常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪の結晶

2017年01月15日 | 日記


寒波が居座って最低気温が-7℃となった。積雪は10㎝前後で、豪雪地帯からみれば微々たるものだが、ベランダの鉢に積もる雪の結晶が見られた。昔、理科の教科書などにあったものだが、こんな身近に見るのは、北海道にいた頃以来のような気がする。山形の西の村里に住んだ歌人、結城哀草果の歌に、雪をテーマにしたものが多くある。

外套に吹き降りつもる雪見れば形さだかに立体六花また異常六花 哀草果

昔に習ったことを思い起こせば、雪の結晶は星状結晶、角柱、針状結晶などがあり、雪片の呼称に立体六花、星状六花が用いられた。写真ではなくイラストで描かれたものが教科書などに記載されていたように思う。我が家の鉢の上の雪が、哀草果の外套の上と同じものであった。

結城哀草果は、山形市下条町の黒沼作衛門の5男に生れ、黒沼光三郎といった。8人兄弟で母の母乳が不足していたので、生後40日で山形市本沢村の結城太作家に里子に出される。子がなかった結城家では光三郎を大事に育てた。3歳のとき結城夫妻は、光三郎の成長無事を祈願して、湯殿山に背負って参拝している。15歳のとき結城家の養子に。19歳で国民中学正則科卒業。

里子から養子になり、学校も中学を卒業するという恵まれた環境が与えられた。大正2年、光三郎は21歳になっていた。農家の後継ぎとして父母の農作業を手伝うかたわら、和歌を作ることに興味を持ち、土岐哀果が主宰する和歌雑誌「生活と芸術」に投稿するようになる。この時あたりから、土岐哀果から想を得たのか筆名を哀草果とした。斎藤茂吉に師事するのは、翌大正3年のことである。哀草果の雪の歌をもう一首

あしびきの山きはまりし谷あひに雪吹きつけて鴉くだれり 哀草果




コメント (2)
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