常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

月山姥ケ岳から湯殿山へ

2019年04月20日 | 登山

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2週続きの登山日和。姥ケ岳からの朝日連峰のパノラマを堪能した。動画でそのスケールの大きさを撮影した。一夜明けて、外を見ると、雨の降った様子が見て取れる。空には雲が広がっている。何という幸運であろうか、この山行を計画して3年目だがことごとく悪天のため中止になっている。きのうのような好天は、実に低い確率なのだ。

月山から湯殿山へ、この地域の周辺の人にとっては、信仰と歴史の道である。上山で育った斎藤茂吉は、15歳の初詣に父に連れられて登っている。随筆『念珠集』に、茂吉はその時の思い出を書いている。3日間を要する長途であった。本道寺の宿坊に1泊、志津から先は先達に連れられて、湯殿山へ登っているが、石跳川をどのあたりで登ったか詳しくは述べていない。ただ、雨と風のために危うく川にはまりそうになり、ずぶ濡れになった行った苦難の初詣であった。成人になるということは危険な状況にも対応できる胆力を養う。当時の人々は、山深い湯殿山神社へ自力で参拝させることでそのことをなし遂げようと考えたのであろう。

8時10分、リフトを降りて、まず目指すのが姥ヶ岳の山頂である。晴天であるが、冷たい風が吹いていた。雪の上は、水分が氷って吹き付けられ、木があれば樹氷の出来ているような風だ。雪は堅く、すぐにアイゼンを履いて登り始める。ここの標高は1500m、やはり平地とは比べられない厳しさがある。一言で雄大、月山はやはり山形を代表する山だ。早朝のためかスキーヤーの数は少ない。急斜面を避けて、尾根に沿って登るが、ところどころにクレパスが顔を見せている。氷点下の気温とは言え、春は確実にやってきている。

左手の朝日連峰のパノラマを背景に、カップルのスキーヤーがスキーを担いで登ってきた。「うわー、春スキーポスターになるね」と仲間の一人が言う。人物の点景が、山々の雄大さを引き立てている。月山の夏スキーは、かっては若者たちのあこがれの的であった。

女性登山家の草分け、村井米子がエッセイに月山の春スキーを綴っている。

「スキーの重さをかこちつつ、肩にしてひと登り、弓張平へ出た。引幕をひいて舞台が現れたように、春雪白い月山、姥ヶ岳、湯殿山が、真っ青な中空に横たわっている。4月29日の、春の真昼どきの雪山は、ゆるやかに裾を曳いて、いかにも悠久の想を伝える」

当時は志津から、石跳川に沿って登り詰め、月山と湯殿山の鞍部から登るのが定番であった。今はペアリフトが姥沢から姥ヶ岳の麓まで、登ることができる。便利になった反面、かっての先人たちが、ほとんど体力の限界に挑んで、聖域に達た

ことの意味が失われたような気がする。

姥ヶ岳を下り、湯殿山との鞍部に着いたのは10時。朝の冷たい風はすでに和らいでいる。強い日差しのなか、切り立った湯殿山の頭が顔を見せている。一人の若い登山者が、この山を越えて姥ヶ岳へ向かっている。聞けば、登山コースに問題はない、とのこと。しかし、我々が使う長い下りのコースを登りに使えば体力の消費はけた違いだ。若だけに疲れも見せず、身軽に歩を運んでいた。

見た目より、意外に登りは短い。ほぼ、30分で最初のピークに着く。ここから、ふたつピークを越え、湯殿山の山頂に11時着。先週の石見堂、去年登った品倉山は指呼の内である。朝日連峰のパノラマは、その存在感を見せ続けている。

湯殿山の頂上では休憩を取らず、ネーチャーセンター向かって下山。ブナの林の中で昼食とする。朝の堅雪はすでにザクザクに緩んでいる。下山した方角を振り返れば、湯殿山から下山したトレースが道のようになって見える。ブナの姿が懐かしく感じられる。この付近の標高は1020m、時計は12時45分を指している。今回もカンジキは付けず、アイゼンだけで歩き通す。本日の参加者9名、内男性4名。ネーチャーセンター着、1時52分。総歩行距離、6.8㌔。参加者全員が春山のすばらしさを満喫。事故無く無事下山。帰路道の駅水沢の温泉で汗を流す。

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