ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

泉涌寺にある御陵の「月輪陵」、孝明天皇の「後月輪陵」。静寂に包まれた清らかな場所

2013-11-06 | 歴史・史跡

紅葉の名所のひとつ「泉涌寺」と「東福寺」エリア。秋は、多くの観光客で賑わいます。そのエリアにあって、常に静寂漂う場所があります。それは、「泉涌寺」の境内の奥にある「月輪陵(つきわりょう」です。伽藍をもつ広い境内の南奥、美しく掃き清められたなだらかな坂道を上がると、山に抱かれるように、りっぱな御門が見えてきます。
「わーここは、他の場所とは違う…」と、ミモロは立ち尽くします。
京都には、天皇や皇族関係を弔う御陵が数多く点在しています。大原の「寂光院」のそばには、安徳天皇と建礼門院徳子さまを祀る御陵がありました。ミモロは、今まで、いろいろな御陵に出会いましたが、この「月輪陵」は、失礼ながら、他と比べ、規模も大きく、漂う雰囲気もいっそう厳かな感じです。それもそのはず、この御陵は、仁治3年(1242)に、四条天皇が崩御され、ここに葬られてから、歴代の天皇、皇后が、このエリアに山陵を営まれ、皇室の菩提所となっているのです。
入口には、ここに御陵を持たれた方々のお名前がズラリ。
「あ、後水尾天皇の皇后の和子(まさこ)さまも、こちらにいらっしゃるんだー」と、ミモロが知っている名前を見つけました。中宮の和子さまは、徳川秀忠とお江の娘で、徳川家として初めて皇族になった方。このご結婚で、和子さまと共に、宮中にもたらされた多額の持参金で、夫の後水尾天皇は、思う存分、京都の文化発展に力を発揮できたと思われます。「もし結婚してなかったら、修学院離宮も出来なかったかも…」。また、徳川家の援助は、京都の多くのお寺の修復や復興を果たします。

ここ「月輪陵」には、四条天皇をはじめ、後水尾天皇から仁孝天皇まで25陵が祀られています。
「後水尾天皇の奥さんたちや、子供たちもここにいっしょにいらっしゃるんだねー」と、お名前を見て…。
この御陵にいらっしゃる109代明正天皇(女帝、母親は和子さま)、110代後光明天皇、111代後西天皇、112代霊元天皇は、すべて108代後水尾天皇のお子様、ただしお母様は、全部違います。
「さすが後水尾天皇、長生きなさったし、奥様もたくさんいらしたみたい…」と、改めて感心しきり。

御陵の前は、広々とした白砂のスペースがあり、そばには、大きな水盤が。
「お清めしよう…」と水面を見ると… 「あ、お水に御門が映りこんでいる…」かなり離れているのに、不思議に御門が…。だれもいない御陵の前で、ミモロは、静かな時間を過ごします。
「ここにいると心が落ち着く…こういう場所って、パワースポットなんじゃない?」と深呼吸。

しばし時を過ごした後、ミモロは、泉涌寺から出るために、北側の出入り口へ。そこで拝観券の係りの方に、「今ね、月輪陵に行ったのー。すごく素晴らしい場所でした…」とお話を。すると「それなら、孝明天皇の御陵にも行ったら…」と、「えー孝明天皇?ミモロの住む岡崎にある平安神宮のご祭神の御陵がここにあるのー?」と、目を見開きます。孝明天皇は、つい最近、時代祭で、参拝したご祭神です。

そこで、今度は、境内を一度出て、敷地に沿うように続く道を上ります。
山沿いの道は、紅葉の時期は、きっと美しく彩られるだろうと思われる景色。
「わーここも広い…」 孝明天皇の「後月輪陵」です。

さらに、そばの四条天皇のお父様の後堀川天皇の御陵にも足を伸ばします。
 

再び、泉涌寺の入口の所へ戻ると、「あのー質問があるんですけど…。あの広い御陵のお掃除だれがやってるんですか?」と尋ねるミモロ。「それは、近くに、宮内庁の管理事務所があるんですよーそこで…」とのお答え。

泉涌寺のそばに、ありました宮内庁の事務所が。この日は、休日なので、ひっそりとしています。
「あれだけ広い場所を、いつもあんなにきれいにしてるって、すごいねぇー。さすが宮内庁…」と、ミモロ。
確かに、宮内庁が管理している場所は、京都御所、桂離宮、修学院離宮をはじめ、それぞれ市内に点在する御陵も、どこも美しく整えられています。

『月輪陵墓監区事務所』は、全国を陵墓の所在地により、5つに区分したひとつを管理するところで、京都、滋賀、石川、富山、鳥取、島根などのエリアを担当しています。全国で、宮内庁が管轄する陵墓は、天皇陵ほか、いろいろトータルで896もあるとか。分布地域は、458か所にも及ぶそう。京都には、他に桃山陵墓監区事務所もあります。こちらは、もっと南のエリアで、九州地方なども担当。

「すごくたくさんあるんだねー」と、改めてその数の多さに驚きます。

泉涌寺に紅葉狩りに行ったら、ぜひ、足を伸ばして、「月輪陵」へ。きっと静かに紅葉が眺められるはず…。


人気ブログランキングへ
ブログを見たら、金魚をクリックしてね。ミモロより・・・みなさまへー

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« まもなく山が彩られる紅葉の... | トップ | 京焼・清水焼の窯元が集まる... »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (竹口のおばちゃん)
2013-11-06 15:15:50
確かに、京都は御陵が多いですね。
いつもは素通りしている門構えのところを
ここは何?と疑問を持って入ってみると、御陵だったり。
規模の大小に関わらず、静寂で、ピーンと張り詰めた空気に覆われていますね。
孝明天皇御陵なら、なおさらでしょうね。
静かでした (がちゃぴー)
2013-11-06 19:28:37
ご陵は本当に静かでした。
空気がぴーんとしていました。
ちょっと中を見たいと思いました。
ぴーん (mimoro)
2013-11-07 00:47:50
そう、ピーンとした空気でした。
月輪陵に葬られた女帝の明正天皇は、父親の後水尾天皇が、院政をしいていたそうで、なんにも権限がなかったとか。それに天皇になると女性は、結婚できないという決まりがあったとかで、生涯独身。4歳で即位して、21歳で、異母兄弟、後光明天皇に譲り、それから出家。長生きで74歳で崩御されます。つまり、1度天皇にすることで、徳川家の血筋が天皇家に残らないようにしたという話も・・・。
そう思うと、明正天皇って可哀想・・・。
天皇家に生まれて、大きな御陵に眠られても、
なんか可哀想でたまらない・・・。
普通のネコでよかったー。

コメントを投稿

歴史・史跡」カテゴリの最新記事