熊野神社の祭礼が、4月30日に行われる。村の鎮守として、この地方でも熊野社がいくつもある。道路を横断して提灯を飾り、樽神輿が家々のまわりを担ぐ風習もある。子どもたちが担ぐ神輿では、家々で喜捨を用意して渡す。この祭りが過ぎると、いよいよ田植え始まる。熊野本山は古くから、祖霊の集まる死者の世界として信仰を集め、この地の南の海上には、補陀落浄土があるとされ、死者を船に乗せて送ったり、生きながら舟で浄土を目指して渡海するものもあった。
平安時代には宇多法皇が熊野を参詣して、熊野御幸が始まるが、院政時代にはこの信仰がピークを迎える。天皇、上皇、女院、権門の参詣が相次いで行われた。これは、安穏と長寿を祈願するための華やかな行事であった。やがて、山に籠って修行する山伏が、信仰の普及を担い、宿坊を営み、山域を案内するものは、御師として顧客を持つようになる。御師たちはそれぞれ受け持ちの国を廻って、熊野信仰の普及に勤めた。熊倉時代にできた熊野社は、全国で3000社を超えたという。この熊野の伝統は、今日まで連綿と続いてきた。
補陀落や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます