わくわく記録帳

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そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

学びをあきらめなくてもいい⁉ 「組織開発の探究」オンライン読書会に参加して感じた5つのもやもや

2019-05-10 22:53:59 | オトナの学び


(ナカハラ先生のインスタから拝借してきましたm(__)m わたしのプレゼン資料が映ってるヾ(≧▽≦)ノ)


昨日「組織開発の探究」を題材にした、なんとなんと400人が集まるオンライン読書会に参加しました。
(詳細はナカハラ先生のブログ 学びをあきらめる時代は終わった!? : 400人規模のオンライン読書会という「知的暴挙」の夜!?を参照ください。)


畏れ多くもプレゼンターを仰せつかり、それもトップバッターという超大役。プレ読書会ではWSD九州メンバーと結構がっつり読みこんで、レジュメを作って、「10分ですよ、10分」というプレッシャーの中でプレゼン。めっちゃ緊張したー。


プレゼン自体の振り返りは別途行うとして、このオンライン読書会に参加して、合間合間のナカハラ先生のコメントやみなさんとの対話の中で感じたことを言語化しておきたいなーと思って、勢いのまま書くことにします。


一晩経って、もやもや最高潮で、まぁ、これはわたしの悪い癖なので仕方がないんだけど、知的興奮冷めやらぬ場に立ち会うと、むくむくと「それでいいのか?」と問うネガティブひめさんが現れる。
今回もまさにそれ。
何にもやもやしているのか?をざくっと整理してみたら、おおよそ次の5つになった。



・言い訳できないしんどさ

ツールやテクノロジーの力で距離や時間の制約が取っ払われると、あきらめなくてよくなるかもしれないけど、言い訳できない、やらざるを得ないしんどさがやってくるよね

・これって新手の24時間戦えますか?じゃね?

オンラインツールは便利だけど、夜中とか朝とか24時間繋ぐことができちゃって、家庭の中の侵襲感がハンパなくなっちゃう。どんどん境界がなくなっちゃうけど、それってほんとにいいことなんだろうか?

・地方は東京とは違う「よさ」や「もの」があるはず

ツールの力で地方と東京の差は埋められるかもしれないけど、それって、結局、東京と同じことをする、東京に追いつけって言われてるような気がするんだよね。

・オンライン読書会のそもそものゴールってなんだったんだろ?

目的がたくさんありすぎて、結局、ちゃんと「組織開発」について学べたんだろうか?という疑問。(なんか途中から「社会実験」「ツールが格差を解消する」みたいなことが声高に言われるようになっちゃって、ちょっと居心地の悪さが…)

・やっぱり「組織開発」にはネガティブな感情を持っちゃうんだよなあ…
組織開発をしなくてよくなることが、組織開発の最大の目標なはず。なのに、やっぱりみんなやりたがる。

ひとつのもやもやは、それだけで1記事書けちゃうくらい悶々としているんだけど、ひとまず、今の勢いで一個ずつ書いていこうと思います。


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・言い訳できないしんどさ

ツールやテクノロジーの力で距離や時間の制約はなくなる。昨日みたいにオンラインで全国、全世界から参加できたり、聞くだけの参加、家事や育児をしながらの参加も可能になる。これってすごいことだ。
学ぶことをあきらめなくてよくなるかもしれないけど、一方で、言い訳できない、やらざるを得ないしんどさがやってくるような気がするのです。

そう、学ぼうとする人はツールの力を借りてハンデを乗り越えようとする、そして、乗り越える。それがスタンダードになる。そうなると、学ばない人は「なんで?お金も時間もかからないし、わざわざ行かなくてもできるんだよ、なんでやらないの?」と攻撃されちゃうわけだ。みんながんばってるんだから、あなたもがんばりましょうよ、的な圧。

学び続けないと生き残れないよ、というプレッシャーはみんな少なからず感じている。けど、それを強要しちゃうことにどうにもしっくりこないのです。

たくさんいろんなところで学んできて、今でも機会と体力が合えばできる限り学びたいとは思っているけれど、でもやりたくない気分のときも、やらないときだってある。そんなときに参加しないこと、学ばないことが悪であるかのように(信じられないー!もったいないー!みたいなw)言われちゃうことはある、少なからずあるもの。もっと寛大でいたいなぁ。




・これって新手の24時間戦えますか?じゃね?


オンラインツールは便利だけど、夜中でも早朝でも24時間繋ぐことができちゃう。22時からの会議なんて、リアルな会社内の会議だったらありえないけど、これがオンラインで学びとかコミュニティとかプロボノ関連の会議や打ち合わせだと大いにあり、になっちゃう。これ、結構不思議。

そして、家庭の中への侵襲感。(侵襲って言葉初めて知ったw) 「わたし、定時で帰ります」で吉高ちゃんが言ってた。

 「定時で上がって、美味しいごはんを好きな人と食べるだけで幸せだけどな」(相当意訳)

これ、めっちゃ同感。意識低いと言われても全然かまわなくて、わたしにとって今の生活で何が一番だいじかって言ったら、オットとよるごはんを一緒に食べること、なんだな。だから、夜はできるだけ予定を入れたくない。オンラインであっても。

昨日、プレゼンターのヤガミさんが、なんとお子さんの送迎中とのことで車の中から参加されていた。素直に「すごい!」「すばらしい!」と思った。オンラインツールがあるとこんなこともできちゃうんだ、育児しながらでもやりたいことをあきらめなくていいんだ!って素直に思った。

でも、次の瞬間、「わたしにはできないな(しないな)」って思った。わたしは、東京の時間軸(仕事も学びも遊びもあれもこれもいろんなものやコトがあって、常にキャッチアップしなくちゃって思っちゃう時間感覚、とでも言おうか…)から離れて、インプット量は少ないかもしれないけど、美味しいごはんを食べてしっかり眠る、シンプルな生活を送りたいと思っている。(できているかどうかは不問でw) 

時間や制約をやりくりしてでも、学ぶ、やりたいことをやるためにツールはとっても有効だし、雄弁だ。でも、わたしは時間や制約はやりくりせず、時間や制約にアジャストさせることを選んでいる。たぶん、東京にいた頃の3分の1も活動していない。けど、それで十分だし、十分すぎるくらいだもの。

でも、やきもきはするんだよね。昔のわたしはもっと動けてた、って昔のわたしと今の自分を比較して、なんだか焦ってしまう。もうそういうの辞めたい、それがもやもやの正体なのかも。



・地方は東京とは違う「よさ」や「もの」があるはず

ツールの力で地方と東京の差は埋められるかもしれない。昨日のオンライン読書会は、少なくとも参加した地域によって受け取るものが違うってことはなかった。みんなが等しく同じだけ学べた。
けど、なんだか、この「地方にいても学べる」っていうのが、東京でやっていることを地方にいてもキャッチアップできる、同じことが学べる、すなわち、東京中心であることに変わりないんじゃないか?と思えて仕方がなかった。

一個前のもやもやで書いたように、地方には地方の時間軸や特性っていうのがあって、なんでもかんでも東京と一緒、っていうのはちょっと違うような気がする。じゃ、地方は何をするの?何ができるの?と問われると、答えに窮してしまうんだけど。

でもひとつ言えることは、MALL@福岡のときにもメッセージしたけど、この街のひとたちの学びは、学んだことを身近な人に還元しているってこと。学ぶために学ぶ、ではなく、実践するために学ぶ。否、実践しているからこそ学ぶ。本当に、この街の学び場で出会う人たちは、みんな一様に「次」がある。学んだらそれっきりではなくて、やってみる。たぶんきっと、それがこの街のよさと強みなんだと思う。学ぶものや学ぶスタイルは、東京のそれとは違っていいんじゃないか、って思ってる。これについてはもうちょっと真剣に考えてみたい。考えよう。



・オンライン読書会のそもそものゴールってなんだったんだろ?

ナカハラ先生はこの読書会で5つの壁を壊したい、と仰っていました。
それはとっても素敵なことで、感激しちゃうんだけど、あれ?そもそも読書会って何するところなんでしたっけ?という素朴な問が…。

プレゼンターを仰せつかってレジュメを作るときに、
「はて、このレジュメは、「組織開発の探究」という本のサマリ、質問なんだろうか?それとも「組織開発」という分野に対するサマリ、質問なんだろうか?」
ともやもやしておりました。プレ読書会メンバーでもあるよっしーさんが
「「組織開発の探究」のサマリをしつつ、質問を通じて“組織開発”を再考するイメージでは?」
とアドバイスくださって、ちょっとすっきりしたんだけど、「組織開発」はちゃんと学べたんだろうか?という素朴な疑問。個人的には、キレッキレな「知的暴挙」満開のナカハラ先生の解説、コメントは本当にわかりやすくて、あぁ、これずーっと聞いてたい、と思ったくらい学びは多かったし、ナカハラ先生が掲げていた5つの壁は壊せた(壊しかけた)感はあるけど、なんだか、途中から、「組織開発」に対する理解や「組織開発の探究」を読み解くことよりも、「社会実験」のための、「ツールが格差を解消する」ための読書会へと姿を変えて行ったような感覚に陥ってしまって、なんだかとーーーーーってももやもやしたのです。




・やっぱり「組織開発」にはネガティブな感情を持っちゃうんだよなあ…

白状すると、ずーっと、「組織開発」苦手でした。組織開発が、っていうよりも、組織開発やってる人たちが。わたしも組織開発っぽいことは組織の中でやっていたけど( ̄▽ ̄)

「組織開発をするタイミングっていつですか?」(困ったことがなければ組織開発しなくてよくね?)という質問に、ナカハラ先生が「組織開発をしない組織が、よい組織」(相当意訳)と仰っていた。そうそう、そうだよねー。組織開発をしなくてよくなることが、組織開発の最大の目標なはず。同じようなことに「ワークショップって言葉がなくなることが、(ワークショップをやっている)自分の目標」とか「男女共同参画って言葉がなくなることが目標」みたいなものがありますね。なのに、やっぱりみんなやりたがる。
なんだろ?やっていること、対話していることに酔っちゃうのかな?

そして、いいことだからやろう、うちの組織でもやった方がいい!(特に上層部にやらせたい)と、なぜか上から目線で言っちゃう不思議。やらせたい、やった方がいいって思うなら、自分でやりゃいいじゃーん(暴言失礼)。
これ、時間の関係で質問から省いたんだけど、組織開発って、自らやりたいと思うのか、それとも「あの組織、問題があるから組織開発しなくちゃね(させなくちゃね)」って思うのか、どっち?? なんで、みんな「させたい」側から話すのかなー?という疑問。


(これが省いた質問のスライド)


なぜわたしは「組織開発」にネガティブな感情を持っちゃうのか、もう少し自分に向き合って考えてみたい。
次回の読書会までに少しは明確にしておきたいなー。



と、あれこれ書いてきましたが、とは言え、こんな歴史的(!)な瞬間に立ち会えて、大きなお役目も頂戴して、一応無事に全うできて、貴重で素晴らしいチャレンジの機会をいただいたことは、感謝してもし切れません。推薦してくださった板谷さん、プレ読書会にお付き合いくださったWSD九州メンバー、昨日、基山に集まってくれたみなさん、1.2章を割り振ってくださったナカハラ先生、ダイヤモンド社の永田さん、藤田さん、プレゼンターのみなさま、本当にありがとうございました!
次回もしっかり準備して、この壮大な社会実験を楽しみつつ、わたしはわたしのもやもやを晴らせるようにしっかりがんばりまーす。


コメント
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