常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

小柴山

2024年10月13日 | 登山
尾花沢と大崎市の県境にある花立峠。この峠の左に禿山、右に小柴山(1055m)がある。峠への道は山形県側が通行止めになっており、ここに至るには鳴子温泉を経由して行く。この日張り出してきた高気圧に覆われて山は秋の青空が広がった。1000メートル付近の気温は寒からず暑からずで今年一番の山日和になった。朝方みごとな雲海が眼下に見えたが数十分できれいに晴れた。峠から小柴山の頂上まで約3.5㌔、瘤のようなピークが3つ、標高差にして530m、所要時間は4時間。秋のキノコが出始めていた。

登山道は仮払いもあり、ゆったりとした傾斜で高齢者の脚にも優しい登山であった。尾根道から宮城県の集落が垣間見える。小沼を連ねたような黒いかたまりはメガソーラであった。スギの木立のなかに大きな面積を占める。自然の景観と対比すれば違和感がある。冬の気候を考えれば、この地区の立地は効率がよいということであろうか。目を北に向ければ禿山の形いい山容が間近だ。秋になって4度目の山行、やや足も馴れてきたいうことか。ユーチューブで高齢者の歩き方のチャンネルを見ている。年とともに後ろ足の間隔だ狭くなる。若い人との違いはその一点らしい。前は自然に出るが後ろ足の残り、幅が小さくなる。手の降り方も後ろの振ることを意識する。そのことで肩が丸くならないことが分かる。

朝の気温が一気に下がった。薄い掛蒲団では足らず、通常の布団をだした。夏がすっかり終わらないうちに冬の入り口に来た。標高の低い小柴山は紅葉にはもう少し日数がかかりそうだ。境田にある分水嶺、あたりにトンボがしきりに飛んでいた。山行参加者7名、内男性3名。
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銀杏

2024年10月10日 | 日記
公園のイチョウの木にたくさんの実がなった。いままで気づかなかったから今年から実をつけるまでに成長したらしい。秋の気候になって実が木のもとに落ちはじめた。以前は千歳公園やお寺のイチョウの木を探しに行ったものだ。実を拾って匂いのする皮を剥いて水で洗い、乾燥させて銀杏にする。封筒にいれてレンジでチンすると鬼皮がはじけてエメラルドグリーンの実が出てくる。熱いうちに塩をつけて食すれば格好の酒のつまみだ。尾花沢の親戚にイチョウの木があり、一冬で食べきれないほどの銀杏をもらった。朝の味噌汁の4粒入れて二人2粒ずつ毎朝食べる。ほのかな苦みがあり、秋の味覚は身体にいいと言われて食べ続けた。親戚の従兄も一昨年亡くなり、銀杏はスーパーから買うようになった。だが気候の異変か乾燥しすぎて実が固くなり食べられなくなり返品することになった。それ以来、スーパーにも銀杏は置かれない。久しぶりで拾う銀杏は懐かしい味だ。

銀杏を焼きてもてなすまだぬくし 星野立子

早めに収穫した銀杏はヒスイ色で柔らかく高級品とされる。この数日味噌汁に入れた銀杏は実にヒスイのような色で新鮮な食感だ。調べてみると銀杏には炭水化物、食物繊維、脂肪、タンパク質、ビタミン各種、ミネラルなど栄養も多い。古来、薬用として中国で用いられてきた。ただし、多食はある成分のため危険とされる。身体にいいと思って、毎日2粒ほど食べるのが一番いいようだ。


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尾瀬の草紅葉

2024年10月08日 | 登山
山の鼻小屋に1泊して尾瀬ケ原の草紅葉を見に行った。台風の影響か予報は曇り、のち雨。てんくらもcマークが続いた。6月に小屋を予約済で今更変更もできない。思い切って計画を実行、すると奇跡が起こった。6日の日曜日はあがりの曇り、7日はさわやかな秋空が広がった。もう高齢で小屋泊まりも最後という考えでグループを2班に分け、早朝に至仏山に登る4名と脚のに自信のない尾瀬ヶ原散策グループが8名。一番驚いたのは人出の多さだ。家族連れ、ツーリズムの団体、若い人たち、外人客(欧米系)などなど。すれ違う人、追い越していく人、狭い二本の木道は鳩待峠から山の鼻まで、その先も延々と続いている。聞けば、尾瀬の植生を守るための道らしい。これほどの人が原のなかに道をつくると貴重な尾瀬の植生はたちまち失われてくらしい。

草紅葉は今年の秋の暑さで思ったより進んでいない。だが、今回の散策で夕方の曇りと朝日の当たる早朝の紅葉の景色を比べることができた。夜露をふくみ朝日をあびる尾瀬ヶ原の景観はみごという形容のほかにおもいつかない。近景から遠くにいくにしたがって紅葉はグラデーションをかけたような変化が見える。池塘が点在する地点では水面に映る雲と逆さ燧がくっきりと。日本山岳会の創始者のひとりである武田久吉は昭和4年同じ尾瀬ヶ原の山の鼻で秋の景観を堪能した一文がある。

「朝日は至仏山の頂を照らしていた。しかし春と違って、鳥の声ひとつしない尾瀬ヶ原の秋は、静寂の極である。輝く旭日にシラカバの幹は白銀の如く光り、緑濃いカラマツの梢は、エメラルドの新緑美こそないが、晴れ晴れしい色で、もう赤味がかった原の草と、美しい対照をなしている。すがしい朝の気分。きのうの薄暮とは全く趣が変わって、日崎山の頂をかすめて飛ぶ白い雲にも活気がある。」

今から百年近くも前にみた武田久吉の景色と、今見る景観には同じ感触がある。この自然を守る東電や自治体の努力がそのことを実現させてくれている。遠い山には行けない体力のなって、最後の希望がこの地の再訪であった。秋の紅葉めでながら自然美を堪能することで、自分の思い出のしめくくりとなる。
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不思議な秋

2024年10月03日 | 日記
昨日ほぼ真夏日。一転して涼しい朝。天高い青空のなかひときわコスモスが美しく、曼殊沙華は高温で白くなったような気する。ザクロが色づき、こぼれ萩が散歩道を彩っている。秋が深まっているはずなのに時おり夏がぶり返す。今年は不思議な夏だ。不思議と言いながら、これが定番の秋になるのかも知れない。今朝はローズマリーをお茶にして飲み、バジルとセイジの花を仏壇と食卓に飾った。春に植えたハーブが秋になってもう三月以上も花を咲かせる。かわいい花が仏壇に毎日飾ることができる。花屋の切り花を買う必要もない。先月の米不足は何であったのか。新米の季節になって米の値段が上がった。こんなに上がるのであれば生産調整など必要ないのではないか。

昨日、医院でマイナ保険証を使った。暗証番号を間違って押してしまいロックされてしまった。ロック解除は市の窓口にと表示されている。銀行でもネットでも一度間違いでロックされることなどない。デジタルの便利さのみ強調されているがこんな小さなことで一々市役所の窓口にいくようではこのシステムの普及はおぼつかない。市の窓口では、「もし事情があれば郵送にて手続きもできる」との説明であった。寝たきりや独身の高齢者には、このデジタル化は便利どころかできないことを強要しているように見える。

台風、地震。今年も列島を襲った。人々は安堵の気持ちで日を送ることもできない。『方丈記』に鴨長明はそんな天災に見舞われた時代に、ひとり琴と琵琶をを携えて方丈の家に隠遁生活をおくった。
「モシ余興アレバ、シバシバ、松ノヒビキニ秋風楽ヲタグエ、水ノ音ニ流泉ノ曲ヲアヤツル。芸ハコレ拙ケレドモ、人ノ耳ヲ悦バシメントニハアラズ。ヒトリ調べヒトリ詠ジテ、ミズカラ情ヲ養ウバカリナリ。」
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十月

2024年10月01日 | 日記
十月の声を聞いて歩くとふと懐かしい香りが立った。キンモクセイの花は香りで知らせてくれる。足元には曼珠沙華の赤い花が目立っている。暑い、暑いと言っているうちに秋も半ばである。この日、石破首相が政権についた。正論を言い続けてきた石破氏がどんな政治をみせてくれるか。内閣の布陣をみてもそんなに変わるとは思えない。スーパーの売り場で小さなサンマがこじんまりと並んでいた。新米も売り場に並ぶようになったが5㌔の袋が3000円を超えている。どの売り場も値段がすっかり変わってしまった。

十月やこめかみさやに秋刀魚食ふ 石田波郷

もう七輪で煙をもうもうとさせて食べた秋刀魚も自由に手に入らない。庶民の秋刀魚も食卓から遠い存在だ。知人から栗をいただいた。十月にちなんで今夜は栗ご飯。剥いた栗10個、米4合、みりん大匙3,白だし大匙3、塩小匙1.5。水を分量入れて炊き上げる。ささやかな秋の味覚。
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