早くも1週間が経ってしまいました(汗)
7月4日(木)、いろんなタイミングと奇跡が重なって、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANが主催するイベントに行ってきました。
たまたま、その日の午後に東京で仕事のご依頼をいただいていて、日帰りするつもりでいたのですが、Facebookからエトー先生がモデレーターを務めるイベントがある!と流れてきて、これはいつもの朝イチ便コースに変更しなければ!と参加を決めました。ちょうど、その日の仕事はグラレコ絡みだったので、お道具を持っていることも手伝い、グラレコも描かせていただきました。
このイベントは、ラオスの障害児ケアを支援するクラウドファンディングのキックオフも兼ねていました。
病院はつくった。けど、つくっただけじゃダメで、次は育成だってことで次なるチャレンジへ。
(クラウドファンディングの詳細はこちら。)
ちょうど1年前、授業の合間のエトー先生と弾丸トークランチ会をしたときに、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表の赤尾さん、杏林大学の加藤先生との不思議で素敵な出会いのお話しや、ラオスの障害児ケア、病院のお話をお聞きしていたので、微力ながらクラウドファンディングにも協力させてもらった。
サンキューレターやアニュアルレポートも送っていただいていたので、活動については理解しているつもりだった。けど、字面で読むことと、実際に現地で活動している人の話を聞くのとは、大きな違いがある。温度感というか、臨場感というか、「生」の声、生きてるんだ、という熱量が違う。
医療従事者、医療関係者でなくても十二分に理解できる平易な言葉でお話しくださったし、何よりも赤尾さん、加藤先生のお話がリアルで熱くて、グラレコ描くのは本当に楽しかった。楽しいという表現はあまり適当ではないんだけど、“フロー”状態とか、没入感、という意味に近い。夢中で聞いて、夢中で書いて、そして、いろいろなことに思いを馳せ、いろいろなことを考えさせられた。
医療が遠い、というお話。
字面だけを見て、わたしが受けたイメージは「経済的な理由や、医療を受けるという選択肢を持っていない」、貧困や無知から生じるものだった。それだけではなく、すべてにおいて「遠い」のだ。病院までの距離、距離だけではなくて悪路を行かなければならない。例えば薬を〇時に飲んでください、と言われても、時計を使う生活をしていないので時間(〇時)の概念がないといったことも起こる。
そんな中で、障害児のケアに取り組むのは本当に容易ではないはず。
何度も赤尾さんがおっしゃっていたけれど、「障害」という概念がなかったから「〇〇ができない▽▽ちゃん」というラベルだけで終わっていた。病気をして、医療にかかっても、病気に対する対処だけで終わってしまい、障害についてはケアがなされない。ラオスには障害を認定したり等級を表したりするような制度はないため、赤尾さんたちが評価を行った。でも、それで終わりではない。そこからが長い長い葛藤とケアのスタートになる。
「障害」を認識してケアをしようとする。けれどもラオスの実情では、できないケアも当然ある。家族、住環境、リソース・・・・様々な要因が重なって、できないことが出てくる、選択肢を提示することもできいないときがある。それでも、何ができるか?を考え、一緒に迷い、一緒に悩むことが大切だ、と赤尾さんはお話しされていた。
医療が進歩したことで、我々の寿命は飛躍的に伸びた。これはとっても幸せなことだけれども、一方では静かに弱って自然に命が終わっていたものを、医療の力で伸ばしている、とも言える。経済的、技術的なリソースがふんだんにあれば、医療の進歩による寿命の長期化は嬉しいことだし、喜ばしいことだ。けど、経済的、技術的なリソースがない場合には、せっかく灯った明かりを消されてしまうような、そんな無為な状況にもなり得る。
知ってしまったからこそ生まれる痛みなのかもしれない。
ふだんのわたしは、新しいこと、知らないことを知ることは楽しい、と無邪気に言っている。それって恵まれた環境にいるからこそ言えることなのかもしれない。久しぶりに無力感を感じた。東日本大震災の時に感じた無力感と同じ。恵まれた環境にいて、痛みを知らずにいて、でも、飛び込んでいくには技術も度胸も思いも備わっていない。
そんなわたしができることはただひとつ。知らないでいることをやめること。知ってしまったからアクションを起こさなきゃ、と思うのは自然なことだけど、でも、そんなに簡単に行動を起こせるわけじゃない。だったら、知らないでいることをやめる。表面的にしか理解できないかもしれないけれど、それでも、知ろうとする気持ちが大切なんじゃないかと思う。
知ってしまったことで生まれる苦しみや悲しみ。そんなつらい思いも全部飲み込んで活動し、凛とされている赤尾さんは本当に素晴らしいし、ステキだ。
「ひとりひとりができることを無理なく」
最後のフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANからのメッセージ。
わたしも無理はせずに、でも、知らないでいることをやめよう、と思う。そして、この活動のことを知った以上は細ーく長ーく、できる範囲で支援し続けようと思う。
あらためて、こんなことを深く考えるきっかけをつくってくださったエトー先生、赤尾さん、加藤先生、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANのスタッフの皆さん、会場でお会いしたみなさん、本当にどうもありがとうございました。
7月4日(木)、いろんなタイミングと奇跡が重なって、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANが主催するイベントに行ってきました。
『寄り添う障がい児ケアの未来。私たちにできること。』キックオフイベントに大勢の方々が集まって下さいました🙌『一人一人ができることを無理なく』、次のステップに繋げて頂けると嬉しいです。お越し下さった皆さん、ありがとうございましたm(_ _)m pic.twitter.com/ZqIjLfVXS9
— フレンズJAPAN (@FriendsJapan) 2019年7月4日
たまたま、その日の午後に東京で仕事のご依頼をいただいていて、日帰りするつもりでいたのですが、Facebookからエトー先生がモデレーターを務めるイベントがある!と流れてきて、これはいつもの朝イチ便コースに変更しなければ!と参加を決めました。ちょうど、その日の仕事はグラレコ絡みだったので、お道具を持っていることも手伝い、グラレコも描かせていただきました。
このイベントは、ラオスの障害児ケアを支援するクラウドファンディングのキックオフも兼ねていました。
病院はつくった。けど、つくっただけじゃダメで、次は育成だってことで次なるチャレンジへ。
(クラウドファンディングの詳細はこちら。)
ちょうど1年前、授業の合間のエトー先生と弾丸トークランチ会をしたときに、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表の赤尾さん、杏林大学の加藤先生との不思議で素敵な出会いのお話しや、ラオスの障害児ケア、病院のお話をお聞きしていたので、微力ながらクラウドファンディングにも協力させてもらった。
サンキューレターやアニュアルレポートも送っていただいていたので、活動については理解しているつもりだった。けど、字面で読むことと、実際に現地で活動している人の話を聞くのとは、大きな違いがある。温度感というか、臨場感というか、「生」の声、生きてるんだ、という熱量が違う。
医療従事者、医療関係者でなくても十二分に理解できる平易な言葉でお話しくださったし、何よりも赤尾さん、加藤先生のお話がリアルで熱くて、グラレコ描くのは本当に楽しかった。楽しいという表現はあまり適当ではないんだけど、“フロー”状態とか、没入感、という意味に近い。夢中で聞いて、夢中で書いて、そして、いろいろなことに思いを馳せ、いろいろなことを考えさせられた。
医療が遠い、というお話。
字面だけを見て、わたしが受けたイメージは「経済的な理由や、医療を受けるという選択肢を持っていない」、貧困や無知から生じるものだった。それだけではなく、すべてにおいて「遠い」のだ。病院までの距離、距離だけではなくて悪路を行かなければならない。例えば薬を〇時に飲んでください、と言われても、時計を使う生活をしていないので時間(〇時)の概念がないといったことも起こる。
そんな中で、障害児のケアに取り組むのは本当に容易ではないはず。
何度も赤尾さんがおっしゃっていたけれど、「障害」という概念がなかったから「〇〇ができない▽▽ちゃん」というラベルだけで終わっていた。病気をして、医療にかかっても、病気に対する対処だけで終わってしまい、障害についてはケアがなされない。ラオスには障害を認定したり等級を表したりするような制度はないため、赤尾さんたちが評価を行った。でも、それで終わりではない。そこからが長い長い葛藤とケアのスタートになる。
「障害」を認識してケアをしようとする。けれどもラオスの実情では、できないケアも当然ある。家族、住環境、リソース・・・・様々な要因が重なって、できないことが出てくる、選択肢を提示することもできいないときがある。それでも、何ができるか?を考え、一緒に迷い、一緒に悩むことが大切だ、と赤尾さんはお話しされていた。
医療が進歩したことで、我々の寿命は飛躍的に伸びた。これはとっても幸せなことだけれども、一方では静かに弱って自然に命が終わっていたものを、医療の力で伸ばしている、とも言える。経済的、技術的なリソースがふんだんにあれば、医療の進歩による寿命の長期化は嬉しいことだし、喜ばしいことだ。けど、経済的、技術的なリソースがない場合には、せっかく灯った明かりを消されてしまうような、そんな無為な状況にもなり得る。
知ってしまったからこそ生まれる痛みなのかもしれない。
ふだんのわたしは、新しいこと、知らないことを知ることは楽しい、と無邪気に言っている。それって恵まれた環境にいるからこそ言えることなのかもしれない。久しぶりに無力感を感じた。東日本大震災の時に感じた無力感と同じ。恵まれた環境にいて、痛みを知らずにいて、でも、飛び込んでいくには技術も度胸も思いも備わっていない。
そんなわたしができることはただひとつ。知らないでいることをやめること。知ってしまったからアクションを起こさなきゃ、と思うのは自然なことだけど、でも、そんなに簡単に行動を起こせるわけじゃない。だったら、知らないでいることをやめる。表面的にしか理解できないかもしれないけれど、それでも、知ろうとする気持ちが大切なんじゃないかと思う。
知ってしまったことで生まれる苦しみや悲しみ。そんなつらい思いも全部飲み込んで活動し、凛とされている赤尾さんは本当に素晴らしいし、ステキだ。
「ひとりひとりができることを無理なく」
最後のフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANからのメッセージ。
わたしも無理はせずに、でも、知らないでいることをやめよう、と思う。そして、この活動のことを知った以上は細ーく長ーく、できる範囲で支援し続けようと思う。
あらためて、こんなことを深く考えるきっかけをつくってくださったエトー先生、赤尾さん、加藤先生、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANのスタッフの皆さん、会場でお会いしたみなさん、本当にどうもありがとうございました。