蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

菌は強くて、いつまでも

2012-11-14 | わたし

さあ、好きなことを書こう。
そう思って、あることがアタマに浮かんだ。

しかし・・・
これって、裏・上から目線、っぽいかも?
謙虚風、イヤなヤツっぽいかも?
と思えてきて、二の足を踏んだ。

じゃあ、このことは?
それとも、あのことは?

あれま、あれま、わたしの見るもの、感じるもの、書くもの、
すべて、上から目線、臭う裏自信。
前まで、そうあんまり感じなかったんだけど。
どうしてだろう?
本性が見えるという人物が登場してくるNHK朝ドラ「純と愛」の見すぎか?


いっしょに遊ぶフリして、「ほんとうは、わたしは、こんなとこに居るような人間じゃないのよ」と
自分だけは別の安全地帯に確保している感覚、すごい嫌な感じ・・・・
昔の歌、「受験生ブルース」で、そんな歌詞があった。
友だちに「勉強しているか」って聞かれたら、「ぜんぜんしてない」、って答えとき、陰で勉強してるのよ、って。

かといって、確保した自分の場所では、堅苦しくて、みんな優等生で、息がつまる。
つまり、両方、居場所がないというわけだ。

息を抜いている場所では、仮に息を抜いているだけで横道にそれていて、本当の自分のいるべき場所ではない。
頑張るべき場所では、すぐ、息が切れる。

上の階段と下の階段を、行ったり来たり。
劣等感と優越感が、交差する。

こういうときは、横、左右にもスライドすると、いい。
ナナメもあり。
いろんな顔を持つといい。

が、そんなこんなをしていると、夜の街灯の真下で、むちゃくちゃな方向に飛び回っている、小さな虫みたいに、
なにやらよくわからない動きになってしまっている。

いろんな武装、仮装をしているうちに、本来の姿を見失いつつもある。
着ぐるみを脱いだ後の、自分は、脱いでも脱いでも、着ぐるみごと、自分になってしまっている恐れがある。
ウルトラマンの着ぐるみを脱いでも、着ぐるみの中からウルトラマンの着ぐるみが現れる。
ウサギさんの着ぐるみを脱いでも、ウサギさんの着ぐるみが現れる。

ばい菌、雑菌に強くなろうとして、自分が、雑菌まみれになっている。

こんなことなら、コドモでいるままのほうが、ずっとよかった。
でも、コドモには、自由がない。
そのかわり、親に守られている。
オトナになると、(わたしは)法を犯すようなことはしないが、
自主規制やら、自由と責任やら、義務と権利やら、のびのび自由に遊べない。
社会人としての自覚がジャマするのって、つまらないけれど、かたや、自分を高めたいという向上心もある。
いつまでも、いつまでも、気力が衰えない限りは、向上していたい。
そのためには、嫌なことや、辛いことも、多少は我慢しなければ。

ばい菌と、向上心の、相関図は?

なんだかよくわからないけれど、オトナになると、いろいろあるってことだ。

ああ、コドモの頃は、純粋でよかった。純粋なあの頃に戻りたい・・・
と、あんまり思わなくてもいい、コドモの頃から、ひねくれまくり。
腐った根性をたたきのめしてくれた、親、先生に感謝。
(まだ、たたきのめされず、日々、酵母菌やら、ビフィズス菌みたいに、生きている)

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ダンスユニットWorld Orderの動画を見ていたら、遅くなってしまった。
あの、キビキビのペキペキっとした動きが面白いのだが、
あのキビキビとは正反対の、スローモーション的動きもミックスされていて、
スローモーションは、筋力が必要で、たいへん。
わたしは、どうも、あの筋力が弱くて、練習では、足がガクガクしている。
と、遅くなりついでに、関係ないことを追加してみた。



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