なりたいじぶんになる (旧30代後半女子・TGP込みの日記)

結婚2年目で3回目の人工授精で妊娠!2014年に長女出産。2018年、2回目の体外受精で次女出産。アラフォー母の日記。

義両親との確執

2014-04-08 09:34:02 | 産後
出産前後で、義両親に対しての不信感がメラメラと湧き上がることが数件起きた。思い出しても腹が立つ。


まず始まりは、陣痛があり産婦人科に入院した翌日、義父が病院へ来たこと。
その時は陣痛はすっかりおさまっていたのでまだよかったのだが、いきなり病室へノックして義父が一人で来たときには驚いた。
「まだ生れてませんけど・・・」
その一言に尽きる。

旦那さんには、義両親へ、私が入院したことは伝えてもらい、さらに生れてから病院へ行くようにとも伝えてもらっていたにも関わらずのこの行動。

とりあえずその場は雑談し、にこやかに対応したのだが、内心は、ムカムカ。
なんか早く生まなければというプレッシャーを感じたし、生れてもないのに、しかも義父のくせに来たということにめちゃめちゃ腹が立った。

よって、だんなさんに告げ口。


さらに二つ目の事件。
出産当日、陣痛促進剤により、陣痛が来ていて、だんなさんもまだ来ていなくて結構しんどい時に、助産師さんに「お父さんお母さんが来てるけど、(LDRに)入ってもらっていい?」と言われた。
自分の親かな?と思い、入ってもらうことにすると、なんと再び義両親。義父に至っては二日連続の来院。
私、陣痛のさなかだが絶句。 
「まだ生れてませんけど・・・」
「すごく痛いんですけど・・・」

大丈夫かなどと心配してくれたりするものの、返事をするのもめんどくさいししんどい。
にもかかわらず、義父は、助産師さんに「これは何の点滴ですか?」とか「おなかを切る必要はないですよね」とか話しかける。ただちに帰ってくれとおもいつつも、結局20分くらいはいただろうか。
激励されて、とりあえず帰った。

直後に、助産師さんに「今来られても困る」と愚痴ると「本当だよね。生れてから来てほしいよね」と賛同してくれた。
本当に何しに来たんだろう。後日聞くと、わたしが陣痛中に一人だと不安だろうからという意図で来たらしい。余計気を使うわ!



そして3つ目の事件。
とりあえず無事に出産できた。自分の両親は、県外だが翌日の夜に病院へ来るという。私としては、夜にわざわざこなくてもいいと、来たとしても面会時間まで少ししかないからまた後日落ち着いてからでと言ったが、両親はそれでも翌日に来るという。まあいいわと思い、了承。

ただ、義両親へ対しては、生れる前の2回の訪問事件により、出産翌日のしんどい時に会いたくないという思いがあり、病院へ来るなら産後2日目以降にしてもらうよう、旦那さんからそれとなく伝えてもらっていた。

ただ、何かの拍子に、自分たちは翌日に来るなと言われたにも関わらず、うちの両親は翌日に病院へ来たということが義両親にバレ、義両親がご立腹。
自分の親は呼んだのに、俺らは来るなと言われたとか、だんなさんに愚痴っていたそう。だって会いたくなかったし。
だんなさんもうまいことごまかしてくれたらいいのに、そういう立ち回りがへたくそなので、私をフォローしてくれなかったみたいで、それに対しても腹が立った。 わざわざ、そのことで義両親が怒っている、というのを私に伝えなくてもいいのに、わざわざ言ってくる、だんなさんのデリカシーのなさ。
ほとほとあきれた。


で、最後の事件。
出産後2日目に義両親がだんなさんと一緒に病院へ来た時のこと。
この時に、初めて娘の名前と感じを伝えた。すると、少し変な反応をした気がしたが、その時はあまり気にしていなかった。以前にも、義父は「名前は二人で決めたらいい」と言っていたし。

が、その日の夜、旦那さんが再び病院へ来て、義両親が娘の漢字に対して文句を言っているとのこと。今の漢字だと読みにくいから、パッと見てすぐにわかる漢字に変えなさいとのこと。
私、絶句。
またそれを考え直そうとしているだんなさんにたいしても絶句。
今までの事件の数々や、漢字事件によりとどめをさされてわたし、病室にて大号泣。一生懸命妊娠生活を送り、壮絶な痛みに耐えて出産したにもかかわらず、名前さえ自由につけれないのか。 また、なぜだんなさんはわたしをかばってくれないのか。 なんでこんなにも義両親は自分勝手なのか。もう、義両親とはかかわりたくないし、早く実家に帰りたい。
とりあえず、激しく泣いて、だんなさんにもブチ切れた。出産直後の女のホルモンバランスの乱れ、なめんなよ!

で、わたしの様子を見てやばいと思ったのか、だんなさんは病院からの帰り、直接実家へ行き、義両親の説得を試みたらしい。
が、義両親、一歩も引かず。さらに、「今後の(私たち夫婦との)付き合い方を考えないといけない」とまで言ったらしい。意味わからん。

実家でのだんなさんと義両親とのやりとりを聞き、ますます辛くなって、一人で号泣。
娘がかわいそうになってきた。
ちょうど、その日は母子同室で、娘の寝顔を見れていた。
かわいいな~。本当にかわいい。いとおしい。
名前そのものに反対はしておらず、漢字の一文字に対して反対している。義両親がいう漢字は、第2候補ではあった。このまま自分たちが思っていた漢字にすると、きっとこの先ずっとずっと何かのたびに嫌味を言われるのは目に見えている。
漢字が別のものになったとしても、娘が生れてきてくれて、かわいいことにはかわりない。
少し時間がたつと、そう思えたので、だんなさんにも説明し、結局、当初思っていたのとは違う漢字にした。 いまでもこれが正しい選択だったと思っている。

しかし、以上のことより、義両親に対しての不信感はきっと消え去ることはないだろう。
これから保育園もしくは幼稚園に入れたり、家を建てたりなど、あらゆる場面で彼らの干渉を受ける羽目になる危険性はかなり高い。
だからと言って、邪険にはできず、表面的にはうまくやっていかなければならないので、この先が思いやられる。



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産後の体

2014-03-26 06:34:20 | 産後
産前は、産後の自分の体の状態がどうなるのか、すごく心配だった。
満身創痍で、動けない、会陰切開の影響でお尻部分が痛い、むくみで足が象になる。

たまごクラブを読み漁り、そういう知識でいっぱいだったので、相当な覚悟をしていた。
が、おかげさまで、想像よりも、かなりラクな状態でいられている。ありがたい。

一番心配していた、会陰切開後の傷。もちろん私も切開され、なおかつ、会陰の内部も一部裂けてしまったようだが、初日から、円座クッションなしでもゆっくりなら座れる。
そして、オシッコもシミたりなどの痛みはなく、うんこさえできた。
切開された際には、陣痛の波に乗っていた時だったので痛み感じず、縫合の時には、チクチクしてるなー、引っ張られてるなー、と感じる程度。
先生、ありがとう!って感じ。

出産直後は、長時間横になり、長時間全身に力が入っていたせいで、足の震えが止まらず、初めて立った時には、まさに生まれたての子鹿のように、ワナワナしてフラフラして車椅子で移動したが、その後は落ち着き、産後4時間くらい経つと、ゆっくり歩け、今はスタスタ歩けるようになった。

むしろ、我が子が体内にいないから、妊娠時の、よっこいしょという感じが解消され、体の軽さ実感。

妊娠前は、仰向けに寝ることが多く、妊娠中にはそれが出来ずになかなか苦痛だったけど、今は仰向けで寝られるようになり、これまたうれしい。

おなかの感覚ももちろん違う。
出産直後にお腹をさわったら、ヘコんでいたので驚いた。9ヶ月をかけてだんだん大きくなってきた自分のお腹、毎日なでなでしていたお腹、かたい触り心地だったものが、ふくらみがなくなり、でも伸びきったお肉はブヨブヨ柔らかくて、とにかくまるで感覚が違う。出産直後から、助産師さんが、骨盤ベルトを巻いてくれ、今もずっと巻いてるのだが、このお肉、戻るのだろうか。不安。

あと、おっぱい。妊娠中も、乳首をギューっと絞ると、本当にゴクゴクわずかに、にじんでいたが、今はその量が増えた。もちろんまだまだ満足のいく量は出ないが、助産師さんによると、私のおっぱいは、乳首のかたさも長さもいいし、今の段階にしてはよく出ていると、褒めてもらえた。

妊娠中に、いろいろ知識を得て、逆にそれが不安になるパターンもあるが、私の場合は、知識を得て覚悟をしていたぶん、それよりラクだったから、ツイテると思った。


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