なりたいじぶんになる (旧30代後半女子・TGP込みの日記)

結婚2年目で3回目の人工授精で妊娠!2014年に長女出産。2018年、2回目の体外受精で次女出産。アラフォー母の日記。

陣痛から出産まで その3

2014-04-29 08:23:07 | 出産
だんなさんと二人っきりになったLDR。
でも、なんだか陣痛はあるのだが、和らいでいる気がする。あれ、これならいけるかも。

そんな感じで陣痛をやりすごしていたら、別の妊婦さんの出産が終わったのか、助産師さんがこちらに戻ってきてくれた。
「お~、やっと来てくれたんですね!」と思っていたら、陣痛促進剤の点滴を調節し、「量を下げていたけど、また増やすからね~」と衝撃の一言。

どうやら、別の妊婦さんの所へ行っている間、促進剤を減らしてコントロールしていたらしい。どうりで痛みがマシだったわ、と納得。
しかし、一度弱まった痛みが強くなるなんて、本当に恐怖。
すぐさま、痛みは増して、またいきみたい地獄に突入した。

あ~、あとどれくらいの時間この痛みと戦うんだろう。などと、思っていたら、助産師さんが「今日中には生まれるからね~」と一言。
ず~っと目をつぶっていたので、時間の感覚が全くなかったのだが、その日のうちに生まれると聞いたことで、ゴールが見えた気がして、この言葉には助けられた。

そんなこんなで陣痛、いきみたい地獄を過ごしていたら、ついに「いきんでみる?」と助産師さんが言ってくれた。
その言葉をなによりも待っていたんだよ!いきむ!いきむ!

で、待ちに待ったいきみ。助産師さんの掛け声に合わせて、まさにうんこをする時の感じでめいっぱい肛門周囲へ力を入れる。
「そうそう、その方向よ!上手上手!」
助産師さんにそう言われ、死にそうに苦しいながらも、ほめれれると嬉しいもんで、「わたしっていきむのうまいんだ!」と自信がついた。

いきみ上手のわたし、何回いきんだかはわからないが、「頭が見えてきたよ!触ってみて」と言われ、手を持っていくが、柔らかくベチャベチャしている。予想していたわが子の頭の感触とは違ったが、これには俄然やる気が出た。

いきみが解禁されたものの、いきみ自体に相当量のエネルギーを使い、疲労がハンパない。
そんな中、助産師さんと先生が、「切る?」「はい、ちょっと切ってもらった方が」と、会陰切開をするかしないかについて相談。
会陰だろうが、お腹だろうがなんでもいいからとっとと切って、早くわが子を出してくれ、と心の中で切に思った。
そして会陰切開は陣痛の波に合わせて行われたみたいだが、やはり切開自体の痛みは感じなかった。

無事に会陰切開は終わり、何度いきんだかわからないが、突然すごい痛みを感じ、思わず「痛ったあ~い!」と叫ぶ。
すると、「今、頭が出たからね~!」と助産師さん。
だから痛いのか。股に何かが挟まっている感覚で、とても痛かった。

で、今度は、いきまずに「ハッハッハッ」という短息呼吸をするよう指示。そして、足の力を抜けとしきりに言われる。自分では抜いているつもりだが、「まだ力入っているよ。腰を浮かさずにベタ~っとベッドにつけて!」と先生にも言われる。
昔からの優等生気質がこの場面でも発揮され「よし、先生の言うことをちゃんと聞いて、できる妊婦だと思われたい!」という気持ちで、なんとか言われるようにやってみる。

何回か、ハッハッハをやっていたら、今度はスルッと、なんともすっきりした爽快感を下半身へ感じた。

「生まれたよ~!」

ず~っと聞きたかった言葉をやっと聞けた。そして「オギャ~オギャ~!!」というわが子の元気な声も。
達成感と同時に、なんとも言えない感動がわいてきて、号泣。
わが子の「オギャ~オギャ~!」に負けないくらい、「ウエ~ン!」と泣く私。
隣を見ると、だんなさんも泣いている。だんなさんの涙、初めて見た。

助産師さん達が、わが子を一旦きれいにしてくれて、私の胸の所へ連れてきてくれて抱かせてもらった。
「かわいい~!」と、心の底から思い、また号泣。
ちっちゃくて赤くてまだしっとりと濡れているわが子。この子がずっとお腹の中にいて、今こうやって無事に生まれてきてくれたことに、本当に感謝した。
狭いところを、長い時間かけて出てきてくれて、わたしたち夫婦に会いに来てくれてありがとう。本当にありがとう。
そんな気持ちでいっぱいだった。また、それと同時に、やっとあの痛みから解放されたという嬉しさも、ずんずんこみあげてきた。

で、その後は会陰切開部の縫合や胎盤を出したりなどの後処理をし、その最中にふと隣のだんなさんを見ると、首をもたげている。
あらあら、まだ感動してないているのかな、と思っていると、だんなさん、顔をあげた。
すると、顔面が真っ青。

「大丈夫?しんどいの?」と聞くと、かぼそい声で「うん」と一言。
先生や、助産師さん達も、だんなさんの方を見ると、彼らから見てもだんなさんは顔面蒼白だったようで、「ご主人
、ちょっと横になって休んだ方がいいよ。(看護師さんに)ご主人の血圧はかってあげて」と指示。

のろのろとした足取りで、畳のある場所まで移動し、言われた通り横になるだんなさん。
なぜあなたがフラフラになるの?
なぜわたしが、あなたの方を心配しているの?

なんとも変な状況になってしまった。
後で聞くと、出産時に、出血を見たことや、生まれてすぐ、わが子の酸素飽和度がやや低く、先生や助産師さんのやりとりを聞いていて不安になったらしく、それにより気分不良になったらしい。

しばらくわたしの処置は続き、だんなさんもしばらく横になっているとマシになったらしい。
LDRの部屋で、それぞれの場所に横たわる夫婦。本来なら感動で包まれる状況でさえ、わが夫婦の場合は滑稽だわ。
さすがだんなさん。

回復した様子のだんなさん、その時深夜1時ころだったので、もう帰るよう指示。
ただ、自転車で病院まで来ており、自宅までは30分近くかかり、無事に帰ったかどうか心配なので、着いたらメールするよう指示し、帰宅させた。

その間もわたしはLDRで一人で休憩。そういえば、足の震えが止まらない。何時間も痛みと戦い、それに耐えるために足を踏ん張っていたためだろう。
ある程度時間がたち、トイレに行くために立ったが、うまく力が入らず、すぐそこのトイレに行くのにも、車いすで移動した。 生まれたての小鹿状態。

出産って、女性にとっては人生で最も体力を使う行為なんだろうなと思う。
で、お腹をふとさわってみると、ペタンコ。数か月、ふくらんだお腹と過ごしてきたのに、突然ペタンコになり、なんとも不思議な感覚だった。

そうこうしていると、2時間くらい時間が経っており、病室へ移動。もちろん車いすで。
「今日はゆっくり休んでね」と、助産師さんに声をかけてもらい、ベッドへ寝た。

病室で一人になり、そういえばだんなさん、もう家に着いているだろうに、メールがないなと思い、電話。
すると、さきほど帰宅したとのこと。思っていたよりも遅いなあと、言うと、なんと帰宅途中にお腹がすいていたため、深夜にも関わらず、すき家へ寄り、牛丼を食べていたとのこと。

気分が悪くなったのにもかかわらず食欲は健在。
深夜にも関わらず牛丼。
色々なことに驚き、相変わらずなだんなさんだわと、呆れ気味で眠りについた。


出産から1カ月経過。だいぶ記憶は薄れてきてはいるが、これで出産レポートは完。


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陣痛から出産まで その2

2014-04-17 09:09:56 | 出産
出産からはや3週間経過。出産時の記憶も薄れてきているが、覚えている範囲で記録しておこうと思う。


陣痛がいよいよ始まってきたのが午後3時ごろ。
一人だったので、陣痛の波が来たときは、ひたすらお腹をさすってまぎらわしていた。目を開けておくのもつらい。

そうこうしていると、先に投稿したが、たぶん午後4時過ぎに、義両親がのこのことLDRへ入室。
何しに来たの?!
とっとと帰れよ!
話しかけんな!
生まれてから来い!

言いたいけど言えず、とりあえず話しかけられても最小限の返答で対応。今思い出しても腹が立つ。

やっとやつらが帰り、そうこうすると、仕事を終えただんなさんがやってきた。
おー、やっと来たか。陣痛は激しくなっており、自分はお腹をさするから、だんなさんは腰を担当してもらうよう指示。

で、来て10分も経たないうちに、だんなさんから衝撃の一言。

「ごはん買ってきていい?」

はあ~~?
陣痛中だが自分の耳を疑った。

陣痛で痛くて苦しんでいる妻を目の前にして、自分の食欲を優先する夫38歳。
よくもまあそんなことが言えるもんだ!

痛みで目を開けるのもつらいし、話すのもつらかったが、力を振り絞って「何考えとん?」と一喝。
当然だろう。もしくは病院来る前にどっかコンビニでも寄って買ってこい!こんな時でさえ要領の悪いだんなさん。ほんとに彼には参った。

とりあえず買い物へ行くのは我慢しただんなさんに朗報。
LDRに、わたし用の晩御飯を職員の人が持ってきてくれたのだ。
もちろんわたしは食べることもできず、「それを食べて」と言ってだんなさんに分け与えた。

LDRの部屋には分娩台と畳のスペースがあり、だんなさんは畳のスペースに座って食べようとしていたので、分娩台の方へごはんを持って来いと伝え、陣痛が来た時には腰をさすってもらい、おちついている隙に食事をしてもらうということにした。

とりあえずだんなさんの晩御飯問題も解決。どんどん陣痛はひどくなる。
時々助産師さんがきて内診をしてくれるが、「あまり変わってないね」と言われるとがっかりし、「だいぶ開いてきたよ。」といわれると、しんどい時でも「よっしゃ!」と思えていた。

で、お腹と腰が痛かったのが、次第にそれプラスうんこをしたいような感覚がでてきた。いわゆるいきみたいという衝動。LDRで読んでいた出産体験の本には、多くの人が「いきみたいのにいきめなかったのが本当につらかった」とあったが、それがよくわかった。

うんこを思いっきりしたいのに、したらダメと助産師さんに言われる。その代わり肛門をグーで押さえてくれていた。このグーがとっても助かった。おしりを完全に見られていて、ちょっぴり恥ずかしいという気持ちも最初はあったが、だんだんそんな恥じらいなど吹き飛んでいく。
トータルで何回押さえてもらったかわからないが、このグーにより、かなり我慢できていきみを逃がせた。

ただ、助産師さんもずっとわたしの所へいてくれるわけではなく、それに加えて夜勤の時間帯になったのでスタッフさんはおそらく助産師さん一人と看護師さん一人。
助産師さんがグーをしてくれて、声かけをしてくれている時に、看護師さんが慌てて入ってきて、二人ともいなくなったのがわかった。

何事だろう?
陣痛の最中そう思った。なのでかわりにだんなさんにグーをしてもらう。ただ、ちょっと的外れなところにグーをする時があったので、いらついた。でも、いたすぎで「そこじゃない」という言葉すら言えず。

後からわかったのだが、別の妊婦さんが産気づいて病院へやってきて、その人の方が即座に生まれそうだったのでそちらの出産へスタッフの方が行っていたみたい。
その妊婦さんと後日話す機会があったのだが、彼女は陣痛に気付かず、病院へ来てからわずか1時間で生まれたらしい。うらやましい話だ。

だんなさんと二人っきりの心細い時、目をつぶっている私にも、だんなさんがあくびをしている様子や、ため息をついているのが伝わった。まじか?
あまりに腹が立ったので、残っているエネルギーを振り絞って「わからないようにあくびしてよ!」と言ってやったところ、「はいはい」と、私の気持ちを逆なでするような返事。おまえ!一生根に持ってやる!

後日この時のやりとりをだんなさんと話したところ、この日は仕事が忙しく疲労がたまっていたのだと言い訳。
こっちははるかにしんどい思いをしているのに。同情に値しない。

つづく。


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陣痛から出産まで その1

2014-03-27 06:59:32 | 出産
促進剤点滴開始から出産までの振り返り。

24日のお昼からLDRにて点滴開始。点滴をしながら、お昼ご飯を食べた。カレーうどんとおにぎりとおかず。炭水化物豊富でわんぱくメニュー、まさにこれから出産に臨む私のためのメニューだわ。

あとはヒマなんで、自分が持ってきてたクドカンの子育て本を読んだり、LDRにあった、大勢の漫画家さんの出産体験集みたいなマンガを読んでいた。

そのマンガには10人くらいの体験談が載っていたが、いきみをにがすのがとても辛かった、という人が多く、これからそれが自分の身にもやってくるのかと思うと、恐ろしくなり、こんな本読まなければよかった、と読破して後悔。

ベッドに寝て、点滴され、お腹にはNSTの時の器械をつけ、なかなか不自由な状態で過ごしていたら、少しずつ生理痛のような痛みを感じ始めた。

で、時間が経ち、点滴の量も少しずつ増えてきた。それと比例してお腹の痛みも増す。
点滴開始3時間半くらいから、今度は規則的に痛み始めた。ついに陣痛。
でもまだガマンできる。
この時点ではダンナさんはおらず、彼が来るまであと2時間。

さらに痛みは増し、お腹だけじゃなく、腰も痛くなってきた。ヤバイ。自然とお腹をさするようになる。



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