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わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

独立開業のその先

2024-03-29 23:25:35 | カイシャ・シゴト
先日、会計士の田中先生が主催するフリーランス塾のイベント「はじめの一歩」に参加(視聴)して、感動というか衝撃というか、とにかくすごい!!(語彙がw)な感想を抱いたのですが、それはかねてより不思議だなぁ、って思っていたことの一つの答えを見た感覚だったからなのです。


サラリーマンを長くやっていると自分で稼ぐ力がつかない、とか、人生100年時代、定年後も楽しく過ごすためには自分で仕事をすること=フリーランスになる、とか、なんというか、ずっと組織に属しているのはあんまりよろしくなくて、どこかのタイミングで独立したり、独立しなかったとしても副業っぽいことはやった方がいいよ、という論調が昨今では強い気がしている。


昭和のサラリーマン体質、気質のわたしとしては、組織の中でいろんなしがらみや葛藤を抱えながら働き続けるって尊いことだと思っているんだけど、昨今は、そういう働き方は「古く」て、いつまでも組織にしがみついてるなんてナンセンス!と言わんばかりに独立開業を薦められる。もちろん、フリーランスマインドというか、自分の手で稼ぐってことは大事だ。けど、独立礼賛な感じはちょっとなぁ、、、と思っていたのです。


そして、独立したとする。多くの場合は個人事業主として活動をする。法人を立ち上げる人もいる。けど、なんていうのかなー、その先が見えなくて、もやっとしていたのです。


法人化する、ということは雇用が発生する。もちろん1人でも法人は作れるけれど、仲間がいて、組織ができる、継承していく。それこそが法人の醍醐味なんじゃないかと思うのですよ。(これまた偏見、バイアスかかってるかも、だけど)


この、雇用して拡大する、ってところまで考えて独立、起業する人ってどのくらいいるんだろうな?っていうのが長年の疑問でした。どのくらいまで拡大するのか(人と金の両面で)、そして拡大した先の継承はどう考えているんだろうな、っていうのが素朴な疑問でした。ある程度の年齢になって一人で立ち上げて、一人で運営している会社って、その人が引退(仕事を辞める)=会社をたたむ、ってことなのかしら?と。継承していくこと、続いていくことも企業の役割だと思っているので、なんだかちょっともやっとしていたのです。


でも、今回のゲストのスハラさんは違った。もともと商売(自分で何かやりたくて)をしたくて会計士になり、起業を目的にしていたから、どんなネタで起業するのか、起業するにあたって足りない力は何か?を客観的に見極めながら転職して、起業した。
そして、起業した会社をどんどん大きくして、ついには上場まで。そしてご自身は、完全に後進に引継ぎ、別の会社のCFOとなる。CFOになったのも、社員に「こんなキャリアがある」という背中を見せる意味合いもあったとか。すげー。


みんながみんな、上場するような会社を立ち上げなくてもいいし、小さく事業を展開していくのだってあり。けど、どうしても独立することがゴール(目的)になってしまって、その先が描けていないような気がする。いや、ミッションとかビジョンとか、事業としてのやりたいことはあって明確に描けているんだけど、それを動かす組織をどうしていくか?まで考えがが至らないというか、別次元のもの、として捉えているように思う。よしんば上場が目標、といったように規模を追求していったとしても、継承までは視野に入れてないケースが多いんじゃないかしら。


企業経営をしていると継承は切実。これから先どんどんと少子高齢化が進んで働き手が少なくなってくるから、継承はほんとに切実。立ち上げるのは勢いでできても、続けていくこと、引き継いでいくこと、は本当に大変だし、難しい。それをやり遂げてる人がいる、ってことに気づいて、これまで会社を大きくしようだなんて1ミリも思ってなかったけど(継承は結構切実に考えてたけど)、心を入れ替えようかしら?と1ミリくらい思っている。
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過去の自分に教えられる

2024-03-02 20:50:39 | カイシャ・シゴト
絶賛、断捨離中です。主に書類の。過去のワークショップ(参加したり、作ったり)の資料や講座、講義の資料、準備のための参考資料など、紙で持っているものは見返すことがないものはバッサリ処分、ちょっと残しておきたいなぁーというTipsが書かれているようなものはスキャンしたり、そのまま紙で取っておいたり、なことを繰り返しております。


で、こういうお片付けを始めると、ついついやっちゃう「思い出に浸る」。
えぇ、今日もどっぷりと浸りましたよ。その中で出てきたA3のシート。12年前に会社の施策として【ちゑや】LIVEをやっていただいたことがあるんだけど、その時の参加者からのフィードバックシート(リフレクションシート)が集計されたもの。


【ちゑや】LIVEとは、2006年ごろからリクルートエージェントの中で行われていた社内の部署や役職の垣根を越えてイベントや勉強会等を楽しんだり、コミュニケーションを図ったりできる場のこと。当時、わたしは社内で人材育成や組織開発っぽいことを担当していて、【ちゑや】LIVE的なことをやりたいなぁーと模索していた。店主の繁さんにもグループ会社のよしみでお近づきになり、いろいろとご相談に乗っていただいていた。


Web Across リクルートエージェント【ちゑや】

Web Across リクルートエージェント【ちゑや】

グリム童話のようにファンタジックな世界観を提案する古着店

Web Across

 


社内の【ちゑや】LIVEに先立って、本家リクルートエージェントでの【ちゑや】LIVEで話題提供をさせてもらったりと、当時のわたしの営業力、突破力すごくね?とそこにもびっくり。

たのしくあやしくまじめに。 - わくわく記録帳

【ちゑや】LIVE~法改正が障害者雇用に与える影響~が無事、終了しました。めちゃくちゃ緊張したし、皆さんの意識の高さにニーズにこたえられるんだろうか?と心臓ばくばく...

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こんなにだらだらとリフレクションしていたことにもびっくり。一昔前のわたし、すごい!


3年くらいずっとあたため、根回しを重ねてやっと実現できたのが2012年の12月。
【ちゑや】LIVEでは、当日だけではなく事前の準備や終わった後にも振り返りがなされる。その振り返りシート、わたしも事務局兼参加者として記入していた。(すっかり忘れてた)



そこに書かれていたことを転記しておく。きっとこれはこれからのわたしのよすがになるような気がするよ。


・日常の仕事や職場で生かしたいことがあれば
場づくり。
場を作らなければコミュニケーションできないのか?という自問はありますが、それでも非日常だからこそ素直に語れたり、あらたまった「場」があるから語れることもあると思います。日常の中に自然に組み込むことと同時に、あえて意図的に「場」を仕掛けていきたいと思います。


・あなたは何屋?
「語らせ」屋
研修や各種イベントの事務局を通じて、参加した多くの人がとても楽しそうに語っている姿をずっと見てきました。「場」がなければ語れない、ではなく、求めている「場」を作り、語る仕掛けを作り、働きかけていきたいと思っています。


・参加された皆さんへのメッセージ
これは絶対にいい!みんなにも教えたい!という思いがわたしのエンジンで、今までの企画もそうやって行ってきました。繁さんと出会って3年、やっとそれが実現できたこと、そして、わたしと同じように、「メンバーにも体験させたい」と思っていただけたこと、それが何よりも嬉しく、新たなエンジンになりました。


基本的には今と同じことを言ってるけど、やっぱり熱量は全然違う。これが現場を持っているかどうかの違い、のような気もする。いやいやいや、現場がなくても熱量は変わらず持てるよ、って思いもある。あの頃の暑苦しいわたし、カムバーーーック!


人が楽しそうに話をしている様子を見るのが何よりも嬉しいし、これいい!って思ったことを広めたい、って思うことがわたしのエンジンなんだな。この2つはずっと大事に持ち続けていたい。
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悲願の一発受領

2024-02-20 23:55:11 | カイシャ・シゴト
毎年、この時期に出す届出。これまで10年くらいやっているけど、一度も一発受領されたことがない。ひとえにわたしの事務処理能力の低さゆえではあるんだけど、去年は受け付けてもらえた書き方が今年はNGになったり、千円単位で切り捨てるから、決算書と微妙に数字が違っていたり、ごく一般的な財務諸表上の勘定科目とは違う項目が並んでいたりと、毎回毎回、「ここ、違ってますねぇ」と指摘されては「どこがどんなふうに違うのか詳しく説明してください」とめんどくさい人発動している。


昨年は窓口に持って行った。些細な転記ミス(というか、千円単位の計算が微妙にずれてた)があったので、その場で「砂消し」で消して受領してもらった。毎年毎年、受け付けてもらえなくて、その度にぐったりと気持ちが萎えてずどーんと落ち込むのも建設的じゃない。そこで、去年は、窓口のおぢさんがどの箇所とどの箇所をチェックしているのか、どことどこの数字が合っていればOKなのかを観察した。数字の妥当性とかは見てないわけで、A欄(仮)とB欄(仮)の数字が合っていればそれで良い、ということがわかったので、今年はそこに注力して届出書を作成。


結果、無事に一発受領されました。観察の勝利。闇雲に戦っちゃダメ。彼を知り己を知れば百戦殆からずと孫子も言ってるしね。


ってか、毎年やってるんだから、一発受領されないわたしの事務処理能力が問題なのは紛れもない事実。


それにしてもこの届出、非常に謎、というか腑に落ちないことが多くて。
書き損じや記載ミスがあったときに、「砂消しゴム」を渡されるんですよね。これで消して、正しいことを書いてって。いいのか、それで?砂消しなんて何十年ぶりに見た。
財務データも数字の妥当性なんか見てなくて、記載があればいい。これって許可申請の元になるものなのに。財務状況が健全でない会社でもスルーされちゃうわけで、なんだか不思議。用紙もダウンロードできずに用紙販売所に買いに行く。正副2部手書き。流石に副本はコピーでも受け付けてくれるけど、用紙を買いに行った時に
「コピーで出される方もいらっしゃいます」
「コピーでもいいんですか?」
「コピーで出される方もいらっしゃいます」
「コピーではダメなんですか?」
「わたしどもは用紙販売所なので、コピーでいいです、とは言えないです」
という不毛なやり取りをしたっけ。結局正副用に2部買ってきたけどね。


毎年、この時期がとっても憂鬱。そんなに難しい仕事じゃないんだろうけど、初めて提出しに行った時、代変わりをしたこともあって、添付書類が山のように必要だった。そんなこと知らないし、書いてないし、そもそもこれまでは受理してくれてたのになんで???と苦手意識が芽生えすぎちゃって、それを今でも引きずっている。一発受領されたからちょっと払拭できるかな。それにしても効率化とか生産性と離れすぎていて、やっぱり気持ちが乗らない仕事なのであるよ。




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やったことは必ず返ってくるんだね

2024-02-08 23:29:57 | カイシャ・シゴト
90キロを超える道のりをシンひめさん号で往復し、某市役所の女性職員向けにデザイン思考の超入門的な講座を実施してきた。5年前に学び直しプログラムを受講していた市役所職員のりえりんからのお声掛けで実現。こうやって、学びの場で出会った人とまた別の学びの場を作れることが本当に嬉しいし幸せだなぁ、って思う。


りえりんは男女共同参画に関わることになってから、役所内外に関わらずいろんなことに取り組んできた。男女共同参画関連のイベントや、職員向けに対話の場を開いたりと、大きなことから小さなことまでいろんな取り組みをされていて、ご自身も学び直しプログラムの一部の単元を再受講されたり、遠くまで学びに行かれたり、たくさんのインプットとアウトプットをされている。


役所にもデザイン思考の考え方って必要だと思うんです
アイデア出せ、何か考えろ、って言われてもなかなかできない、そもそもアイデアの出し方も知らない
アイデアを出すこと、新しいことを考えることが楽しくなるような講座、研修ってできないですか?
と相談されたのがきっかけ。
一方的に「デザイン思考ってこういうもので、デザイン思考を使って生まれた製品ってこんなのがあるよ、こんなふうに取り入れたら?」って話すことは簡単だけど、せっかく就業中の時間を使って行うんだから、楽しみながら体験、体感してもらったほうがいいかもね、って相談して2時間の中でぎゅぎゅぎゅっと詰め込んでデザイン思考を体験してもらった。ここでもひめさんスパルタ鬼軍曹説w


2時間では「何が何だかよくわかんなかった」って消化不良な状態だったかもしれないけれど、皆さんが本当に楽しそうに和気藹々と「それいい!」「こんなのもできそうですね」と話していた姿が印象的でした。


問いや設計が中途半端な自己紹介のワークをすると、肩書きや所属で変に序列を作ってしまいがちだしなぁ、とあえて自己紹介のワークは行わず、ワークの延長上でその人の人となりを知ればいいかーと思っていたけど、想像以上によかった(語彙がw)。顔見知りの人も多かったらしいんだけど、ちゃんと話したことはないって関係性が大半。それでも、同じお題に取り組んで、同じ時間を過ごすことで、こんなにも豊かに対話、話ができるんだ!とめちゃくちゃ感動した。


公式の講座ではあるけれど(市長のはんこ付きの依頼書もいただいたし)、他の業務もある中で、就業時間中にどれだけの人数が参加するのかな?こぢんまりとした会でも、少人数ならではの良さもあるし、じっくりと取り組めるからいいかー、と思っていたら、なんと20人もの職員が参加してくださった。素晴らしい。


みなさんの積極的な参加姿勢と、物おじせずにお互いに話をしている姿に、「こういう場ってみなさん慣れてるんですか?」とお聞きしたら、そんなに機会はなかったとのこと。女性だけ、っていうのも大きいのかも、ってりえりんはおっしゃっていたけど、多分ね、りえりんがずっと種を蒔き続けてきたから、なんだと思う。参加人数が多いのも、皆さんが積極的に参加してくださったのも、対話を楽しんでいたのも。ここに来れば楽しいことがあるかも、何か学べるかも、っていう期待感と、きっと楽しい!と思える安心感がみなさんの中にあって、それは、りえりんが地道に活動を続けてきたからこそ、のことなんだと思う。


やったことは必ず返ってくるし、効果も成果も生まれる。だから焦らずに地道にやることが大事。そんな大切なことを教わった気がするよ。
往復200キロ近く、シンひめさん号にちょっとしたトラブルもあって、なんだかめちゃくちゃ疲れていたけど、たくさんのエネルギーをいただいた。本当に良い機会をありがとうございました。


それにしても、こういう行政職員対象の研修とか講座をやるたびに思うけど(庁舎に出かけるたびに思うけど)、そりゃ、まずは市民のため、職員は二の次っていうのはわかる。けど、あまりにもレトロな庁舎で、いろいろ不都合も多いんだろうなぁーって。オサレオフィスにする必要はないけど、もうちょっと働く環境もなんとかしていいんじゃないかと思う。市民のために働く職員なんだもの、もうちょっと快適に働いてもらっていいんじゃないかしらねぇ。わたしの住民税もそういうことに使ってほしいぞ。


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尊敬する人と一緒に仕事ができて、頼ってもらえるってすっごく幸せなことだよね

2024-01-23 21:57:29 | カイシャ・シゴト

尊敬するお友達から手伝って!とお声をかけてもらって、昨年から某大手食品メーカーのキャリア開発、チームづくりのお手伝いをしている。
今日が6月にスタートしたプログラムの最終回。いつもはオンラインで実施していたけれど最終回は東京にみんなで集まっての開催。集まって他のグループのメンバーと楽しそうに話していたりする姿を見るだけで、もう、それだけで胸がいっぱいになるし、いろいろと思うこと、感激したこと、学びになったことなどたくさんたくさん溢れてきているんだけど、もしかしたら羽田に引き返すかもよ?な条件付き運行で何とか帰宅できたばっかりなので、振り返りは改めて行うことにして、今はとりあえず思いの丈を書いておくよ。


仕事として受けておいてこんなこと言うのも何ですが、すっごい学びの多い仕事だったし、彼女の仕事ぶりはやっぱり尊敬しかないし、仕事への向き合い方には本当に背筋が伸びた。そんな彼女から、ひめさんがいてくれて助かる!お願いしてよかった!と言ってもらえたことはわたしにとってはものすっごい自信になったし、頼られる存在であり続けられるようにしっかり頑張ろう、と素直に思えた。もうさ、それなりの年になって、過去の貯金で何となーくやり過ごすこともできちゃうけど、それじゃだめだ、ちゃんとアップデートしていかなきゃだし、いきたい、って思った。そう思えたことが何よりの財産だし、一緒にチームを組んで仕事ができたことが本当に幸せです。


来年度もご一緒できるといいなぁ。まぁ、こればっかりはクライアントの状況にもよるから待つしかないんだけど、また面白くて知的刺激の溢れる現場でご一緒できるよう、しっかりがんばろう。


さて、飲みますよ。お疲れ様>自分。


おまけ



そうそう、今回、こんなシールを作ったの。振り返りがすっごく進んで深まった!(と思う)
ツールに依存しすぎるのも良くないけど、やっぱりツールの力ってあるよね。
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50代になってまた会社員になれる世の中って悪くないと思う

2024-01-05 20:40:12 | カイシャ・シゴト
書き始めると意外と続くもんだよね。書き出すハードルが下がったような気がするよ。ブログ始めた頃はこんな感じだった。いいこと書こう、読んでもらおうなんて思わずに、その日にあったことをただつらつらと書いていただけ。それでいいんだよなー。わたしにとってのブログは心と思考のデトックスなんだな。


ということで、今年の抱負的なものはもうちょっと先延ばしにして(考えてないだけ)、今日も徒然なるままに書いていこう。


一昨年の夏、オープンと同時にシェアオフィスのコミュニティマネージャー(まぁなんとも大袈裟な名称!)の仕事を始めた。週に2−3日程度で、パラレルキャリアを実践されてる同僚とワークシェアリングのような形でスタート。それ以前にもこの施設の運営を委託されている会社で仕事をしたことがあったご縁もあり、立ち上げに関われるなんて面白そうじゃないか!とやりたいですー!と手を挙げお手伝いすることとなった。


仕事内容やコミュニティ(会社)の雰囲気、一緒に働く同僚や上司の存在がよかったってこともあったけど、わたしが働きたかった理由は実は別にあった。


時折襲ってくる「組織の歯車になりたい」病。


なんていうかね、40代以降で職を変えようってなると、
・専門的な知識やスキルを活かしたプロフェッショナル採用
・マネジメント経験を活かして管理職、責任者に
・これまでの経験やスキルの延長上で独立、起業
って選択肢が一般的。


流れに身を任せていたら、なんとなくフリーランス的に働いていて、それはわたしの専門性やキャラクターを評価してくださっていることだから、この環境はありがたいことではある。
けど、時折「組織の歯車になりたい」思いが押し寄せてくる。


サラリーマン時代の仕事、会社が好きだったんですよね。めんどくさいこと、理不尽なことも多かったけど、魑魅魍魎がぎったんばったんする中でことを進めたり、メンバーと一緒に泣いたり笑ったりするのが楽しかったんだよね。そんな仕事、働き方をもう一回してみたいなーって思っちゃうのです。


けど、年を取ると専門性やマネジメント能力が問われる。オファーが来るのもそんな案件ばかり。
20代後半くらいの処遇や職務内容でぜんっぜん構わないんだけどなー。むしろそういう役割、働き方がしたいんだけどなー。でも年とともに新しいことを吸収するのに時間がかかるし、まぁまぁITツールにはついていけてる方だと思うけど、デジタルネイティブには敵わないもんなぁ。人生100年時代、50歳だってあと15年以上は働くわけで、そう考えたら十分働ける時間、期間はあるわけだし、教育投資したものを回収だってできるだろうから、別に年相応の処遇や待遇、役職は要らないんだけどなぁー、50代で組織に戻れたら最高なのになーって常々思ってた。


雇用形態としては業務委託であり、お時給で働く身分なので、組織の一員、歯車って感じではなかったけど、比較的大きな会社の人と継続的に働ける、ってことがわたしにとっては、とても新鮮で、それができることが嬉しかった。ちゃんと役に立てているのか?お時給の分はちゃんと貢献できているのか?なプレッシャーは勝手に感じていたけどね。
「先生」なんて呼ばれる立場になると、怒られたり、ダメ出しされることってなかなかなくて、それがいつも不安だった。自分ではできているつもりのことが、世間一般の企業人から見たら全然できてないのかも?という不安もちょっとあった。使えねぇなー、なんて言われちゃったらどうしよう?って。


まぁ、使えねぇなー、な部分もあったとは思うんですよ。苦手なことはもちろんあるし、相性だってある。けど、自分で思っている以上に仕事ぶりも認めてもらえて、ちょっとだけ自信にもなった。社会人としてそれなりに仕事していれば自ずと身につく能力なんだろうけどね。電話応対とか接遇とか、報連相的なこととか。そういう一般常識のようなことって、昨今の新入社員、社会人はちゃんと教育されたり、先輩から指導されたりしているんだろうかね?ノリと勢いと発想力と瞬発力が求められる環境では、軽視されることも多そうな印象もあるけど。(偏見ですw)


他の仕事が忙しくなっちゃって、スケジュール調整(管理)が詰むようになったこともあって、辞めることにはなったけど、おかげさまで、同僚や上司、クライアント、入居者、なんならお掃除スタッフやビルの警備員さんからも惜しまれて辞めることができた。社交辞令半分だろうけどね。
オープンからご一緒していたクライアントの責任者の方からは涙ぐまれてしまった。周りに対してもご自身に対しても厳しい方で、あぁ、こういう人とちゃんと仕事ができて、ちゃんと認められる自分でいたいな、と初めてお会いした時に直感的に思った(これまで転職した時にもこの直感が発動して決めた)。時には厳しい要求も言うけれど、現場のスタッフのことをちゃんと「人」として尊重してくださって、決まっていないことを一緒に決めたり、トラブル対応にも現場、クライアントの立場関係なく一緒に考えて対応くださった方で、本当に仕事がしやすかったし、尊敬できる人だった。こういう方に惜しまれる働きができたことが、わたしには自信になった。


また「組織の歯車になりたい」病を発症するかもしれない。わたしが時折発症するから、だけではなくて、管理職、専門職、独立・起業って選択肢だけではなくて、年齢を重ねても組織の歯車として働くのもありなんじゃない?って思う。人生100年時代なんだし、70歳まで働く時代なんだし、50代になって、管理職じゃなくて会社員になれる世の中って悪くないと思うんだよね。そんな社会がやってきますように。


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サーベイ結果はちゃんと使わないとダメだよね~あぁ、あれって組織開発の仕事だったんだ、な話

2018-11-09 08:04:20 | カイシャ・シゴト
つい先日の中原先生のブログに、サーベイフィードバックのことが書かれていた。
めちゃくちゃ強引乱暴に要約すると、サーベイしっぱなしじゃダメだよね。ちゃんと組織にフィードバックして、これからどうするか?を組織のみんなと考えて(対話して)行かなきゃダメだよね。でもそれって難しいよね。サーベイと対話って別物、対立軸にあるもの、と捉えがちだけど、ニコイチじゃね?ってこと。


そうなの、そうなんだけど、わたしにとっては「へ?いまさら?」的な感想を持ってしまったのです。
というのも、かれこれ10年くらい前、経営企画部門に異動になったわたしが最初に取り組んだのが、このサーベイフィードバックだったから。


もともと、組織活性度調査という名目で年に1回、各組織別(課単位)で調査を行っていました。
あなたの職場には目標がありますか?それは周知されてますか?
業務の改善や効率化を目指していますか?
上司はメンバーの特性を理解し、適材適所で業務遂行を行っていますか?
などなど。組織だけでなく、リーダーの多面評価の要素もありました。


わたしが中途入社した時からルーティンワークとしてなされていた。このころは「採点する側」で、結果は集計されてるはずなのに、全く開示されないし、たまぁにオープンな上司は「ほれ!」と結果をそのまま見せてくれたりしたけど、で、この結果ってなんなの?そもそもなんのために調査してんの?と頭の中は「?」でいっぱいでした。


で、経営企画部門に異動になって、「今年も組織活性度調査の季節だねぇ」という話が出始め、上司の「サーベイ取ったきり、っていうのが気に入らないんだよね、やるならちゃんとやりたいんだよね」というつぶやきもあったので、サーベイは通常通りに実施し、サーベイ結果をきちんと読み解いて、全社、部門別に経営ボードにレポーティング、マネージャーにはサーベイ結果の読み解きトレーニング(研修)を実施して、部門別にフィードバックミーティングを実施する企画を立てることに。
サーベイの実施から、ミーティングまで3~4か月かかったし、忙しいとかそういう言い訳は一切聞かずに全グループ(課)がミーティング終わるまできっちり並走した。


会社を辞めるまで5年くらい続けたけど、毎年毎年、このサーベイ結果の読み取りは吐きそうになりながら行ってた。量ももちろん多いんだけど、この結果(データ)から何を読み取れるか?読み取ったものをどうフィードバックして、どう活用してもらうか?メンバーはどんな思いでこの調査を行ったのか?などなど一人ひとりの顔が思いうかんだり、組織の様子が見え隠れしちゃったりして、ほんとに吐きそうだった。


初年度は、サーベイを実施している研修会社に、データの読み取り方をレクチャーいただいて、それまで単に「4.5点、高いねー」「2.3点、ちょっと低くね?」くらいの点数だけを見て一喜一憂していたんだけど、素点が高いなら高いなりに問題はあるし、ばらつきや、あまりにも似通った点数ばかりをつけるケースに起こりがちなことなどなど、いろいろな角度から「データ」を見ることを学んだ。コンサルタントの方の読み解きはさすが!と唸ることしばしばで、そうそう、このチームはこういう問題抱えてるよね、とぼんやりと感じていたことを「このチームでは、表面上はうまくいっているように見えるけど、上司の力が強大でメンバーはそれに従っているだけ、従っている方がうまくいくと思っているけど、自分で行動することをしたがらなくなっていないか?」というふうに具体的に言語化してくれた。わたし自身がデータから見る効果や効力を感じたので、マネジャーにも、点数の高い低いに一喜一憂するのではなくて、数字から見えるものを探りましょう!と動機づけをして研修を行った。データを読み取るだけ、の研修ね。


これが、思った以上に効果があって、これまでは、数字が意味することを考察もせずに、上司からも点数のみをフィードバックされていたから、サーベイには懐疑的、否定的だったマネジャーたちだったけど、数字を読み解くことで、自分の組織の課題や強み、自分のリーダーシップの課題や強みが見えてきた。ダメ出しをする場ではなく、あくまでもデータを読むのだ、と定義したのもよかったのかも。


ミーティング?そんなめんどくさいことやってられるかい!(怒)という批判があることは覚悟していたけど、意外とすんなりと受け入れられて、どのグループも1時間から2時間、長いところは半日間のミーティングを実施した。
ミーティングも、ただ開催するのではなく、事前に、どんなことを話し合うのか?このミーティングで何を得ようとしているのか?を明確にしてもらったうえで、ミーティングの設計をしてもらった。


もちろん、ミーティングの粒度はさまざまで、マネジャーが意図した通りに進み(ある意味、誘導)、対話が促進されたとは言い難いグループもあったけど、それでも概ねほとんどのグループでは、自分たちのグループのことを真剣に考えて、これからどうしていこうか?を考えるきっかけ、機会にはなった。


経年によって、組織改正で統合された部署や、新設された部署、新任のマネジャーなど、状況はどんどん変化するから、毎年同じサーベイ項目であっても、対話の場のきっかけ、話のネタとしては機能し続けた。同じサーベイ項目だからこそ、経年変化、比較ができる、というメリットもあったかも。


今でもこの施策が継続されているかどうかはわからないけど、少なくとも5年続いたってことは、それなりの効果や成果があったんだと思う。
なぜ、それなりに機能したのか、いくつかの理由があると思うけど、一番大きいのは、データの読み解きをきちんと行ったこと。数字に一喜一憂せずに、読み込むことをトレーニングしたことが大きい。そして、経営ボードにも毎年きちんとレポーティングしたこと。何よりも、サーベイしたらそのままじゃなくて活用したいんだよね、とつぶやいて、後押ししてくれた上司の存在が大きい。全グループが1時間~半日のミーティングを実施するなんて、経営のバックアップがなければできないもん。


当時、組織開発をしているなんて自覚はまったくなかったけど、あぁ、そうか、これが組織開発だったんだーと最近気づいた次第(汗)
で、やっぱり、組織開発ってしんどくて泥臭い仕事なんだよ。ガチな対話の前には、準備も必要だし、そのためには吐きそうな思いもたくさんする。大変なのはアタリマエ。はやってるから、みたいな理由でサーベイフィードバックを行うことは否定しないけど、組織に関わる人たちが、楽しくいきいきと仕事をするためのものなんだってことだけは忘れちゃいけないって思う。


サラリーマン時代、ほんとにいろんな仕事をさせてもらって、今、あらためてその頃の仕事に助けられてる感じです。みなさんほんとにありがとう。



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さしいれ考

2013-04-26 07:23:11 | カイシャ・シゴト
火曜日に、全社表彰の受賞者を役員らおぢたちが歓待する祝賀懇親会がありました。
例によって例のごとく、壁の花を作らないように、とか、おぢらを適度にいじりつつ自尊心をくすぐったり、とか、ワークショップ的な要素も取り入れた場の仕切りをしているのですが、単に会場の手配、出欠、会計だけではない事務局は、珍しいようで、今回もはじめて出席したおぢらに驚かれ、参加者からは楽しかったよーと言っていただきました。


で、その席で、去年の秋から当社の役員に就任した(といっても非常勤)おぢから、毎回の役員会での差し入れについて質問された。
あれはいつも手作りなの?と。


はい、そうです。


役員会の差し入れっていうと、単なるお茶受け的なことを思い浮かべると思う。確かにその要素もあるけど、それだけじゃないような気がする。


はじめたきっかけは、思いつきに過ぎなくて、絶対に喜んでもらえる、ウケてもらえる、という思いこみ。
思い返してみたら、社会人になった1年目のお正月、新年初日の出社におせちつくっていったり、花見弁当つくってカイシャの屋上で食べたり、とか「ふるまう」ってことが単純に好きなんだと思う。
で、喜んでくれるから尚のこと助長する。


役員会にお菓子ー?と目くじら立てる人やなにも気付かずに召し上がる方もいるわけで。
それでもやっている理由はいくつかある。


ひとつは、やっぱり場の持つ温度を変えたい、という思い。役員会なんてガチな場なので、ピリピリしているわけですよ。もちろん審議はガチでなくちゃいけないけれど、重箱の隅をつつく、敵対する、みたいなことはお互いにとってあんまりハッピーじゃないから、そういうギスギスした感じは辞めたいなぁ、何よりあたしが居心地悪いもん、と思っていた。みんな眉間にしわ寄せて、後傾姿勢で態度わるーい感じだし。
甘いもの、美味しいものは無条件に人をハッピーにさせる。間違いなく、お菓子を口に運んでいるときは眉間のしわが消えるもの。


そして、こだわっていることは手作りかつストーリー性・・・というか季節性、話題。
手作りなのにこんなに本格的!とか、単に美味しいスイーツを作ることはあまり重要視していない。それなら買ってきたのがいちばん美味しいし、あたしじゃなくてもいいわけだから。
季節の素材を使うとか、思いがけない組み合わせとか、そういう「これって何でできてるの?」とそこから会話がはじまるきっかけが作れることがだいじだと思ってる。


賞味期限間際の乾パンで作ったケーキなんか最たるもので、味は別にフツウなんだけど、災害備蓄品を生まれ変わらせたっていうのがポイントで、そういうひと手間、ひとひねりにこだわりたいのです。


ほかの仕事もそうで、要領よく効率よくやることもできるし、それが重要なこともたくさんある。
けど、あえて、ひと手間かける、ひとひねりする、ってことにこだわっていきたいのです。


ひと手間かけてもひとひねりしても、時間/工数はかけないでいたい。
以前のあたしは、結構さらりとよゆーな感じでこういうめんどくさいことをやっていたような気がするけど、最近は全然余裕がない。仕事量が多いのかもしれないけれど、時間がないけど、ひと手間かけたい思いは変わらないから、気付くと眉間にしわ寄せて目を三角にしながら仕事してる。いかんいかん。涼しい顔して大変なことをさらっとできる、そんな人になりたい。

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7センチのこだわり

2013-04-23 01:07:12 | カイシャ・シゴト
3日続いたんだから、この勢いで更新だけはしておきたい。
というわけで、少々酔いどれにつき、昨日の続きのお話し。


お洋服に気を使っている、という昨日の話につながるんだけど、足元。そう、お靴。


仕事のときは、絶対に7センチ以上のヒール、と決めている。


背が低いから、っていうのもあるけど、いつからかこれがあたしの定番になった。


きっかけは確か、大学時代の友人の一言。
まだ就職して1年目くらいのときで、あたしは、店舗で接客業をしていたので、立ち仕事ってこともあって、4センチくらいのローヒールしか履いていませんでした。別にそれを咎めたわけでもなんでもなく、いつもキレイにお化粧して、エレガントな巻髪をしていた彼女が「絶対に7センチヒールって決めてるの、そりゃ、足も痛いけど、一番キレイに見えるから」って言ってたのを聞いて


目からうろこ。


キレイに見える、って基準はそのときのあたしにはなかった。
立ち仕事をいかに苦労なく、効率よく行うか、っていったらローヒールに行きつく。けど、それじゃあ、オンナとしてどうよ?ってはたと気づいたわけです。


そこからは、常に7センチ以上。


確かに7センチ以上のヒールを履くと格段に背が高くなり、腰の位置が上がる。同じお洋服を着ていても、キレイに見える。
外反母趾とか、腰によくないよー、と言われるけれど、やせ我慢したって、キレイに見える方がいい、と思っている。


あと、あたしのこだわりとしては、オフィスサンダルは絶対にNOってこと。
もちろん足のためにはハイヒールはよくないことは分かっているし、先の震災のときにも運動靴をカイシャに常備しておきなさい、的なことは言われている。その通りだと思う。
だから、ひゃくぱー譲って、ニューヨーカーみたく通勤時にスニーカーなのはアリだと思うけど、オフィスについたらハイヒールに履きかえる(アンカーウーマンかなんかにそんなシーンがありましたね。)。なぜなら、カイシャは戦場なわけですよ、少しでも有能、できるように見せた方がいいわけですよ。やっぱりねー、スニーカーじゃあ、できる風には見えんもん。


こう言うと、見た目じゃないでしょ?的なことをよく言われるけど、繰り返しちゃうけど、見た目だいじ。第一印象って結構当たる。
別に着飾る必要はないけど、相手に対して不快な印象を与えないように、と相手のことに思いを馳せる行為がだいじなんだと思っている。


あらふぉーになってくると、周りは結構、健康シューズ的なものをお履きになっているのですよ。7センチ以上のハイヒールは確かに負荷がかかる。冷えもあるしね、靴下も履けないしね。
いつまでヒールを履いていられるか?おばあちゃんになって、ミニスカ履いて、口紅塗って、ハイヒールでかつかつ歩いてたらカッコイイじゃない?
引力に逆らって、がんばりますよー。



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服装も、その人のプレゼン資料

2013-04-22 00:48:56 | カイシャ・シゴト
ここでも何度か書いていますが、どんなに朝早く起きても、その日に着るお洋服を、その日に決めるということができなくて、わたくし、日曜の夜に1週間分のコーディネートを決めています。
と書くと、さぞかしたくさんお洋服を持っていて、さぞかし時間をかけて選んでいるんだろうと思われるかと思いますが、1週間分決めるのは15分もあればできちゃいます。どんなに遅く帰ってきても、酔いどれだったとしてもこの儀式は欠かしたことがない。えらい、えらいぞ、自分(笑)


この儀式を始めたのは、かれこれ10年以上前。
当時、店舗デザインや店舗で使うツール類のディレクションの仕事をしていて、お付き合いのある広告代理店や設計事務所のデザイナーさんたちが、それはそれはおされなお洋服を着ていました。おされ、というよりも、その人に合った素敵なセンスだったのです。


そのことを、ときの上司に「○○さんっていっつもオシャレでステキですよねー」と言ったら、
「服装も含めて、デザインをやる人は自分自身が作品なのよ」と。


目からうろこ。


もちろん、あたしたちはデザイナーという専門職ではないけれど、お洋服≒見た目が他者に与える影響って大きいんだなーと思ったのです。
プレゼン資料なんて見なくても、その人がどんな服装をしているか、どんなスタイルをしているかで、その人が描くデザインがわかる。それも、より具体的にイメージできる。


見た目は関係ない、中身だ、ということはよく言われるけど、あたしは見た目は重要だと思っている。特に人に接する仕事をするなら尚のこと。
いいもの、高いもの、ブランド品を身につける必要は全然なくって、その人らしくて、適度に旬を追いかけていて、その場にあったもの。
プラス、感じのいい表情、笑顔。


もともとお洋服は好きだったけど、その頃からお洋服や小物には気を使うようになった。
で、はじめたのが1週間コーディネートです。


おぢたちの会議があるときはジャケット+スカートで。色はちょっと明るめに、とか。研修や人前で話をするときには顔が華やかに見えるように明るめのトップスにするとか、一日デスクワークって日はキレイ目カジュアルとか。


今でこそやっていないけど、昔は、きちんと記録してた。
前回会った時とは違う服を着たり、とかね。


別に、そこまで気を使ったからと言って、格段に仕事がはかどったり、商談がうまくいくってわけでもない。
けど、あたしたちはどんな仕事であれ、相手がいる。その相手のことを考えた服装、というのはやっぱり礼儀でありマナーであると思うのですよ。


そう、それにこうやって日曜の夜に1週間分のコーディネートを作ってハンガーラックに並べることで、徐々に仕事モードになっていく。
今週は社内イベントやおぢたちとの会合が続くので、女子らしさは忘れずに、スカート+ジャケットというスタイルが並びます。


靴の話もしようと思ったけど、それはまた次回にします。


今週もがんばろ。おやすみなさい。
コメント (1)
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