
一昨昨日に引き続き、昨日、わたしの実家に家族と行って来た。
1日おき。
一昨昨日は、同級生たちと。
昨日は、姉一家と、わたしの一家とで、次世代への構想、方針の足固めのような会議が行われた。
(会議中、長女を除く長女一家は大人しく何かをして待っていた)
議長は姉。
事前に議題の元になる資料は、各々にPDFで送信されていた。
手元には予めプリントアウトされた議案が配られたが、すらすらと通過し、ホワイトボードは白い余白だらけ。
会議は踊らなかった。
全員一致でスイスイ。
義理の甥(姉の長女の夫)は、日頃、寡黙で、黙々と仕事をするタイプ。
昨日は、会議の後、珍しく、口を開き、姪(妻)がびっくりしていた。
すごく超有名な人々の名前が次々と飛び出し、目を丸くした。
まぁ、あとで冷静に考えれば、そんなものに惑わされることなく、地に足つけて地道にやっていきたいという、わたしの気持ちを再認識した。
一過性の盛り上がりにはしたくない。
ブームに乗るのはある意味いいが、踊らされるのは避けたい。
浮かれない、どこまでもわたしは堅実派。
将来、次世代の青写真は、方向性としては、土台が固められたような感触。
これからの時代、家族の在り様の1つのモデルケース。
日本では、家の継承においては、我々のような家族が増えるだろう。
ちなみに、息子からの母の日おめでとうLINEメッセージが届いた。
ついでに、具体的なお知らせも。
残念ながら結婚報告ではない。
結婚報告はありえないと思っているので、別に何の期待も促しも、圧も発しない。
今時、そんな時代ではない。
同級生の1人が、きょうだいで結婚を勧めたりしないの?と言っていたが、
「わたしと同じ年のあなたがそんなことを言うなんて、驚き。古い!」と思わず言ってしまった。
人に言われてするような結婚など、時代感覚として古すぎる。
もうそんな時代ではない。
その気があれば、マッチングアプリや、結婚相談所にでも出向けば良い。
ところで。
今、シニアマッチングも多いようだ。
これは一種の、認知症予防に役立つらしい。
孤独を避けるためには、とても有効だとか。
運動を促進しフレイルを遅らせるのも有意義だが、精神的面での別角度からのアプローチも、脳を活性化させる側面がある。
マッチングではなくても、街で見かけた美女に妄想を抱くのも結構。
何の見返りもなくても、脳が活性化され、イキイキするなら、それでよし。
ただし、高齢だからと淡々としているとは限らないので、トラブルや事件に発展しないような注意は必要だ。
どんな年齢であろうが、生臭さや、心のモヤモヤはつきまとう。
と、息子の話から、逸れに逸れまくっている。
脱線常習者のわたし。
世代間での推移、シフトがまさに行われている、、、とわたしは実感した。
ゆっくりとした動き、手ごたえを感じる。
安心して、パワーシフトしきるのも結構だが、心配事のないもぬけの殻の脳は、それはそれで、また心配。
何かを考え続ける、挑戦し続ける事が心身共に活性化につながると考える。
ブログも、その一つ。
わたしが訪れるブログの一つに、主婦の鑑、高齢完璧ブロガーさんのブログがある。
ブログを老化防止のため、老体に鞭打って頑張って、今は嫌々書いているそうだ。
総合的エネルギー熱量が減ると、自分がやることを絞らざるを得ない。
仕分け作業。
そのブロガーさんは、ブログ執筆ということをタスクから外すことになりそう。
義務的に自分を叱咤激励してやるのはしんどいようだ。
もう義務から解放された世代は、楽しまないと続かない。
わたしが楽しみにしているその人のブログの更新頻度が減るのは寂しいが、人、それぞれの選択。
私はゴミだらけの汚部屋になっても、きっとブログは続けるだろう。
ひょっとして、寝たきりになっても。
わたしにとって書く事は、生き甲斐。
ChatGPTも推薦している。
気持ちの整理には言語化せよと。
深呼吸するのと同じで、文字にすると気持ちが落ち着く。
言葉にして、誰かに直接発するのも良いかもしれないけれど、発せられる方の人は大変。
受け止め難く、お気の毒。
とりあえず、文字起こしするのが、お互いのために悪い緊張を和らげる。
で、息子の話はどうなった?
どうなったんだろうね。