寺下がり松での吉岡一門との対決を前に、修行をしたと言われる「不動の滝」。
奥に山から落ちる滝があり、武蔵だけでなく、多くの修験者が打たれた滝が。ミモロ、何してるの?
「うー重い」 お詣りする前に、修験者のもつ鉄の杖をシャラシャラ鳴らしてください…との表示。ちょっとミモロには、無理なよう。

「ここで修行するのー」 
不動明王が睨む前に、立ちすくむミモロ。滝のしぶきが、見つめるミモロに降り注ぎます。

そこから、最後に33段の階段を昇ると本堂です。
『女坂」は、33段、「男坂」は42段。「これって、厄年の数じゃない?」

 
懸崖造りの本堂は、清水寺同様、広い舞台も備えています。
「お詣りしよう…」
暗い本堂の奥に不動明王がおいでになるそう。お姿は拝見できませんでしたが、静かな本堂の中にいると、心が鎮まる気がします。
「わー高い…」
瓜生山の中腹にある本堂からは、京都の町が望めます。
  

さて、参拝を済ませたミモロは、御守を頂きに…。さまざまな種類が揃う御守やお札の中で、気になったのは…
小さなわらじ
お迎え大師さまに、健脚をお願いするわらじです。「ちょっと履いてみよう…」
ミモロには、小さすぎるよう…。わらじに付いた紙に、名前や願い事を書いて、お迎え大師さまに供えます。

「これもカワイイ…」黄色のタヌキの鈴。リンリンと、とても美しい音色で、厄を払う御守鈴。

御守を求めると、「これお供えに頂いたお下げのお品…どうぞ…」と、生八ッ橋のお菓子を頂戴しました。山の水をつかったコーヒーを注文したミモロは、ひと休み。


「今度は、くだりだから、階段楽だねー」でも、下りの方が、転びやすいから気を付けて…。
「OK!」思わぬ、おやつを頂いたミモロは、一歩一歩慎重に階段を下りて行きました。

*「狸谷山不動院」の情報は、ホームページで。



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技能の上達、目標達成、禍退散にご利益が。奥深い山の中にある「狸谷山(たぬきだにさん)不動院」へ。

2013-11-11 | 寺社仏閣
最近、テレビの旅番組で、歌舞伎の市川猿之助さんが案内していた「狸谷山不動院」。ミモロは、「なんかご利益がありそう…行ってみたいー」と、さっそく出かけることに。

京都の東側を通る白川通を修学院方向に進み、一乗寺の「詩仙堂」の脇を抜け、さらに坂道を上へと進みます。「結構、バス停からあるねー」坂道を登り切ったところに、「あったー!」お寺の入口が見えてきました。

 
なるほど「狸谷山不動院」『たぬきだにさん』というだけあって、お出迎えは、タヌキの置物がずらり。(中にミモロもまぎれています)

御本尊の「不動明王」は、桓武天皇の勅願により、都の東北の鬼門守護として祀られたもの。厄払い、災い退散の霊験あらたかな不動明王として崇められ、鎌倉時代に、この山の洞窟に安置されました。
以来、心が揺れ、弱くなる自分を、戒めて、不動心を授けてくださると共に、いかなる禍をも寄せ付けない、お不動さまとして、多くの信仰を集めています。

「狸谷山って、タヌキがたくさんいるのかな?」と、周囲を見回すネコのミモロ。いいえ、それは関係ないかも。
タヌキとは、御本尊の「咤怒鬼(たぬき)不動明王」から…鬼を起こり、退散させるコワーイお顔のパワフルな御本尊のお名前。「他を抜く」という音につながることから、人を芸や技を競い合い、磨き、他の人を抜き、頭角を現すという意味が込められています。そのため、競い合いの厳しい、スポーツ選手や芸能界の人たちが、目標達成を御祈願に、お詣りに訪れるそう。競争の厳しい現代、参拝客も絶えません。

「あんまり動物のタヌキは、関係ないのねー。でも、住んでるタヌキもいそうだよー」まぁね…。でも、名前の音から、タヌキの像を寄進する人が多く、今のようにたくさんに…。

入口ののぼり旗は、歌舞伎の市川猿之助さんが寄進されたもの。亀次郎の時にも、石柱を寄進され、長い間、このお不動様にお詣りされています。
他にも歌舞伎界の方が多数。 

また、スポーツ界では、「阪神タイガース」の吉田監督や小林繁さんなども。
優勝記念の碑も、そこに

「タイガースの碑なのに、まわりは、タヌキがいっぱい…」
きっとまた、優勝すると、碑が増えるかも…。

さぁ、本堂に向かいましょう…。まずは、赤い鳥居が続く中を通り、弁財天さまに参拝。
 

少し進むと、七福神が現れました。
  

「わー階段がいっぱい…」ここから、長い階段が本堂まで続きます。
途中にお迎え大師さま
腰には、健脚祈願の小さな草鞋(わらじ)が下がっています。「この階段を昇るには、健脚じゃないとねー」

「フーフー、えーまだ99段目ー」そう、まだ半分も来てないことに…がんばれミモロ!
「わーずいぶんあるよー」
見上げると、急な階段が目の前に聳えています。ここを昇らないと、本堂には、行けません。
ゼーゼー「もうダメー足がガクガクするー」
ミモロ、後ろを向いてはダメよ。落ちちゃうかも…。ほら上を見て…。
「あ、本堂が見えてきたー」最後の力を振り絞って、階段を昇ります。
「やったー」思わずタヌキにすがりつくミモロです。ついに206段まで、あともう少しですが、ここまでくれば、ほぼ登り切ったも同然。

そもそも「狸谷山不動院」は、修験者の修行所。厳しい修行において、この階段は、入口というところでしょうか。参拝者は、一歩一歩踏みしめながら、ゆっくり心を鎮め、自分がお願いしたことに思いを寄せながら、本堂へと進みましょう。

さぁ、いよいよ本堂に参拝です。

*「狸谷山不動院」の詳しい情報は、ホームページから
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