今日、秋田県との県境にある甑山に登る。台風の悲惨な被害を受けた人々には恐縮するのみであるが、台風が過ぎていった後の空の美しさには感嘆の声をあげてしまう。その景色をみるとき、地上に起きていることのすべてを忘れて見入ってしまう。快晴、気温15℃、無風。どこから見ても、山を楽しむのに最適の条件である。
ここは前森林道からブナ林の峠道を甑峠に向かう。甑峠が秋田県との県境である。絶好の登山日和とあって、6組ほどのグループに会う。その大半は秋田県の登山者だ。挨拶を交わせばすぐに秋田人であることが、言葉の抑揚で分かる。甑峠から女甑山の登山道に入る。入り口に黒く実った山ブドウを見つける。キノコの出は少ない。紅葉は尾根に出てから、少しだけ見ることができた。
甑峠の急峻な尾根道を約1時間上り詰めて得られるのは、360度の眺望である。なかでも青空に聳える冠雪した鳥海山は、まさに出羽富士の名に値する。こんなに美しい鳥海をみるのは、めったにない僥倖というほかない。登山仲間の表情には、この僥倖を得た喜びが現れている。
線路越えてをりをり吾は来るなり白くなりたる鳥海山を見に 斉藤 茂吉
空襲を避けて上山から大石田に疎開した斉藤茂吉は、大石田の地で病に臥した。病名は左湿性肋膜炎であった。昭和21年の春のことである。38度ほどの発熱が続き、病床で花を写生して自らを慰めた。大石田で見た鳥海山は遠くさほど大きくは見えない。甑山からの眺望には比べるべくもない。
男甑と女甑の中間にある男女のコルで、東京から来たグループにであった。人混みのなかで生活している人たちが、この静かな山に来る理由が分かるような気がする。聞けばこの近辺にある巨木を見ることが目的のひとつであると語った。ブナ林のなかに大カツラがある。すでに幹の半分が朽ちかけ、樹齢すら不明であるという。樹高25m、幹周り18mなお青々した葉を茂らせていた。たしかにこの巨木の神秘的な生命力は、東京からでも来てみる価値がありそうだ。
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