蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

幸せオーラの家

2020-06-28 | 暮らし
ある家の前に停めてあった車の中から、ひょこんと顔を出した男の子。
乳歯が抜けた後、大きな永久歯がスカスカに三本ほど生えている。
その子が歩いているわたしを見てこう発した。
「あ、○○君のおばあちゃん、、、?」
最後の語尾が上がるところが、ひょっとして違うかも?というあたりのニュアンスで可愛い。
愛敬ある、よく日に焼けた元気な子だ。
わたしは思わずマスクの下で破顔になり、うんうんそうだよと頷き大きく手を振った。

その時のわたしは、メガネに大きなマスク。
よくわかったなあと、びっくり。
わたしは知らなくても、近隣のちびっこたちには、小学校の行事だったり、街中だったりで、時々、「○○君のおばあちゃん」と声をかけられることがある。
孫の保育所仲間である。
わたしはたまに、お迎えに行く程度でほとんど顔を知られてない(はず)。
でもちびっこたちは、目ざとく見ているようだ。
しかし、卒園して1年以上経つのに驚いた。
「たまに」も、週1で4年間続くとちびっこたちの記憶にも残るとみえる。


うちの近所に親ごさんとその娘さん一家が住む二世帯同居家族の家がある。
車から顔を出した男の子はその家に遊びに来た、近所に住む弟家族のちびっこ息子さん。
つまり、親世帯からすると外孫。
子世帯からすると弟一家、住んでいるちびっこからすると、イトコちびっこ。
家にきょうだい一家がよく集まってきている明るい家だ。

ついでに情報を付け加えると、その家の娘さんの弟は、わたしの長女の小学校の同級生。
その同級生も、とても感じのいい男の子だったらしい。
あの親にしてあの息子。なるほど。
お母さん(おばあちゃん)は、玄関前のお花をよく手入れされている。
ああやって、きょうだい一家が集うのは、とても明るい家庭なのだろうと想像する。
やはり、同居は娘一家のほうが円満だと感じる。
妻の親と同居するマスオさんも、家の前で子供さんと遊んでいるのを見かけるが、優しげで良さげなお方。

その家と隣の家の敷地には、数年前は一戸建てが1軒建っていた。角地だった。
更地になり土地が売りに出された。
そこに2軒、ニコイチで家が建った。
先に売れたのは、角ではない方の真ん中の土地。
この男の子の、おばあちゃん&おばちゃん一家宅になる。
角地のほうが土地の価値は高いため、値段も高い。
角地は、後に売れ、モデルハウスのような素敵な家が建った。
だが、住んでいる人の匂いが全くしない。
人は住んでいて空き家ではないが、温度が感じられない。
生活感がない。
なぜなんだろう?

先に売れたその土地に建つ家は、モデルハウスとは言えない、堅実なタイプ。
だが、いつも地に足が着いた幸せなオーラや賑わいをそれとなく感じる。
何なのだろう?
前々から不思議に思っていた。
やはり、家の中心となるおかあさん、、、かなあ、、、太陽の役割、、、かと。
求心力を持つ。

で、今回の男の子に声をかけられ、わたしは自宅まですごく楽しい思いで歩いて帰った。
鼻歌気分。
わたしなど、透明人間だと思っていたのに、意外だったこともある。
あの男の子や家庭に何かあって、仮にマスコミ取材を受けたとしたら、有らん限りの褒め言葉で、褒めちぎりそうだ。
あの家をよく知りもしないのに。

逆に、わたしの家はどう見えるのだろう。
わたしのせいで付き合いの悪い家ではあるが、30年間、同じ場所に住み、問題は起こしていない。
それは近隣の家々も同じである。
問題がないから住み続けているのだろう。

大きな問題はないが、小さな問題なら各家々も抱えていると思う。
子供が小さい時は子供の学校などにコンプレックスを抱えていた家もやがて子供たちは成長し、花開く。
だが、その家の娘さんは離婚して親元に子供を連れて戻ってきているような気配。
でも、その子供も成長し、背丈もぐんぐん伸び親を抜いている。
やがて次代を担う。
何が良くて何が良くなくて、、、である。
たかだか30年の間に各家々にはドラマが繰り広げられている。
外には現れないが。

そう考えると、付き合いの悪いわたしの家も、時間の流れと共に暮らしを積み重ねている。
外からはどう見えるか?
客観的事実は、噂好きな人によって広められていることもあるが、あまりベラベラ喋らない人も多いように思う。

うちの小学2年孫Aは、最近、人見知り傾向が現れ、ご近所さんにはこれといった良い印象はたぶん与えていないだろう。
だがお互い、皆、小さな喜びを見つけたり、平凡に静かに暮らしたいと想像する。
近隣住民同士、気持ち良い距離感を保っているように思う。


さて、疑問は解決されていない点が一つ。
あの男の子の一家は、なぜあんなに幸せオーラが漂っているのか、、、?
よくわからないけれど、わたしは羨ましがるわけでも、ひがむわけでも、妬むわけでもないので、幸せな家庭があればあるほど結構なことである。
あの男の子に幸せのお裾分けをしてもらい、にっこり微笑んでいる。



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