
人は、自分のことを説明するときに、どう言うか?
普通のそこら辺にいる人だと思っていたら、そうでもなかった。
それは、その人の行動でわかるのではなく、自己申告があったから。
行動や能力でわかるとしたら、相当なもの。
自分で言わないと、自分の功績は人はわからない。
前に、中学の同級生が、同窓会で、さらっと自分の現状紹介した。
わたしのような、田舎モンには、ちゃんとはっきり口に出して説明してくれないと、全くわからない。
ごくごくごくごく普通の人だと思っていた。
ある程度は偉くなっているとは想像していたが、
あら、まぁ、なんと、すごい人になっていた。
同級生の1人が、雑誌を持ってきていた。
「成功した日本人500人」という本。
あら、まぁ、なんと、500人の中に入っていたのか。
実業界ではあるが。
住まい(自宅)や、仕事の事、アメリカの大学院での学友、交友があった人の名前を耳にすると、目がまん丸になった。
なんと、なんとなんと、なんと。
田舎モンのわたしには、映画かニュースの世界。
それもご本人が言わなければ、全く気づきもしなかった。
やはり自己申告は大事かと思った次第。
先日、その同級生と同窓会で撮った写真がリビング収納棚から出てきた。
彼は、家族を連れて、同窓会が催されたホテルに泊まっていて、二次会で子供たちとも一緒に写真に写っていた。
その子供たちは、今は成長し、そのうちの一人は時々、突然、テレビでお目にかかることがある。
知らなければ全く知らないことだった。
元同級生ご本人が自己申告したからこそ、わたしは知った。
元同級生だからと言って、わたしとは何の関係もないが。
同じ時間に同じ場所で、同じ教育を受けたに過ぎない。
それにしても、その後は雲泥の差、開きがある。
挨拶をした時、彼はわたしの近況を覚えていてくれたけれど。
その記憶力、頭脳明晰、さすがだと思った。
やはり、人は、生まれながらに優れたギフテッドな面がある、と、つくづく感じた次第だ。
わたしは自己申告には自信がない。
なぜなら、隠れ自慢か卑屈か、謙遜しすぎて嫌味か、ちょうどのところはない。
周りの空気を見て、自分を出そうとするが、ほぼほぼ出さないことになる。
透明人間。
これは、内気な人の特徴らしい。
内向的。非社交的。
この元同級生の話、自慢になるかも知れない。
もし、自慢だとしたら、悲しい自分だ。
自分ではないこと、もの、人を自慢するなんて。
卑屈。
自分はどうなの?
それに尽きる。
かえってギャップが哀れ。
とは言え、現代は、封建時代ではなく、身分制度はない。
そして、共産主義社会にでも、貧富の差はあるようだし。
なんでも、長い時間続くと、安泰には影が差す。
ちなみに。
トランプカードのゲームで、「大富豪」というのがある。
小学2年の孫も参加するが、5歳の孫はまだ参加できない。ババヌキが、せいぜい。
この「大富豪」、わたしの学生の頃は、「大貧民」というゲーム名だった。
時代が変わると呼び名も変わるようだ。
ポジティブに変換されていた。
その中に、わたしが学生時代にはなかったルールで、「革命」というものがある。
最近になってから初めて知った、この追加ルールに、マゴマゴ、オタオタ。
同じカード4枚を出すと、今までの最強カードが、最低カードに、全てがひっくり返る。
まさに大富豪から大貧民への転落。
さらに「都落ち」というルールがあり、1位になれないと2位ではなく最下位になる。
革命とはよく言ったものだ。
この「大富豪」、最近では小学生の孫たちに負けている、、、。
面白いのは、娘夫婦。
子供(孫)に負けるわけにはいかないので、真剣。
真剣ぶらずに真剣なところが笑える。
何でも、余白があると楽しめる。
余白だらけ。
中身はどこへ?
いまだにわたしは、自分を「伸びしろしかない」と、とっているが、、、
人様に出来の感想を「のびしろしかないです!」言う時、褒め言葉になっているのかなっていないのかよくわからない。
ひょっとして気を悪くされているかも知れない。
※写真は、大阪・関西万博アゼルバイジャン館、内部。
しつこく引っ越し先も、貼り付けます。
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