エリカはベッドで熟睡していた。昨日で担当していたプロジェクトが一段落したのだ。睡眠時間を削って、なんとかここまでがんばってきた。こんなに心地よい眠りは何日ぶりだろう。彼女は至福のときを味わっているようだった。
朝の穏やかな光が彼女をつつみ、さわやかな風が彼女の頬を撫でた。小鳥たちのさえずりでエリカは目を覚ました。ベッドの中で寝返りをうち、気持ちよさそうに伸びをした。
ふと、彼女は違和感を覚えた。何かが違う。ハッと、彼女は気がついた。色が…、色がないのだ。見えるものすべての色が消えている。目覚まし時計の赤も、観葉植物の緑も、彼女の好きなピンクのカーテンもすべてモノクロになっていた。
「なにこれ」彼女は起き上がると目をぱちくりさせて、「まだ夢の中なの?」
彼女はほっぺたをつねってみた。それも、思いっきり。
「痛い!」彼女は飛び上がらんばかりに叫んだ。「夢じゃない。なんで、どうしちゃったの」
エリカはこの現実をどう受け止めたらいいのか、まったく分からなかった。彼女は恐る恐る窓から外を見た。そこには青い空も、木々の緑もなかった。街の色すべてが灰色に染まっていた。彼女は、しばらくそこから動けなくなっていた。
エリカは診療所へ行くことにした。子供の頃からの掛かり付けの小さな診療所。そこの先生はどんな病気や怪我でも、たちどころに治してくれた。まるで魔法のように。
「大丈夫よ」エリカは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。「色がないだけで、ちゃんと見えてるじゃない。なんの問題もないわ」
彼女は玄関の扉を開けて外へ出た。いつもの光景。エリカはほっと胸をなで下ろした。家を出て、いつもの道を歩く。周りの人たちも、彼女の異変に気がつくはずもなかった。しかし、最初の交差点に来て彼女は愕然とした。信号が、何色か見分けがつかないのだ。
「どうしよう」彼女は必死に考えた。「そうよ。みんなと同じにすればいいじゃない」
彼女は他の人が歩き出したら青、止まっていたら赤と判断した。
その診療所は古びたビルの中にあった。表に看板が出ているわけでもなく、通りすがりの人にはまったく気づかれそうになかった。診療所に入ると、待合室には誰もいなかった。彼女自身、この診療所で他の患者さんと出くわしたことなどなかった気がする。こんなんでよく続けられるなと、エリカは不思議でならなかった。彼女は待合室の椅子に腰掛けた。ここの先生なら治してくれる。なぜか彼女は、そんな確信のようなものを感じていた。
「どうされました?」温和な顔の白髪の先生が聞いた。「どこか、調子が悪いのかな」
エリカは今までのことを説明した。世界が灰色になってしまったことを。先生は、カルテに何か書き込んでいたが、彼女の顔を見て微笑んだ。
「心配ありません。いろんなものを見すぎたんです。インクを交換すれば直りますよ」
「インク…」エリカは首をかしげて、「交換って、どういうことですか?」
「すぐに終わりますよ。カートリッジを替えるだけですから」先生はそう言うと、彼女の両方の耳たぶを引っぱった。すると、彼女はすべての機能を停止させた。
<つぶやき>あなたは、友達の耳たぶを引っぱって確認しないでね。怒られちゃいますよ。
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