万葉集に戯笑歌というのがある。万葉集は恋も悲しみも素直に詠む歌が多いが、軽妙なやりとりで笑いを誘うものがひとつのジャンルを占めていた。鰻で有名な「石麻呂に吾もの申す夏痩せによしというものぞ鰻取り喫せ」という家持の歌があるが、軽妙なユーモアに思わず笑いを誘う。万葉集の歌の多くは、貴族たちが開いた宴会で、その場を盛り上げる余興として詠まれたものが多いことも、戯笑歌の存在の理由かもしれない。
石川郎女という女流歌人がいた。額田王とならんで多くの男性との恋の冒険を試みたやり手の女性である。近所に大伴田主という美男子が住んでいた。この男は、有力者大伴旅人の弟で身分の上からも申し分がない。郎女はなんとかこの美男子を陥落できないものかと計略を考えた。ある夜、郎女はお婆さんに扮装し、小鍋を片手に田主の家に行き、「隣の貧しい女ですが、火種を分けてもらえませんか」と言った。田主は取り合う風もなく、「どうぞご自由に。火種ならそこの竈にありますよ。」と言って家に入ってしまった。明くる朝、郎女が田主が贈った歌
遊士(みやびお)とわれは聞けるを屋戸貸さずわれを還せりおその風流士 郎女
みやび男と評判の田主さま。でも評判だおれですね。一夜の宿も貸さずに私を返すなんて、鈍感な間抜けた風流人だったのね。
この歌を見て、田主は夕べのお婆さんが郎女であることを知って、慌てずに返歌を送った。
遊士にわれはありけり屋戸貸さず還ししわれぞ風流士にはある 田主
相手の語句をそのまま使って返すの応答歌の気のきいた手法と考えられていた。こんな、応答が宴会の居並ぶ貴族の前で披露されれば、満場の喝采を得たに違いないであろう。
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