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わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

のどかな日常こそがしあわせなんだ〜あっという間に過ぎ去った夏休みのこと

2025-08-18 06:35:23 | グラレコ
今年はカレンダーの並びが良くて(悪くて?)9日から17日まで9連休の夏休み。とはいえ、カレンダーとはあんまり関係なく仕事があれば仕事をする、ってスタイルで働いているので、まぁまぁ仕事もしてたけど、それでも世間が夏休みだとちょっと気持ちものんびりモードになるし、夏休み特有のわくわくした気持ちにもなるから不思議。


これといった遠出の予定もなかったので、あれこれ積み残してたことを片付けるぞ!(主に積読、そらウェル研究進める、そしてこのブログのお引越し)と意気込んでいたけれど、結局ほとんど何もできなかった。お誕生日が来る前にやっておこうと思ったことはほぼ未達成だし。ま、そんなもんだよね。予定は未定だもの。


広島にダイアローグインザダークを体験しに、ハツムラリーダーと奇遇ですね、ってウキウキしてたら折からの大雨で帰って来れなくなる新幹線ホテル一泊事件や、天神落語会のチケットをポチッと取ったら、なんと一列目だったり(こんなところで席運使わなくても)、素敵なお手紙いただいたり、お誕生日プレゼントがフライングで届いたり、トミカでツアトラ作ったり、給与計算して月次の資料を作成して支払処理して育児休業給付申請したり、もといわさんと奇遇ですねIN佐賀で広重に魅了されたり、久しぶりに松永さんにお会いしたり、ゆかさんからいただいた日本酒に舌鼓を打ったり、お盆の時期だから混んでるかなーと恐る恐る行ったらラッキーなことにお席が空いていて福寿飯店でランチしたり、火垂るの墓を見たり、お誕生日前祝いに鉄板焼きランチに行ったり、土屋鞄で60周年記念マステをいただいたり(マステ大放出キャンペーンやったのにまた在庫を増やすっていうね)、素晴らしい接客に「やっぱりコバヤシさんから買いたいよね」とオットと再確認したり、U-NEXTでホテーさんの武道館ライブの配信見たり、こうやって書き出すといろんなことがあったし、取り立ててすんごいことが起こらなくて、毎日元気に真次郎と散歩に行けて(真次郎はどう思ってるかわかんないけど)、美味しいごはんを食べられる、それだけで十分幸せじゃんねぇ、と思うのでした。


2月に手術した後は比較的順調で、まだまだ恐る恐るな感じではあるけれど、食べたいものを食べられるようになって、本当に幸せ。大きな幸せじゃなくてもいいんだ、小さな幸せを味わいながら、生きていこうと思うお誕生日の朝なのでした。


晃司、お誕生日おめでとうありがとう(わたしもおめでとうw)
歌い続けてくれてありがとう
在り続けてくれてありがとう




8月18日のそらウェル。今日で1234日目の空。5時27分。
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描いて終わり、見て終わりじゃなく、会話が続くっていいよね〜ヒストリーグラレコを描いた話

2025-08-16 18:40:23 | グラレコ
先だって、おともだちのゆかさんから、亡くなった義理のお父様のヒストリーをグラレコにしてもらえないだろうか?とお声かけをいただきました。お義父様が旅立たれた時のお話をお聞きしていて、その生き方やあり方にめちゃくちゃ感銘を受け感動していたので、えぇえええええー?光栄すぎる!ぜひ描かせてください!と一も二もなくお受けした。


最初はオンラインでお話お伺いするつもりが、えー?お話お伺いしにゆかさん家にお邪魔したいくらい!と軽い気持ちで発したら、ぜひぜひ!!とおっしゃっていただき、あ、それいいかも、お写真とか大切にしていたものを見ながらお話聞かせてもらうのいいかもー!とあれよあれよと話がまとまり、7月の初めの週末にご実家にお邪魔してお話を聞かせていただきました。


何度かやりとりをして、8月1日に完成。初盆にヒストリーグラレコを見ながら思い出話ができたらなぁーとおっしゃっていたので、間に合ってよかった!
(どうでもいい情報ですけどね、最初にお出しした似顔絵が「男前すぎる」とのことでボツになり、ええぇええ?こんなにリアルにお鼻の穴とか描いちゃっていいのー?な似顔絵が採用されました笑 まさかの男前すぎてのボツw)


細かな記録を残されていた方で、晩年にはご自身の年表もお作りになっていたので、ご家族の皆さんからは年表には書かれていない「そんなこともあったねー」なエピソードをあれこれお聞きした。一つのお話から、そういえばあんなこともあったね、と思い出が数珠繋ぎに広がって、鮮やかに思い出されていく。お義父様がいらっしゃらないことは寂しいけれど、笑いながら思い出を紐解いていく時間は本当にあたたかなものだった。


キャリアヒストリーを1枚のグラフィックにまとめることは、わたしのライフワークみたいなもので、これまで100人を超える方にお話をお聞きして描いてきた。自己紹介で活用してくださったり、話したことでこれまでのキャリアが整理されたり、いろんな可能性や使い方がある。その人のこれまでのことが描かれた大事なものなので、こんなふうに使って欲しい、みたいな思いは全くなくて、それぞれの方がそれぞれの思うように使っていただくのが一番だって思っている。


プロフィールグラレコについてはこちらのブログ記事にきっかけとか思いとかを割と詳しく書いてます。

グラフィックレコーダーだから描けることってあると思うのね〜プロフィールグラレコのこと - わくわく記録帳

その人のこれまでのこと(キャリアに限らずライフについても)をお聞きして、それを1枚にまとめる、プロフィールグラレコなるものを提供し始めて3年になります。これまでに...

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今回はご本人ではなくご家族にお話をお聞きして完成させた。まだうまく言葉にできていないけれどいろんな発見とか思いが交錯しているので、今時点の思いを記録しておくことにする。


生きているうちにご本人からお話を聞きたかった、という思いもある。戦争の話、若い頃の話、家族でも知らなかったことや、その時々の決断や思いなど、亡くなってからでは聞けないことがたくさんある。
けれど、ご本人ではなくご家族や近しい人が、故人の思い出を語る、っていうその時間、その行為がとても貴重で幸せなことなのかも、と今回ゆかさんのご家族のお話をお伺いしてしみじみ思った。
出来上がった後も、絵があることで新たに思い出すことが出てきたり、実はあの時はこう思ってたんだよ、みたいな話が飛び出したり、家族にとってもいろんな発見があるのかもしれないなーって思った。
描いて終わり、「すげー!」って言って見て終わり、じゃなくて会話が続くっていうのが本当に素敵だし、嬉しいし、グラレコってこうあるものなんだよなーって思った。
(わたしの絵がこれまたゆるいので、なんというかシリアスにならずにちょっと気楽さが出てくるのもよかったのかもなー、なんて思っている)


ご本人が語ったことではないから、事実とは異なる記載もあるかもしれない。○年に何をした、という時系列がちょっとずれているかもしれない。絵ではなくて、自分史や家族史など文章にして残すこともできたかもしれない。
けど、絵にすることでその人がどんな思いでどんな道を歩んできたのかが浮き上がってくるような気がする。そんなグラレコを描いていきたい。まだまだだけどね。


福岡に住むわたしと、三重県に住むゆかさん。普通に暮らしていたらまず出会わなかった2人。人の縁って素晴らしいなぁ。田中先生と板谷さんから繋がった細い(いや、がっつり太い)糸がこんな形で結ばれて、ご家族の歴史を記録するお役目をいただけるだなんて、ほんと奇跡。あらためて田中先生、板谷さん、ありがとうございますー。そしてお声かけくださったゆかさん、本当にありがとうございました。楽しく幸せな時間でした!


ヒストリーグラレコには全く関係ないけど、写真はご実家にお伺いする前に早起きして連れて行っていただいた伊勢神宮の木漏れ日。見守ってくれているような優しい光。


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そこにある声をきちんと聞きたい〜放課後をもっと楽しく、なワークショップでグラレコ描いてきた

2025-07-20 06:31:57 | グラレコ



先だって、市が主導する学校活用型体験プログラムモデル事業の事前準備的なワークショップでグラフィックレコーディングしてきた。平たくいうと、放課後に学校で習い事ができるよ、まずはモデル校で導入しようと思っているので、みんなのやりたいことを聞かせて欲しいな、っていうワークショップ。ワークショップそのものにはグラレコは必要ないのだけれど、今後テスト展開をしていくにあたって、どんな意見が出て、それに対して当事者である小学生たちがどんな反応をしていたのか、そういったことを記録に残すことで施策の方向性を確かなものにしたい、という意図でグラレコが導入された。


子どももいないし、輪番制で回ってくる自治会やマンションの理事会の役員ぐらいでしか地域と関わりがないので、自分が住んでいる地域への恩返し的な意味で、自治体からの依頼はよほど「あれれれれ?」ってものでない限りお受けしている。世の中の水準からしたらびっくりするほど安い謝金であっても。後進のためには良くないことかもしれないけれど、それが地域で生きているわたしなりの還元の仕方なのだ。


で、このワークショップ。学校によって参加する子どもの数も年次も、開催する教室も、時間帯も全て異なる。基本の設計は一緒だけれど、低学年と高学年とでは下校時間も異なるから、待ち時間もなんらかのコンテンツを用意したり、低学年が多い場合には進行に余裕を持たせたり、サポート担当として市の職員らが各テーブルに入ったりとなかなか手厚い。


ワークショップの進行そのものは至ってシンプルで、今日の目的を説明した後、こんなことやってみたいっていうのをたくさん出して!な流れ。途中、思考やアイデアを広げるためのヒントを授けたりしながら進んでいく。付箋が貼り尽くされた模造紙を各テーブルを回って眺めて「これいい!」なアイデアにシールで投票する、というクロージング。
ヒントを参考に考えてね、って言ってもそこは子どもの自由さで、ぜんっぜん関係ないことを発想したり、シールは1枚ずつよ!ってルールはあっても、貼ることが楽しいからペタペタ一度に全部貼っちゃったり、この無秩序さは大人のワークショップではないことなので、めちゃくちゃ新鮮だったし、面白かった。「ワークショップ」という場においては、目的が達成できれば細かな進行はあまり気にしなくても構わないわけで、そこは自由に振る舞ってもらえれば良いのだけれど、一方で、ルールに従うってこともどこかで身につけておいた方がいいんじゃないかしら?って考えちゃうわたしもいて、このジレンマがまた面白かった。


子ども対象でも、大人対象でも、ワークショップを設計、進行する時に留意すること、大切にすることは全く同じだなぁーというのが今回の1番の学び。
伝えたいこと、得たいことはシンプルに。あれもこれもと欲張りすぎても得るものはない。本当に得たいことに注力する。
今回は、ハーベスティング(まとめ)はせずに、とにかく出す、発散させることが目的だったので、そこはあまりぶれなかったけれど、ワークショップを設計するときにどうしても陥ってしまうのがコンテンツにこだわってしまうこと。持ちネタやりたくなったり、新ネタを試したくなったり、何かしら面白いこと、新しいことをやってみたくなっちゃう。でもそれって本当に必要?今回のワークショップで得たい結果を出すために必要なコンテンツ?ってことは何度も何度も問い直していいし、問い直せる人でありたい。


今回、ワークショップを記録しながら場を観察していて気になったことや気づいことはたくさんあって、
例えば、大人対象でもそうだけれど、アイデアが次々に出る、それいいね!と盛り上がって賑やかに「対話」がされている様子を「よし」としていないだろうか?子どももワークショップ慣れしているのか、たくさん次々に出すこと、元気よく発言するのが良いことなのだと知らず知らずのうちに刷り込まれているように見えてしまった。ゆっくりじっくり考えること、1つに込めることを蔑ろにしていないだろうか?よく見ると、よく聞くといい意見、面白い意見、これまでにない意見はたくさんあるけれど、大方が「それいいね!」と盛り上がって反応した意見に偏っていないだろうか?
実際に、わいわいと楽しげに進める子らの輪に入れなくて、別作業をしていた子どもがいたのだけれど、熟考して意見を出していた。「放課後にやりたいこと」というお題なので、「サッカーやりたい」「お菓子を作りたい」「ゲームやりたい」「絵が上手くなりたい」「違う国の言葉を話したい」「学校かくれんぼやりたい」といった極めて”健全”で子どもらしい意見が大半で、そうだよね、いいねーな雰囲気に包まれていたのだけれど、中には「自分の好きな自分になりたい」「○○(以前住んでいた地域)に帰りたい」といった心の叫びのような意見(付箋)もあった。そうした意見はそれ以上深掘りされることも、他にはあるかな?と広げることもなく、終わってしまっていた。もちろん、悩み相談、解決の場ではないのだから必要以上に深掘りをすることはないけれど、気に掛ける・気に留めることはしていきたいし、1つの意見を大切に取り扱う、ってことは意識していきたい。今回、努めてそうした声を書き残したけれど、これからも肝に銘じたい。


子どもにとって大人の存在は影響力が大きい。今回、各テーブル(4−5人)に1人、大人がついて、意見を促したり、こんなのどう?と提案したりとサポートをした。先生でもないし、何か権威や決定権があるわけではない。けれども子どもにとって「大人」の意見、「大人」のお墨付きはとても大きな影響を持つ。大人が安易に「それいいね!」と口に出すと、似たような意見しか出てこなくなってしまう。これは年次に関係なく、むしろ高学年の方が同調したり、顔色を伺う(空気を読む)傾向が強いかもしれない。


普段、子どもと接することがほとんどないので、何もかもが新鮮で面白い経験だった!グラレコ=絵を描いていると「何描いてるの?」と興味深そうに近づいてくる子もいて、秘密基地を作りたい、というアイデアに南極基地のようなイラストを描いたら「私のイメージと違う!」って怒られちゃったりもした笑 容赦ない笑


後日、各校ごとに1枚のサマリを作ってほしい、というご依頼も一緒にいただいていたので、当日の付箋やグラレコを見返しながらまとめたのだけれど、面白い意見がたくさんあってわくわくした。これ、言葉の額面通りに受け取らず、変化球的に捉えたらいろんなことができるのになー。虹の上を歩きたい、とか、大人になった自分を見てみたい、とか、このキーワードをもとにワークショップを設計したらめちゃくちゃ楽しそう!こういうことならずーっと妄想していられる。


子どもたちのフルパワーで遊ぶスタミナはほんとすごい。おばちゃん、帰ったらぐったりだったよ笑 
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残らないものを「変換」して残す力〜長岡ゼミでグラレコやってきた

2025-05-31 07:16:13 | グラレコ
先だって、法政大学長岡ゼミでグラレコのワークショップを行いました。2016年からお声掛けいただいて、コロナ禍中もオンラインで行い、なんと今年で10回目!毎年、学生と一緒に先生の話を聞いて「!!!!」な知的刺激を浴びるめちゃくちゃ役得な時間を過ごさせていただいております。


グラレコのワークショップや講座はかれこれ150回以上開催していて、基本的な進行の「型」はあるし、核となる伝えたいことも変わっていない。けれども、相手や状況、環境が変われば伝えたいことや進行も変わるし、何よりもわたし自身のグラレコとの関わり方、向き合い方が変わるので、毎回少しずつ内容は変わっている。最近はグラレコが使われる場面も増えてきているし、一線で描くのはもういいかなーと思っていることもあって、今年は例年とはちょっと違うスタンスで準備をしていた。


今年の長岡ゼミのテーマが「越境と場づくり」で、ちょうど先週が最初のカフェゼミ(長岡ゼミでは、一般の人も参加できるオープンなゼミを学生が主体的に運営して定期的に開催している)だったので、よりワークショップ的な要素を強めに、「ワークショップ」を体感できる進行にしてみた。



新しいツール。名刺よりもちょっと大きめのサイズで20枚のカードを使って「見立て」を楽しむワークをやったりいろいろと楽しい。全部手描きでしこしこせっせと作ったのも楽しかった!


今年開発(ってそんな大袈裟なものでもないけど)したツールを使って「見立て」を楽しむワークなど、ワークショップそのものを楽しむ時間になったこともあって、最後にいつもより長めに長岡先生がラップアップをしてくださった。


文系の学生が絵を描く=グラレコをやる意味ってどんなところにあるんだろう?な問いかけから始まって、INPUTした話を、画像(絵)でOUTPUTする。その時に必要なのが「見立て」の力。絵に意味をつける/見立てるのは知的な作業で訓練が必要。1時間の話を1枚に変換するのは、ざっくり1枚で重要なことを思い出せるようにするため。パッと見た時の感覚が大事で、グラレコはそこに描かれたことを一つずつ丁寧に読んでいくものではない(きれいに丁寧に並んでいると全部読みたくなっちゃうけど、そんな必要はない)。残らないものを変換して残す、それが大事。(それは絵でなくても文字でもいいわけだけど、ぱっと見で思い出せる、共有できる力が絵にある、ってことなんだと思う)
以上、相当意訳。


そうなのよ。グラレコをやってきて、もしもわたしに何か力・能力がついたのだとしたら、見立て、変換する力なんだと思う。
わかりにくいことやごちゃごちゃしたこと、なんだかモヤっとしていることを、図や絵にして「そうそう、そういうことー!」ってなるようアウトプットする力はついてきていると思う。それがビジネスの世界で通用する(お金になる)ことも大事だけれど、自分自身の思考や感情の整理にめちゃくちゃ役立つ。腑に落ちて先に進める力になる。


10年やっていると、伝えたいことも少しずつ変わってくる。最初の頃はまだまだグラレコは一般的ではなかったので、まずは絵や図を使って記録する手法を学びましょう、な講座的な色合いが強かった。技術を習得する系ね。
そして、言語化(わかりやすく端的な言葉にすること)の重要性が盛んに言われるようになってきた頃には、「言語化はいいことだけど、でも言語化すると削ぎ落とされちゃうことってあるよね、それが残せるのがグラレコで、その場の雰囲気や「なんかいい」を画像化していくのが大事なことなんだよね」を伝えていた。
コロナ禍でオンラインが主体になった頃には、コミュニケーションの取り方、あり方を再度考え直す時期でもあったので、「同じ話を聞いても受け止め方は人それぞれで、分かり合えない、あなたとわたしは違うという前提にいるのが大事。だから可視化して違いを表出化させることって必要なのよ」なメッセージを発信していた。
そして、今年「見立てる/メディアに変換する力」という新しいメッセージを受け取った。


でもね、根底に流れていることはずっと一緒。
きれいで画力があって、すげー!ってなるグラレコは世の中にいっぱいあるし、そういうグラレコをわたしも描きたいって思うよ。けどね、記憶が想起できるグラレコが良いグラレコ、っていう思いはずっとずっと変わってない。そして「残したい」と思うことを楽しく(自分なりに)描けばいい、っていうのもずっとずっと変わってない。若くて絵の上手いグラフィッカーたちがたくさん活躍していて、わたしが第一線で「描く」っていうのはシュリンクしていってるけど、このスタンス、マインドを伝えられるのはわたししかいないんじゃないかって傍若無人にも思っている今日この頃。とはいえ、これを伝えるためには「ひめさんみたいに描きたい」って思ってもらう必要があって、そのためにはガンガン描かなきゃならなくて、そのギャップにうぅぅううぅぅぅーん!ってなってるイマココ笑


おまけの話。
長岡ゼミで昨年くらいから盛んに言われている「お菓子の法則」。研究室でお菓子を食べながら手を動かして話をすることでいろんな発見や次へのヒントが見つかったり、お菓子があることで「はじめまして」の人も気軽に気楽に場に参加できたり、お菓子そのものに意味を持たせたり、ってことが日常的に行われている様子をXで拝見していたので、お菓子、おやつといえばひめさん、久しぶりに本気出してみた笑 








オリジナルのチロルチョコを空輸しましたよ。評判も上々。ぜひカフェゼミオリジナルのチロルチョコを作っていただきたい!絶対もらいに行く!


おまけ(2)
みんなが描いたエモグラフィー。めっちゃ可愛い。それぞれに味があっていい!



(画像はXから拝借🙇‍♀️)
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グラレコは記録でしかない。だからこそ丁寧に取り扱いたい

2024-12-31 14:42:02 | グラレコ
年末恒例の聞間先生の振り返り会@zoomに参加した。参加にあたっては振り返りシートを記入する、という事前準備があるわけだけど、このシート作成の時間から振り返り=リフレクションは始まっていて、書きながらあれこれ思い出したり、そうそうそうなのよーと腑に落ちたり、納得したりと、とてもよい時間を過ごすことができている。聞間先生、毎年ありがとうございます。


で、今年中に書いておきたかった(残しておきたかった)グラレコのこと。何度も書き出しては止まり、あぁ、これって向き合いたいけど、向き合いたくない、自分の弱いところをえぐる行為だから辛いんだよなぁ。せっかく振り返り会に参加して、自分で喋ってみて、そしてご一緒した皆さんから感想や質問をいただいたりしながら、そうかー!と改めて腑に落ちたので、勢いのまま残しておくことにする。本当はもっとちゃんとリフレクションした方がいいのかもしれないけど、それをやってると一生残せないような気もするし(おいおい)。


ここ最近、グラレコの知名度が上がってきて、見たことがある人も描く人も増えてきた。それ自体はとても喜ばしいことで、テキストや写真、動画といった媒体以外の記録が残ることは、いろんな可能性を含んでいると思っているから大歓迎だ。
そうではあるのだけれど、一般的になればなるほど、むむむむ?と思うことも増えてきたのもまた事実で。


わたし自身は10年くらい前から、グラレコって言葉を知らずにこの方法で記録を取っていて、「それ面白いね、いいね」な声に後押しされて描いてきて、描いてみたいー!って方に向けて講座を開いたりしてきた。そして描く人が増えることは喜びでもあった。


けど、
「もっとグラレコを普及させたい(普及するといいのに)」
とは1ミリも思ってなくて、あくまでも記録の手段の1つだから、グラレコって方法に頼らなくても記録ができて振り返り、共有のツールがあればそれでいいと思っている。


と言うのも、グラレコを描く人が増えると、いろんなアプローチの人が増えてくる。そのこと自体は喜ばしいことだと思っているけど、誤解を恐れずに言うと、わたしは他の人が描いたグラレコからそこで起きたことを読み取ることができない。画像として処理されてしまって、情報に変換できないのだ。
(この方の描くグラフィックは入ってくる!わかる!っていう信頼するグラフィッカーさんはもちろんいる)
これまた誤解を恐れずに言うと、なぜ入ってこないのか?といえば、それは記録ではなく作品に寄ってしまっているから、な気がしている。ご本人にはそんな意識はないのかもしれないけれど、でもね、「うまく書きたい」「上達したい」って言っちゃうのって、やっぱりアウトプットのインパクトに意識が行っていることだと思うの。


「うまく書きたい」よりも「きちんと聞きたい」。
「上達したい」よりも「その場を理解したい」。

がわたしにはしっくりくる。


今、MCCで新しく開講したホンマさんの講座でグラレコを担当させていただいている。
冬に受講していたホンマさんの講座で、振り返りシートとともに、自分自身の整理と学びのために振り返りをグラレコ化して一緒に提出していたら、それをクラスの振り返りの時間に資料として活用してくださった。その流れで今回ご依頼をいただいた。

ホンマさんの講座は、3時間のうち最初の1時間を前回の振り返りに割いている。すごくね?
でもこの1時間がいい準備運動となり、他者の視点(クラスメイトの振り返りを共有してもらっている)を受け取るとてもいい経験、学びになっている。
ホンマさんは、「3時間の講座よりも振り返りの方が大事。振り返りをしてこそ、3時間が生きる」とおっしゃっていて、それには自分一人でうにうにと振り返る・考えるだけではなくて、他者の(クラスメイトの)視点も取り入れることが大事だ、とメッセージされている。その「他者の視点」の一つとしてわたしのグラレコを毎回の振り返りの際に紹介、活用くださっている。


これ!これはわたしにとって理想とも言える使われ方なのですよ。
ホンマさんは、わたしの描いたグラレコが「正解」であり全てを網羅しているとは、全く思われていない。あくまでも「ヒメの視点で、ヒメが聞いた(印象に残った)ことをまとめている」として取り扱ってくださる。


これなんですよ。
こんなふうに視点が増えるために使うこと、振り返り=学びをリッチにするために、グラレコを活用すること、これこそがわたしの理想とするグラレコの使い方であって、こういう場で描きたい、と強く強く思った。


この感覚を共有できる現場って少なくて、だから仕事量としてはこれからどんどんジリ貧になっていくだろうし、画力のないわたしはグラレコ界ではオワコン化していくだろうけど、そんなの関係ないや、って思った。


その場で話されていること、肝になることを捉えて記録する。あくまでもわたしの視点にすぎないのだ、という自覚を持って、話し手に敬意を払って記録する。これがわたしにできることで、多分、わたしにしかできないことだと思う。


と言いながら、画力のあるグラフィッカーさんのグラレコ見ると、どよよーんと凹んだりもするんだけど、わたしはわたしの道を行けばいいや、と開き直れた/腹をくくれた2024年大晦日。
ご一緒した皆さん、聞間先生、本当にありがとうございました!


さて、これから捏製作所のおつまみセットと日本酒で乾杯ですー。皆様、よいお年をお過ごしください。



おまけ
オンライン忘年会用に作った壁紙が割といい出来だったのでここにも貼っておく。
バイバイ辰年、ようこそ巳年。

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自分のスキルが誰かの役に立つなら、そうやって使っていきたいよね

2024-04-03 22:00:06 | グラレコ


昨年、お友達のもといわさんが立ち上げられたグレイヘアフェスのクラウドファンディング。何かお手伝いができないかなー?とリターン品にプロフィールグラレコはどうかしら?と提案して採用いただいた。支援をいただけて成立、無事に全員分を納品できた。


依頼されてプロフィールグラレコを作成すると、完成に至らないケースがある一定数ある。自分の過去に向き合って辛くなってしまうのか、わたしが出したものがお気に召さないのか。後者なんだろうな、と思うとわたしも人の子ですから、それなりに凹む。画力や編集力は精進するほかないのだけれど、返事がないままフェードアウトするケースもあれば、「ちょっと忙しくて自分に向き合えない」とお伝えいただくケースもある。それがずっと辛く苦しかった。わたしの時間やお金はどうでもいいけれど、作って欲しくて依頼したのに完成できない、ってことに対して申し訳ない思いや疑問、消化不良感をずっと抱えていた。


なので、あまり表立ってサービス提供をしてこなかったのだけれど、それでも作って欲しいというお声を度々頂戴する。この声には応えたい。けれど、完成できない辛さや申し訳なさはもう味わいたくない。
どうやったら解消できるんだろう?そうずっと考えていた。


ちょっと話は変わって。人生後半戦に入って、そろそろお返しする番になったんじゃないの?って気持ちが芽生え始めている。自分のこれまで培ってきたことを仕事として頑張るのではなくて、何か別の形で還元するってのもアリじゃない?と思い始めた。
実家の母は50歳を超えた頃から、地域でボランティア活動を始め、点訳を始めたりと、それはそれは楽しそうだった。今でも小学校の支援級の介助ボランティアは続けていて、楽しそう。そんな母を見てきて、わたしもそうした活動にシフトしていきたいな、と思い始めていた。


この思いが合体。


これからは依頼され対価をいただいて描くのは辞めよう、ボランティアとして描こう、公式に表立って提供することはやめてクラファンのリターン品のような形で提供しよう、そう決めた。


自分のスキルが役に立つ。プロフィールグラレコを喜んでもらえて、プロジェクトにも貢献できる。まさに三方よし。こういう活動をこれからは増やしていきたい。そんなふうに思っている。

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グラレコは誰のものなのか?

2024-03-18 21:17:39 | グラレコ
言語化しておきたいことの一つに「グラレコは誰のものなのか?」がある。
グラレコを使った場や、ちょっとだけ実践要素の強い講座を行うときに、伝えようとあれこれ言葉を尽くしているのだけれど、どうにもうまく伝わっていない感があって、やきもきしている。


≈グラレコ?流行ってるよねぇ」と揶揄されたり、「グラレコって漫画みたいなイラストが描かれてるあれでしょ、何がどう役に立ってるのかわかんないよね」と批判的、懐疑的なお声も多くいただくグラレコではあるけれど、なんかね、この「グラレコって誰のものなのか?」をちゃんと伝えられたら(その前にちゃんと定義して、ちゃんとブレずにいられて)、わたしも自信を持って「グラレコ楽しいよ、みんな描けばいいのにー」って言えるんだろうなーって思ってる。


グラレコが描かれる場によっても「誰のものなのか?」は違うと思う。
いつも講座では「自分のノートが楽しく描けて、それを見返して記憶が蘇ってくるような、そんなグラレコが一番!」って言っている。自分の手元のノート、自分の振り返りのために使うグラレコは間違いなく自分のため、なんだと思う。
(それはグラレコではなくて単なるノートテイキング、スケッチノートでしょ、というお声、ご指摘はごもっとも。)


けど、役割として「描く」ときには、誰のものなのか?は意識したい。
講演やシンポジウムなど登壇者の話を記録する時は、原則、話し手のものだと思っている。もちろん、参加者への情報保障の意味合いで導入されているケースも多いので、その場合には「参加者のもの」でもある。


チームでの対話や議論を可視化する時、これは間違いなくそのチームのもの。リアルに起きていること、その場で話されたこと、問題や不満といった出したくないものも含めてその場に吐き出されたものを書き留める(可視化する)ことに意味を求めて「描く」のだから。


いずれにしても、描き手のものじゃないことだけは明白だと思っている。
グラレコは作品じゃない。あくまでも記録。そして、そこに描かれているものは、話し手が発した大事な言葉、エピソードである。それを描き手が解釈を加えたりすることはあってはならない、と思っている。


たまに、トーン&マナーを指定されることがあるんですよ。こういうイラスト使ってください、こんな色合いでお願いします、他のグラフィッカーと同じテイストで描いてください、とかとか。
謎。もしかしたら深淵なる理由があるのかもしれないけれど(理由をお知らせいただくこともあって、その場合にはなるほど納得できるものが多い)、トンマナを指示されるってことは作品としての完成度や統一感を求めているのかな?それってグラフィックレコーダーじゃなくて、イラストレーターに依頼すべき案件なんじゃない?って思ってしまう。


出来上がったグラレコは、視覚的にかなりインパクトがある。初めて見る人にとってはかなりの衝撃もあるだろう。そうするとついつい、グラフィッカーの作品っぽくなっちゃうけれど、いや違う、極論、話し手の言葉をそのまま描いているだけ。話し手が発した言葉を文字と絵にして残しているだけ。それはテキストデータで文字起こしするのも、動画データで残しておくのも一緒。ただ、加工の仕方にグラフィッカー個人のフィルターがかかってしまって、個人差が起きるから、「作品」として受け止められてしまう。


描き初めの頃は楽しくて、ついつい描いたものを「見て見てー」ってシェアしがち。わたしが描いたグラレコはわたしのものかもしれないけれど、でもね、話し手の話があってこそ、のものだし、話を丁寧に描くことこそがグラレコなんだから、そこは自覚的でいたいよね。著作権がどうーみたいな面倒なことを言うつもりはないけれど。


まだまだうまく言葉にできないんだなぁー。引き続き、いろんな人に話したり、発信したりしながら研ぎ澄ましていこう。


(もしかしたら描き手のもの、って時もあるのかな?)











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囲い込むんじゃなくて、どんどん広がっていってほしい

2024-03-14 22:35:33 | グラレコ
ここ最近、グラレコ講座を自分で主催して開くことが少なくなっている。会場手配をはじめとする事務局業務がなかなか大変なので、誰か企画してくれないかなーという他力本願、他責全開。
ただ、やっぱりやるととっても楽しくて、ああぁあ、もっとこういう場を作りたい、作らなきゃ、って気分になる。やる気が長続きしないのが難点だけど。


HOOD天神での全3回シリーズが昨日終わって、その勢いのまま、今日はつい先日まで受講していた「小さなリーダーシップ論」の皆さんと一緒にグラレコぷち講座を開催した。


いやー、楽しかった!
楽しかった!って言ってもらえることが本当に嬉しいし、描いてみます!描きます!っていう感想が何よりも嬉しい。この一言のためにやってるんだよなぁ、って思う。


絵は苦手だからなぁ、、、って皆さん、最初は躊躇される。描けるようになるとは思えない、ともおっしゃる。
そんなことないのよ、みんな描ける。そもそも何を持って「描ける」というのかも曖昧だし、記録なんだから、うまく、きれいに描く必要なんて1ミリもない。絵が上手い人、美術や図工の成績がよかった人のためのものじゃなくて、みんなのものなのよ。画力のある人、色使いが上手な人、なんならツールをうまく使いこなせている人が描いたものを見ると「ぉお!」「すごーい」って思っちゃうのは否めないけど、でも、だからと言ってそれがいいグラレコなわけじゃない。


良いグラレコって何か?って、わたしは声を大にして言いたい。
記憶が想起できるグラレコが良いグラレコ。それは自分だけが見てわかるものでいい。そうそうそうだった!とその時の情景が思い出せるような、そんなグラレコが良いグラレコ。画力があるとか、色使いがきれいとか、字がかわいい、とかそんなの全く関係ないのよ。


でも、画力がある人の描くグラレコは破壊力があるから、それを見ると「すごい、けど、わたしには描けない」ってなっちゃう。それってもったいない。


みんなが芸術家、画家、イラストレーターである必要は全くなくて、大事な記憶を留めておければそれで良いのだし、さらに一歩進んで「そうぞう」(イマジネーションとクリエーション)を刺激して育むことが必要とされている昨今、そんな力をつけられればいいのだから、どんどん手を動かして描いてほしい。グラレコが一部の人のものになっちゃうの、まったくもって勿体無い。こういうこと言うと、玉石混交を生むからよろしくない、それを生業にしている人の仕事を奪ってしまうことにもなるので、あんまりいい顔されないんだけど、誰もが覚えておきたい・記憶に留めておきたいことを記録できるようになったら、すっごく素敵だと思うんだよね(語彙が貧困すぎる)。


新しい技術だったり、様式、方式が出てくると、それを囲い込もうとしがち。ブルジョアの中だけで楽しむ、みたいな。資格ビジネスなんかもそうだけど、いいこと、いいものなんだから囲い込むんじゃなくて、もっともっと広めていこうよ、と思う。その過程の中で、意に沿わないものも生まれるかもしれない。けど、それでいいじゃん。そうやっていろんな形で広がって使われてこそ、の技術や様式なんだと思うのよ。


知は流通してこそ、汎用されてこそ。


そう思うんなら、もっと伝えていかなくちゃ、と珍しくちょっと前向きになっている。がんばろ。(いつまで続くかな、このやる気)

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クラス(学び)に貢献できるグラレコがいいよね

2024-02-15 22:11:30 | グラレコ
グラフィックレコーディングの描き方のワークショップをやっていて、いつも最後に「グラレコはなんのためにやるのか?」ってことをお伝えしています。
「自分のためでいい、自分のノートが楽しくなって見返したくなって、それを誰かに共有することで学びがリッチになっていったら嬉しいし、それはいつかみんなの課題解決に繋がるって信じてる。だからまずは自分のためでいい」って言っている。
(一方で、グラレコは描き手(聞き手)のものではなくて話し手のものなんだ、ってことも大事だ。このことは絶対に忘れちゃいけない、って思ってる。話し手、話されたことへの敬意は絶対に必要。)


基本的に、人の話を聞くのが楽しくて、覚えておきたい、記録しておきたい、残しておきたいと思うから描いている。そして、自分自身の思考の整理として、グラレコの要素(言葉にしにくい感情や雰囲気を表す絵や図解化)を用いて描くことも多い。


今、受講している講座では毎回リフレクションシートの提出が課題として出されます。字数は自由。できるだけ文章で書くように、と推奨されています。これがなかなか書き出せない。(という話は以前にもブログに書いた)それを解消するため、頭の中を可視化すべくグラレコ的な落書きも一緒に描いて、提出している。




こんな感じ。なんとなくぼかしてます。


毎回、冒頭にたっぷりと時間をとって振り返りをするのですが(なんと1時間以上!)、そこで毎回グラレコを取り上げていただいている。しかも先生の解説、解釈付きでめちゃくちゃ学びが多い。役得がすぎる。


これはわたしの思考の整理として使っているものだけれど、これをクラスで共有することで、前回の振り返り+別の視点(解釈)の提供ができているらしいのです。最初は、グラレコっていうアウトプットが珍しいだけなんじゃ?って思ってたけど、可視化すること、テキストだけでは伝わらない感情や構造がわかったり、パッと見て「なるほど!」と思えたりと、そうかこういうことだったんだ!と腑に落ちたりと、いろんな使い方、見方があったようで、思った以上に活用していただいている。ありがたやありがたや。


そう、こういうのがいい。描くときにもいつも意識している。自分の描いたものはもちろん自分のために使う、でいい。でも、そこで立ち止まってたらもったいなくて、誰かの役に立てたら嬉しいし、そういうものを描きたいと思っている。特に学びの場で、誰かの学びを促進する、クラス全体の学びを深めるために使ってもらえるなんて最高じゃないか。



備忘(今日の講座の名言メモ)
・リーダーシップの有無は「執念」これに尽きる
・自分と違う意見は獲得して終わり、ではなく、食いつくことから始める
・うなずく=自分と同じ意見 そうではなくて揺さぶられることが大事
・大人の学びは違和感との出会い 混乱に対して答えを簡単に出さない



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グラフィックレコーダーだから描けることってあると思うのね〜プロフィールグラレコのこと

2023-12-27 23:13:25 | グラレコ
その人のこれまでのこと(キャリアに限らずライフについても)をお聞きして、それを1枚にまとめる、プロフィールグラレコなるものを提供し始めて3年になります。これまでに描いたプロフィールグラレコは96件。今進行中のものが2つあって、自分のも入れると99個。おぉ、あとちょっとで大台だ!


始まりは、お友達の伴さんから、
「伴さんって何やってる人?って聞かれてうまく説明できないの。絵を使って紹介できないかな?」
とお話しいただいたことがきっかけ。伴さんには過去にキャリアバラエティでご紹介させていただいた時に描いた記事+挿絵があったので、
「それだったら1枚にまとめてみたら面白いかも!」
と、今のスタイルが出来上がりました。




描いたプロフィールを伴さんがいろいろなところで使ってくださったこともあって、おともだちを中心に「わたしも描いてほしいー」という方のプロフィールを描き始めたのが2020年の冬ごろ。


その人のこれまでの話が聞けて、それをまとめてお渡しすることで喜んでもらえて、しかもそれを見た人とのコミュニケーションが生まれるって、なんてステキなお仕事なんでしょう!とライフワーク的に取り組んでいるのですが、時折お問い合わせをいただくので、一応、サービスとしてこっそりWebサイトでお知らせもしております。


グラレコでプロフィールをつくる

「〇〇さんって何やってる人?」「何してきた人??」と質問されたときに、すらすらと答えるってなかなか難しいことだ…

わくわく記録帳

 


大学院同期のこれまでのキャリアを頼りになる大好きなむーちゃんが「徹子」となって聞いてくれて、それを聞いて描く通称「キキカキ」では50人ほどいる同期のうちの実に28人のキャリアを描かせてもらった。中には宇宙飛行士候補になった同期も!


そのほか、チームメンバーのキャリアを知る=背景を知ることでチーム力が向上するよね、ってことで組織開発の文脈でチーム、グループ全員分のキャリアを描かせてもらったり、個別にご依頼いただいて描いたり、実家の父の長い長いサラリーマン人生を描いたりもした。(いつか母のユニークな地域活動の歴史も描いてみたい!)


これね、わたしはキャリアの専門家でもなんでもないし、インタビューもそんなに得意な方じゃないので、淡々と事実を確認するように聞いていて、わたしの思いや解釈は乗せずに描いている。グラレコするときもそうだけど、要約するのではなく、切り取る、って感覚。大事な思い出、出来事、発言を要約したり、解釈したり、意味付けしたりせず、その人の発言そのものを描くようにしている。かけがえのない、その人だけの人生、キャリアなんだもの、わたしが意味付けしたり、まとめちゃうのは違うよね、って思ってる。


グラレコ講座の時にいつも
発言したことが100%思い通りに描かれるとは限らない。同じ話を聞いても受け止め方は人それぞれ。なぜなら、その人の経験や価値観によって知らずと意味付けされてしまうから。だから可視化して、違いを表出させることがわかりあうためには大事なんだよ、
って言っている。


だから、わたしが描いたプロフィールグラレコも、ご本人からしたら「こんなふうになるんだー」とびっくりしたり、発見があったり、もしかしたら違和感もあるのかもしれない。完成に至るまでにはやり取りを何度か重ねるので、ネガティブな違和感は無くなっていくと信じているけれども、それでも、自分と全く同じ解釈でアウトプットされるわけじゃない。


ある程度、ご自身の中で出来上がりのイメージがあったり、これは必ず盛り込んでほしい!という強い要望がある場合には、グラフィックレコーダーであるわたしではなく、イラストレーターやデザイナーに依頼した方が圧倒的に満足いく作品が出来上がる。
グラフィックレコーダーであるわたしが描く意味は、ご自身が話した内容を描く、そこにあると思っている。解釈や意味づけはご自身で行うものであって、わたしはフラットに聞いて、フラットに描く。もちろん、一番熱量を持って話していたことはこれだ!とか、発言の中に何度も出てくる言葉とか、そういう大事なことは聞き逃さないようにしているし、それができてこそ、グラフィックレコーダーと名乗れると自負もしている(一応ね)。


そうそう、プロフィールグラレコを描いた方の多くがキャリアチェンジをされているんですよ。たまたまそういう転機の時にご依頼をいただいている、っていうのもあるし、キャリアの棚卸しが自然とできるので、やりたかったことや自分の強みが再確認できて、次のステージへと向かうのかもしれないなぁーなんて思ってる。
自分が発した言葉を、誰かが受け止めて、そしてそれをアウトプットする。自分の中では意味付けできていたことも、他者の目線で再構築される感覚なのかもしれないね。


一方で、時折、完成に至らない方もいらっしゃる。
わたしからしたら、いろんなお仕事、経験をしてきていて、その根底あるものは同じ(軸はぶれてない)って素晴らしいなぁ、って思っていたのに、出来上がったものを見て「自分はこんなにふらふらとしてたんですね、、、」ってショックを受けられた方もいた。
理由をきちんとお聞きできていないので推測でしかないけれど、自分では折り合いがついていたことや意味づけができていたことが、第三者のフィルターを通して可視化されることで、向き合うことにしんどくなっちゃうんじゃないかなーと。


完成できなかったことそのこと自体は別にどうでもいいんだけど、わくわくした気持ちで描いて欲しい!と依頼されたのに、その気持ちに応えられなかった、プロフィールグラレコを使ってやりたいことがあっただろうに、それを実現してもらえなかったことが苦しい。


ということもあって、なかなか表立って積極的に営業はしておらず、基本的には○○さんのご紹介、みたいな形でお受けしていますが、それでもやっぱり人の話を聞くことは楽しいし、かけがえのない人生の大事な話をしてくださることに敬意を持って、これからも真摯に丁寧に取り組んでいきたいって思っているよ。


100人目は誰かなー。なんて期待していると、自分の書き換えた分だった、みたいなオチになりそう笑

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