わくわく記録帳

一日に見聞きすることをすべて記録すると文庫24冊になるらしい。
そんなに!?
記録しておかないのはもったいないよね。

言いたいことをきちんと言いあうこと

2009-07-29 00:12:07 | オトナの学び
今日の中原先生のブログを読んで、あたしは考え込んでしまった。


ずーっと引っ掛かっていたこと=小骨がさらに大きな骨になっちゃった、そんな感じ。


中原先生が書かれていたのは・・・・
オープンなコミュニケーションとは言いたいことをきちんと言いあうこと
だけど、言いにくいことは言わない風潮がある
でも、喋りたい
するとインフォーマルな場でとりわけネガティブな物言いが横行する
よい組織とはコンフリクトを恐れずに話し合う集団ではないか?
ってこと。(相当意訳)



おおいに共感。


言いたいことを言い合うだけではなく、「きちんと」っていうのがミソなんだろうな。
でも、この「きちんと」というのが曲者。


言いたいことを「きちんと」言ったつもりでも、受け手が「言い過ぎだ」とか「失敬だ、お前に言われたくない」ととらえたら?
「もっと考えてからモノを言え」ととらえたら?


ニンゲンって細かな感情の機微を見逃さないものだから、そういう捉えられ方をしたら、ちゃんとわかる。
言い過ぎた、言ってはいけないことを言った・・・


でも、「言うこと」「発信すること」が求められている。
自己主張できる人、人前で物おじせずに発言できる人が優秀だ・・っていうラベルは貼られがち。特に当社なんかだと、おとなしい社員が多いので、とかく上位者は「メンバーのコミュニケーション力=発信力が足りない、もっと積極的に発言させよう」となりがち。


そうすると、おのずと「受けがいいことをきちんと言う」態度になりはしないだろうか?


上位者は「うちの組織は活発に会話ができている」と評価し、メンバーは相変わらず、うちに秘めた思いを抱え、コンフリクトを抱える。


結局、よい職場、よい組織ったって、それを決めるのは誰なのか?ってことなんじゃないか?ってこと。


職場実態アンケートとか職場活性度調査とか、従業員満足チックなことは結構ちゃんと取り組んでいる会社です。しかも、その調査結果を統計上だけではなく、設問のパラドクスも含めて解析しようなんて目論んでいる。(企画しているあたし自身は、こういった調査結果は読み取り方いかんであって、読み方ひとつでどーとでもなるって思っているんだけどね。)
でも、リアルな場での聞き取り、調査紙っていう媒体だろうが、日々の仕事の中でのコミュニケーションだろうが、そこには評価者=影響力の大きい人
がいるわけで、その人のことを意識した態度をとることになるんじゃないか?


「言いたいことをきちんと言いあう」には「顔色を見ないで」っていうのを付け加えないと、上位者=影響力の強い人が認めてくれるような内容に転換、翻訳して言いたいことを言う、ってことになりそうな気がする。


中原先生は、最後に
インフォーマルなやりとりが横行する日常か
オープンなコミュニケーションが創出できる日常か
決めるのは自分たちだ
と締めくくっている。(相当意訳)


オープンなコミュニケーションを行うには腹を括ることが必要だと思うんだよね。本当に言いたいことを言い合えるようになるには、どんなことでも受け入れなければならなくって、それってクチで言うほど簡単じゃない。
まずは受け入れなければ、発信してくれないでしょ。


つまり、どんな組織にしたいかを上位者が腹決めするってことなんだよね。
覚悟がないのに「オープンなコミュニケーションを目指す」なんて言っちゃいかんね。


最近のあたしは「コミュニケーション」って言葉の安売りに少々辟易しております。
足りない能力=コミュニケーション力
組織間のコミュニケーションが希薄・・・
よく聞かれるコトバですが、聞こえがいいだけに、覚悟を持って使うものだと思うなぁ。コミュニケーションを求めるならば、その準備をしなければならない、ってこと。


なんでもそうだけど、こういったコトバはすべて自分に「で、あんたはどうなの?」と跳ね返ってくる。
自省する日々です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生折り返しって何よ

2009-07-27 12:09:52 | キッカワコウジ
行って来ました リリースイベント@ラゾーナ川崎


いやー、暑かった。
現在、軽く熱中症気味です。平熱がそこそこ高いんでどーってことありませんが、今朝の体温37.7度。これを言い訳に今日は早く帰ります。笑。


ラゾーナはドアtoドアで15分、ラゾーナカード持ってるくらいなのでお買い物にちょくちょく行っていて、イベントにもなんどか遭遇している。「近ーいっ!」って場所では見れなくても、「見れなかった・・・しょんぼり」ってことはないだろう・・・とたかをくくりつつも、様子見がてら朝イチから行ってみようかなーと思っていたんだけど・・・前日飲み過ぎたこともあって、起きたら8時、半分廃人。この時点でテンション下がる。


気を取り直してしたくして出かけて11時ちょっと前にラゾーナ到着。
既に50人くらいの方が日傘&レジャーシートで待機。えらい、えらすぎる。


暑い


あまりの暑さにテンション急降下。おともだちと昼ごろ合流する予定だったんだけど、とてもとても炎天下で待つなんてムリ!と、「ゆっくりおいでよ~」というローテンションな連絡をし、あたしは一人館内で涼みつつ読書。
ラゾーナの飲食は混んでるので、申し訳ないなぁ、と思いつつも長居。


おともだちとは結局3時ごろ合流し、お茶しつつ、4時ちょっと前に広場へ。ちょうど、ここって通路になる?って場所の見切れ線近くを確保できました。ちょっとばかり日陰になっていたし、スタッフの女の子たちが「立ち止まらないでくださーい!」と誘導していたので、よーく見えました。


しーかーも
4時ちょっとすぎくらいに、あたしたちの前をなにやらラフな4人組みが。
EMMAさん、ホッピーさん、小池さん、ばんちゃんがうちわを片手に通りすぎていきました
誰にも騒がれることなく、あたしたちも「あ、ばんちゃんだ!」と気づいたものの何のアクションも取れず・・・。うーん、あの距離感だったら握手ぐらいできたかもー。



ダイノジのおふたりがエアギターとエアキッカワで登場。吉川が好きってのがよくわかる愛にあふれたステージでした。ダイノジさん、好感度アップです。


今日はアコースティックで3曲
・南風Honey
・終わらないサンセット
・せつなさを殺せない


途中やっぱり歌詞間違えたり、音程取れなかったりで歌いなおしたりしてぐだぐだ。
このゆるさが晃司くんらしいっちゃらしいんだけど。
でも、とっても声が良く出ていて伸びやかでした。白シャツ+黒ジャケ+ジーンズと言うスタイリングも○
かっこいい


こういうプロモーションっていいね。
ラゾーナイベントは、お買い物に来ているお客さんも見れるフリーイベントなので、あたしの周りにいた方たちも「はじめてみたけどかっこいいね~」と。
そう、かっこいいんですよ、キッカワコウジ。怖い人でもエキセントリックな人でもなく、散歩と馬と野菜作りをこよなく愛するもうじき44歳。生涯学習者。
もっともっと世の中の人に晃司くんのよさを知ってもらいたいなぁ。


3曲終わってからはダイノジさんとトーク。30分くらいあれこれ話してました。
今朝のズームインでは「シンバルキックが減ってる!」っていうのが取り上げられていましたね。


人生折り返しって何よ?なんで戻らなくちゃいけないのよ?


さらっと聞き流しちゃうにはもったいないくらい深みのあるコトバだ。
そうだよね、折り返しってフツウに聞き流していたけれど、それって戻っていくってことで、今までやってきたことそのものをよしとして振り返る、的なニュアンスがある。折り返してからの半分は消化試合なのか?と。
ずーっとすすみ続けるんであれば、折り返しじゃないよね~。40になったって50になったって新しいことやり続ければいいんだし。あたしもそういう人でありたい。


おともだちに
「こんなにテンションの低い三日月さんは初めて!」
と驚かれるほどテンション低かったんだけど、7ヶ月ぶりの生晃司はあたしの最低調のテンションを十二分に上げてくれました。


ビールと晃司は生に限るね。笑。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あれから一年。

2009-07-25 01:02:16 | 全然深刻じゃない闘病日記
先月の検査の結果は、小さな筋腫核がいくつか見つかったものの「しばらくは様子見でだいじょうぶでしょう」と言っていただいて終了。
とは言っても、子宮体がんになる可能性も捨てきれないようで、半年に一度は必ず検診に来なさいと。


来てください、ではなく、来なさい。


風邪もひかないし、多少の睡眠不足はどーってことないし、無理もむちゃもできちゃうくらい元気だけど(さすがに徹夜はできない。そんなことしたら翌日廃人です。)、健康診断では必ずひっかかる。
これはもう、どんなに気を付けていても仕方がないんだ、根気よくつきあっていくしかないんだって思う材料として、1年に1回、自分の体に向き合うこととします。


そして、本日。手術から1周年。
実は、従姉を中学生のときに亡くしている。原因は知らないんだけれど、盲腸の手術をした時の麻酔が合わなくて、彼女は二度と目を覚ますことはなかった。
従姉が中学2年、夏休みのキャンプの1週間前のできごとで、親戚のなかで一番仲がよく、よく遊んでもらっていて、あたしは手術の3日前に会ったばかりでした。


昨日まで元気だった人が、そして手術そのものはそんなに難しいものではない、と言われている盲腸の手術で、順調に回復すればキャンプに行けるよね~って話して手術室に入って行って、帰ってきたときには眠ったままだった。
ずーっと受け入れられなくて、悲しいというよりも「わからない」と言ったほうがぴたりと来るかも。
なんで?なんで目を覚まさないの?なんで彼女なの?なんで?
ひょっこり目を覚ますんじゃないかって、親戚中が願っていたけどそのまま3年間、眠ったままでした。苦しむこともなく旅立っていきました。


その日のことも葬儀のこともよく覚えていない。
3年間の間、日々は普通に流れて行って薄れてしまうこともあったけど、でも、中学2年の夏で止まってしまった従姉の分まで、2人分生きなくちゃと思っていた頃もありました。


月日が経って、悲しみも薄れていったけれど、でも、ふとしたときに思い出す。


手術をするって決めたとき、どうしたって頭をよぎったのがこのことだった。
医学、医療はまったくもって門外漢だし、そこは先生に全幅の信頼を置いているから、「事故」が起こるんじゃないか?とは思わなかった。けど、手術ではなく麻酔で帰らぬ人になってしまう可能性はゼロではない。
もちろん、技術も進歩しているし、その頃とは比較するのもナンセンスなんだけどね。


だから、手術が終わって
「三日月さーん、終わりましたよー」って声が聞こえたときに思ったことは、「戻ってきたんだ」ってことでした。


先生をはじめ手術チームのみなさんのおかげで、あたしは元気に帰ってくることができました。
1年経ってあらためて感謝の気持ちを伝えるのもなんだけど、
ほんとうにありがとうございました!


で、1年経って・・・
手術後はぐろくてとても注視できなかった傷痕ですが、美白クリームを塗った成果か、しみかしら?ってくらいの薄さと自然さを取り戻しました。
もう、「ガン見」もOKです。笑。


ところで・・・
傷がきちんとくっつくのってどのくらいなんでしょうね?例えばすっごーく太っちゃった場合、傷口が裂けるなんてことはないんだろうか?ありそうで怖い。そんなことにならないように腹筋鍛えなくっちゃ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生涯学習者 キッカワコウジ

2009-07-23 00:32:05 | キッカワコウジ
やっぱり晃司くんが好きだーっ


とあらためて実感。
本日「Double-edged sword」発売日。
今回はamazonやHMVなんかでも前日には発送完了メールが来たー!とか届いたよー!って話をそこかしこで聞いておりました。
が、あたしはラゾーナ川崎にて本日購入!


日曜日のラゾーナイベントのインフォメが流れて、理解力ないんで一回では読解できなかったんだけど、どーやらライブはただで見れるらしい、抽選に参加するためにはラゾーナでCDを買わないといけないらしい、ということが判明したので、先週日曜に授業のあとに美容院@石川町に行き、その帰りに、「おっ、ぎりぎり間に合うぞ。」とラゾーナへ。
無事、予約完了、本日購入と相成りました。


もちろん、抽選券付き。


ただいま、通勤の友にすべくウォークマンに落としております。


そして、SONGS。
受信料はこのために払っていた、と言ってもいいくらい充実した内容でした。


徹頭徹尾キッカワコウジな晃司くんなので、話していることは表現方法、レトリックは違っても、根っこは一緒。今回は馬と自然に絡めて素直な心情を話していました。

あたしがぐっときちゃったのが・・・
馬に乗るってことになったとき、馬の世話からきちんとやることで、馬に向き合おうと思ったっていうくだり。


やっぱり晃司が好きだーって再認識した。
地味でタイヘンなことをやるって大事なんだ。馬の世話はほかの人がやって乗るだけでいいじゃん、うまく乗れることを求められているんだからさ、って考えちゃうもんだけど、雑用と言われることをきちんとこなして、しかもその作業に敬意さえ表しているところ。なかなかできることじゃありません。


仕事でもそうだけど、奇妙に年次を重ねると、こういう雑用をしなくなるじゃない?あと、単純な定型業務をないがしろにしたりする。例えば、アンケートなんかをとったときに、集計という”作業”をやるのは時間がもったいない、集計した結果を読み込むのがクリエイティブな仕事だ、って思ってる人たち。
むかーし、あたしのところにいた若いぢょしが、アンケート集計は量が多くて大変な作業なので、派遣やパートさんにお願いしたい、と言ってきたときに、あたしは怒ったことがあった。ローデータをしこしこと集計するのは確かにつまらない作業かもしれない、でもそのローデータを見ることで、数字がリアルに伝わってくるし、体感できる。今はその時期だと思うと。
真意が伝わったかどうかはわからないけど、あたしは今でもそう思っている。だからめんどくさい作業もいとわずにやりたい。


(余談ですけどね、定型反復作業=知的障害者の職域、と認識している人たちもいて、それにはものすごーい違和感を感じるのですよ。まずは定型反復作業もお前がやってみろ、と言いたくなっちゃう。)



話が横にそれました


晃司くんが蹄を洗ったり、ブラッシングしたりする様子を見て、あぁ、この人は、こういう些細なことも手を抜かず、自分で体感して、自分のものにしていく人なんだーって思って、なんだかうるる~ときちゃった。
(また、泣いてる。そこ、泣くところか?笑。)


声もとってもよく出ていた。のびやかで艶やかで、低音がステキ~
そうそう、この声、この声が好きで晃司くんが好きなんだ~


そして、本日はスタイリングも◎
晃司くんには珍しく小物使いがGOOD クロスのペンダントとか、コットンマフラーとか、髪のスタイリングも微妙に違えていて、いい感じ。
(個人的は山下洋輔さんたちとのセッションでのTシャツは・・・・・。Tシャツから覗く二の腕の筋肉は秀逸だし、Tシャツ姿そのものは別にいいんだけど、あそこはシャツスタイル、それも白、とかの方がはまっていたような気がするなぁ・・・)


25年のキャリアを持ち、44歳になろうというのに、晃司くんはまだまだ学ぼうとしている。
最近、「学習者」ということを結構まじめに考えているんだけど、それはどうしたって、企業教育や研究と言った少々お堅い分野だったりする。でも、晃司くんのような種類の仕事をしている人たちも、同じ「学習者」なんだ。


長くやっている人の知恵を学びたい

太刀討ちできないけど、噛み付いていたい


あの人とだったら、こんなことも、あんなこともできそうっていう「憧れの最近接領域」と真理は一緒な気がする。
自分の位置をしっかりと見極めて、その上で目指すべき人と協働することで自らを高めようっていうことだよね。


歌声もライブパフォーマンスも大好きだけど、そして、それこそがキッカワコウジなんだけど、でも、晃司くんに惹かれるのは「生涯学習者」だからなんだ。


やっぱり晃司くんが好きだーっと再確認した7月22日。



ところで・・・
ラゾーナイベント、引き換え券の番号がぞろ目の99番。
今日のSONGSが99回。
100って切りのいい数字じゃなくって、もがいている感のある「99」。
なんだかいいことありそうな、そんな予感。
AXも当たるといいなぁ、あたし、くじ運悪いんだよなー
お誕生日プレゼントに当たるといいなぁ、いや、当たる、きっと当たる

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

元気が出ると涙が出る。

2009-07-22 01:15:22 | オトナの学び
昨日の記事にも書いたんだけど、エナジャイズされるとなんだか涙が出る。
それって弱っているのかな~、感受性がつよいのかな~。後者ってことにしておこう。笑。


今日も嬉しくってうるっときちゃった出来事あり。


朝、長岡先生の授業の最終レポートの提出が終わった。メールで提出するので、本文に素直な気持ちをつけてお送りしたら、折り返し、先生から返信をいただいた。


あたしの素直な気持ちは・・・
レポートの完成度(問いと答えの呼応性の低さも含め)は低いけれど、企業の人材育成担当者としてのもやもやはスッキリしたってことと
人材育成に関するこの授業は、一人の学習者としては奥深い世界に触れられ、とても楽しい授業・・・わたしにとっては学びのサードプレイスだったってこと。


昨日の記事にも書いたけど、長岡先生との出会いがあたしの行動範囲と興味の幅を広げてくれたことには感謝してもしきれない。


> 長岡先生の授業に出会うことができて、そして中原先生や上田先生の考えに出会うことができ、
> わたし個人は「オトナの学び」を楽しんでいます。
> このことはMBAホルダーになることよりも、十二分に価値あることだと思っています。

というあたしのメッセージを引用して


これは一番うれしいコメントです。
最後の授業でも申し上げましたが、最近の私は、「学習者個人の視座」にたっているということを
明確にしたものいいをしたくてうずうずしています。もちろん、人材育成部門の方々には
こういった視座は評判がよくないのですが、三日月さんからのコメントを見て、元気がでました。


というメッセージをくださった。


元気が出たのはあたしです。
ひとりのオトナとして学習していくことの奥深さとおもしろさ、その行為のかけがえのなさ・・・そんなものが凝縮されたステキなステキなメッセージでした。


大学院の授業だから、そこには「単位認定」という利害関係もある。
よい成績をもらうことよりもこの長岡先生のメッセージをいただけたこと、これがあたしの「単位」だって言っていいと思う。


元気が出ると涙が出る。


なんだかステキな相関関係な気がする。
これからもいっぱいいっぱい涙を流そう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メタへ行こう!

2009-07-20 23:14:34 | ドクショ
先週出会った素敵な本。其の弐は上田信行先生の書かれた「プレイフル・シンキング」。
上田先生は同志社女子大学の先生で、奈良にネオミュージアムというアトリエを設立されて数々のワークショップを実践されている。
ビジネス書っていうほど堅苦しくないけれど、それでも、認知心理学や学びということを切り口に書かれているので、“愉快”な類のおもしろさではない。
そして、感動するって言っても、涙を流す類のものでもない。


なのに、あたしは感動して、なんだかうるうるしながら読んでいた。


中原先生や長岡先生がお勧めしている本を読んでいたこともあって、聴いた理論や言葉が随所に出てくるので、初めて知った!という知的好奇心的な欲求を満たしてくれたわけでもない。
でも上田先生の「プレイフル」な語り口でどんどん引き込まれて、なんだか「可能性を信じられる」ようになってくるから不思議。


今、社内広報の仕事をしていて、これは長くなるのであらためて記事にしようと思っているんだけど、社内広報の戦略を立てる際にあたしが思ったこと。


funnyなおもしろさではなくinterestなおもしろさを追求したい



それまでの社内広報はゆるくてぬるいおもしろさやつながりを求めていたように感じていた。売上状況すら広報されていないってどういうことよ?という憤りもあって、きちんと会社や仕事のことを発信していきたいと思っていた。それが会社や仕事に誇りを持つことに遠からずつながるんじゃないかってね。


で、いろんな企画を立ててひとつずつ実施しているんですが、その中で、メンバーの何気ないけど意味がある言葉にスポットを当てて、その人の仕事観を紹介するというものがある。
非構造的なインタビューをしながら、その人の仕事観を訊いていくって作業はなかなかしんどいけれど、作られた、準備された言葉じゃないからその人の本質をついているような気がする。


その中で、前回の記事に登場してくれた車いすの男子が言っていたこと。
彼は、一からAccessを勉強して、検索ツールを開発した。
一から勉強するって大変じゃない?その原動力ってなんなの?と訊いたら


もしかしたらおもしろいかも、って思えば、覚えることそのものが楽しくなる


まさにプレイフル・シンキング!
彼にとって、新しいことはタイヘン!ではなく、そのこと自体がおもしろいことなのかもしれない、という未知の扉を開けるものなんだ。


上田先生が書かれていたことと、彼が言っていることはイコールだと思う。
はじめてのことをうまくやれるかな?と不安に思う「Can I Do It?」タイプではなく、彼は「How Can I Do It?」よりももっと先かもしれない、そのこと自体を楽しんじゃえって思っている。
(ちなみにこの車いすの男子はずっと昔に記事にした、24時間テレビで須藤元気とともにロッククライミングに挑戦したこともある。)


はじめてのことも働くことも、楽しいことなんだ。
はじめて英語に触れた中学一年生の頃、誰もが、これでエイゴが喋れるようになるんだ~ってわくわくしたと思うんだよね。(結果はさておき)
その気持ちが大事なんだと思う。


オトナになってもはじめてのことはたくさんあるし、それを「Can I Do It?」と思うのではなくって、どうやったらできるかな?そしてそれを楽しもう!って思うこと、それこそがオトナが学んでいくときに必要なものなんだね。


そして、上田先生が書かれていた「憧れの最近接領域」。
これはもともと、ヴィゴツキーとかいう学者が提唱した、ツールを用いることや誰かのサポートを得ることでその人の能力の可能性は広がるという「最近接領域」の理論を上田先生が発展的にしたもの。
平たく言っちゃうと、みんなでやればもっともっといろんなことができるよ、ってこと。


うん、そう思う。
仕事って、ひとりじゃできないことは言うまでもないことだけど、誰かひとりスーパーマンがいたからって業績がぐぐーんと上がったりするものでもないし、素晴らしい成果物ができあがるものでもない。
つまりは、協働することによって1+1は3にも4にもなるよ、ってこと。


あの人とだったら、こんなことができそうだ、と自分の可能性をどんどん広げていくこと、自分ひとりではできない憧れの領域も誰かとだったら踏み込めるんじゃないか?ってこと・・・それ自体もステキだけど、そう思うこと自体もステキ
そして図々しくも、あたしの行きつく先の目標は「あの人とだったら」って思ってもらえること、そんな風に思える、思われることもステキ
ステキなことだらけ。


あたしはこちこちなマインドセットに陥りがちだけど、「How Can I Do It?」の精神を忘れないように、ちょっとでもしなやかに、Growth Mindsetを育てていこう。
そしてプレイフルを忘れずに、仕事にも学びにも生活にもワクワクドキドキしていこうって思った。


大学院に行ったことで長岡先生の授業を受講した。長岡先生の授業を受講したから中原先生に出会えた。そして、あたしが「本を読む」モードだったこと・・・偶然の積み重ねに感謝してもしきれない。


やっと長岡先生の授業の課題レポートが書き上がりました
(正確にはまだ体裁を直さなくちゃならないから提出は明日の朝になりそうですが・・・) 
授業に参加している2時間半は紛れもなくおもしろい。けど、で、なんだったんだ?というもやもやの連続の授業だったけど、それでもあたしにとっては「学びのサードプレイス」だったことは間違いない。
ありがとうございました!これからもイチ学習者として学び続けようと思います!


ところで、あたしがうるうる来ちゃう理由ってなんだ?
年とともに涙腺が緩~くなってることは否めないんだけど、悲しかったり、悔しかったりしても泣くけど、最近はどうやらエナジャイズされると涙が出るらしい。
なんでだ?元気づけられて泣くなんて病んでるのかな?それとも、とーっても敏感になったってことかな? 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きるとは、与えることと受け取ることの両方である。

2009-07-19 23:54:29 | ドクショ
今週の読書は、これ以上ないってくらいステキな出会いの2冊。
たった2冊だけだけど、その重みははかり知れません。


月に映すあなたの一日  北山耕平
プレイフル・シンキング  上田信行


前者はichiroさんがブログで紹介していたもの。レコーディングが終わると読むんだそうです。バイブルにいかがでしょ?ってお勧めされたので、早速バイブルにしました。笑。


後者は中原先生がブログで紹介していて「読みたいな~」って思っていたら(レポートや課題が全然終わらなくって余裕がなかったので先送りしていました)、長岡先生も授業の中で紹介した。お二人が紹介するんだからきっとあたしの琴線に触れるはず!


あまりにも素敵な本なので、それぞれの感想をちゃんと記事にしたいなって思います。


まずはichiroさんお勧めの「月に映すあなたの一日」。
副題に「ネイティブ・アメリカンの364のことわざが示す今日を生きる指針」とあるように、彼らが紡いだことわざを一日一日ひとつずつ丁寧に噛み砕いて学んでいけるようにと、月の周期28日×13か月=364個のことわざを日めくりカレンダーの如く紹介したもの。


自然とともに生きているネイティブ・アメリカンのことわざなだけあって、その表現は素朴なんだけど、骨太とでも言おうか、本質をぐっとついている。
さらっと表面の響きをなめる、感じるだけではもったいないくらい、ひとつひとつの言葉が深い趣きがある。


うん、こういうシンプルでいて重い、こんな言葉たちに囲まれているからichiroさん本人も懐が深いんだよな、って思った。


コトバって飾り立てれば伝わるものでもないし、流暢に話せたからといって伝わるものでもない。
大事なのは、そのコトバを通じて「何を伝えたいのか?」っていうのがあるかどうか、なんだと思う。


ネイティブ・アメリカンはコトバで価値観や自然観を後世に残そうとした。だからシンプル。そして伝えていくことに主眼を置いているから、コトバそのものを大事にしている。自然の中で生きてきたからこそ、の発想なのかもしれないね。



生きるとは、与えることと受け取ることの両方である。  Mohawk


ichiroさんが言う 「keep Giving」、導いてくれたものへの感謝の気持ち。ネイティブ・アメリカンの教えそのものなんだ~。


そして、ネイティブ・アメリカンはこうも言っている。


与えれば与えるほど  よきことがあなたには訪れる。   Crow

人生はあげることと、もらうことの両方である。  Mohawk



ステキな本に出会えました
迷った時、つまづいた時、そんなネガティブな時だけではなくって、嬉しい時、楽しい時、前に進もうと思うとき、ポジティブな時にも開いていきたいそんな本です。


ichiroさんに出会えて、こんな素敵な本に出会えました。
この出会いに感謝



※上田先生の「プレイフル・シンキング」はまた後日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三日月が笑う

2009-07-10 00:57:48 | ichiro
行ってきた Rockamenco Viva Verano@ CLUB QUATTRO
(ネタばれあり)



楽しい楽しいライブでした


会議が押ししまってカイシャを出たのが6時半。間に合わないかも?と焦りながら大江戸線~半蔵門線をダッシュで乗り継ぎ、クアトロまで人ごみのセンター街を小走り。
スタートが押してて助かった~。


今日は、前回の教訓を生かし、KSKさんのドまん前、5列目くらいの超ベストポジション。妄想度の高いポジションです。
何度も何度も目が合った
・・・・気がする。ほら、ここは思いこみでシアワセに浸れるわけだから  そういことにしておこう。


毎回毎回Rockamencoはライブのたびに新しいことにチャレンジしている。
今回も途中、アコースティックコーナーがあったり、オープニングはリズム隊だけが出てきたりと、このチャレンジを一緒に体験するだけで、来てよかった~って笑顔になっちゃいます。


入口で、スペイン語の数字の読み方を書いたぺラをもらい、何かなー?と思っていたら、みんなで歌おう!と会場のみんなを巻き込んで大合唱。
4はスペイン語でCUATRO(クアトロ)なんだけど、ichiroさんが「ここだよー」とばかりに床に親指を指していたのが印象的でした。


もう既に歌詞は忘れちゃったんだけど、ひとつづつ幸せを積み重ねていくっていう内容だった。ま、いわゆる「いっぽんでもにんじん、にほんでも・・・」みたいな語呂合わせ的な歌詞。
uno dos tres(1、2、3)ときて、 tresのところで


tres 三日月も笑う
(あれ?微笑むだったかな?)


あれ?あたしのことー?とめちゃくちゃ都合のよい解釈。傍若無人にもほどがある。笑。


もちろん、あたしのことではないし、このハンドルネームは極めていい加減に思いつきで付けてしまったものなんだけど、なんだか細~い糸がつながったような気がして一人で奇妙にテンションをあげておりました。


それを差し引いてもめちゃくちゃ楽しいライブでした。


本日のあたしの萌えポイントは、オープニングで登場してきたときのichiroさんの笑顔。北斗さんにちょっかい出すようにしてそばによって、にやり、と笑った顔に溶けました
あらふぉー2段目のichiroさん、今日もSO WHITY。胸元全開の白いシャツにシルバーラメのストール、シルバーのパテント素材のパンツ。
なんだか痩せたように見えました。相変わらず足が細ーいっ。


Rockamencoのichiroさんは、本当に楽しそうで自由にギターを奏でているところが何よりも魅力的。
暖さんとの掛け合いも息がぴったりでホントに楽しそう
(あんなに接近したらあたしは緊張して倒れてしまいますが。いや、そんな心配は無用だから。笑。)


ラストは、「おまけね」と言って「WILD WORLD」。
ライブでは最高に盛り上がりますね。そしてRockamencoはライブバンドだ!ってあらためて実感。


楽しい楽しいひとときでした。なんだか気分が晴れないことがたくさんあって、仕事も論文も積み残しが山のようにあるし、レポートは手つかずだし、さらには週末の集中授業の予習も全くできていないし・・・・でも、そんなことは吹き飛ばしてくれるパッションと愛にあふれたステージでした。
あしたから頑張ります


秋から全国ツアーに出るそうです。
論文の追い込みでさすがにおいかけることはできないけれど、東京は絶対に行きます!

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

語りとしてのキャリア

2009-07-09 00:57:42 | オトナの学び
おとといの長い長いあたしのキャリアの振り返り記事。振り返ることであたしなりに「あ、今思うとこの出来事が節目だったんだ~」って気づくことができたのは大きな収穫だった。


昨日の長岡先生の授業で、企業が個人のキャリア開発に対して支援できることがあるとしたら、経験したことをストーリーづける、掘り起こす作業の支援なのではないか?という話があった。
つまり、経験そのものには意味はなく、それをどう意味付けていくかによって、その出来事が「節目」にもなるし「一皮むけた経験」にもなる。


おー、珍しく腑に落ちた。(っていうか、理解できた。)


おとといの記事を書いたことで、あたしはあたしの経験をストーリーにすることができた。まだまだつたない物語だけどね。


そして先生はこんなこともおっしゃっていた。
「キャリアが充実していると言い切る人は、自分の過去をストーリーづけられている。
キャリアが充実していないと言っていた人に1年半後にインタビューをし、キャリアが充実しだした、と言った人に共通していたのは”ストーリーが描けていた”ということ」


経験したこと自体は変わらないはずなのに、その出来事に意味を見出している。
そして、そのプロセス=意味付けを支援しいていくことがキャリア開発には必要なんじゃないか?ってこと。


あたしの長い振り返りは、1年後に同じように語ったら、違う解釈をしているのかもしれない。でもそうやって語りほぐすことが大事なんだって。
別の意味付けができないか?って考えることが大事なんだって。


うーん、このあたりは理解がまだらなんですけど、経験はその人の主観でしかなくて、自分の中でストーリーを構築して自分で作り上げたもの、実は存在しないものなんだけど、それをあたかも客観的であるかのように信じ込む

だから、時間が経ったり、その時に置かれている状況・環境によっては同じ経験でも違う意味付けができる、ってことなんだろうね。


ところで、
Planned happenstance・・・やっぱりあたしの解釈は間違っておりました。
あたしは、流されながらその中で答えを見つけていく、その出会いは偶然なんだ・・・と解釈してしまったけれど、「偶然に起きたことをいかに高い確率で活用するか、今ある状況の中で最善の結果をもたらしていこうとする」考えのこと。
システマチックに計画するもの、できるものではないけれど、「お、これはチャンスかも」「これがもしかしたら節目?」みたいなラッキーな状態で何かを見つける・・・のではなく、起きていることそれ自体はそのままの事象としてとらえ、それをどう活用していくか・・・ってこと。そこには意思がある。


うーん、わかったようなわからないような。


でも、昨日の授業を経て、いっこだけ確信が持てたこと。
すべての人にはキャリア開発が必要だ、なんて大上段に立つよりも、経験してきたことを語ることでその経験を意味のあるかけがえのないものにするってことは誰にでもできることだし、大事なことなんだ、ってこと。


人材育成や人材マネジメントに関する研究は奥が深すぎる・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5年後の方向性 (超長文、過去最長かも!?)

2009-07-07 01:32:39 | カイシャ・シゴト
前回の長岡先生の授業でゲスト講師でいらした石山さんは、キャリア開発はすべての人に必要なんだっていうお考えをお持ちで、お話の中で
『5年後の長期的な目標を設定して、そこに到達するような道筋で単年度ごとに細かな目標を立てる』というものがありました。


5年後~?


1ヶ月先に何やってるかだってわかんないのに、5年先なんて決められないよ~


長岡先生曰く「目標というよりは方向性なのではないか?」



方向性かぁ。そう考えるとちょっとはハードル下がるかなー?
でも、今までそんなこと考えずに、そのときそのときを一生懸命過ごして、そのときのアンテナに引っかかったものに進んできちゃったからなぁ。キャリア・・・って話はとっても重い。


キャリア開発は明日の授業で取り上げるテーマなのだけれども、あまりにも方向性も目標も持たずに進んできちゃった・・・まさにPlanned Happenstance。



ということで、予習も兼ねて(?)あたし自身のことをちゃんと振り返ってみようと思います。



あたしの永遠の問い。
あたしが就職したときには既に男女雇用機会均等法は施行されていたけれど、でも、それでもやっぱり、じょしが働き続けるっていうのは、バリキャリ(ばりばりのキャリアウーマン)か、パートのおばちゃんかって選択肢だった。
バリキャリになるには、相当優秀でクレバーじゃないと鼻から無理!って感じでした。それこそ、東大出身ですー、在学中に●●の資格取りましたー、原典で読めるくらい英語ができますー、とかね。



でも、あたしがずーっと引っかかっていたこと。


誤解を恐れずに言うと、男子なら学歴なくても、そんなに優秀じゃなくても、ずーっと働き続けて、働き続けることで社会の中での位置、地位っていうものを確立していく。
ぢょしの方が中学校や高校の成績が圧倒的に優秀でも、男子は男子というだけでアタリマエに働き続ける。


中庸なじょしだって働き続けていいじゃんねぇ。


これがあたしの問題意識。


だから、別に大層な職業観は持ってないけど、あたしにとっては働き続けるってことはアタリマエのことなんだよね。
仕事の種類、方向性ということよりも、働く、ということそのものが大事なんだ。


と言いつつ、高校生のときは、自分の凡庸さはじゅうぶんにわかっていたから、四大ではなく短大に行って、立派な職業人にはなれなくても、立派な主婦にはなれるんじゃないか?(まぁ、主婦を軽んじた、今となっては失敬な発想です。)と思っていました。青短とかとんたん(東京女子大の短大)、めいたん(明治大学の短大)あたりは憧れでしたもん。笑。


それが、四大に行こうと思ったのは、これまた非常に浅はかなんだけど、村上龍の『愛と幻想のファシズム』を高3の時に読んで、こんな大変なことが世の中では起きようとしている。文学だぁ、歴史だぁ、家政学だぁ、なんていってる場合じゃない、ちゃんと経済とか政治とかそういうことを知らんとダメだ。と思ったから。
で、商学部に行ってるあたりが、これまた場当たり的ですね。


そして、大学生活はバイトとサークルと、学部イチ厳しいゼミに明け暮れ、決して勉強熱心な学生ではなかったけれど、学校は好きで多くの時間を過ごした。成績は相当お粗末
就職は、会社のことも仕事のことも全然研究もしなければ、調べもしなくって、これまたイメージで、全国の店舗を飛び回って陳列だぁ、接客だぁに携さわる仕事ってかっこいいじゃん?と思って、流通業、チェーンオペレーションを展開している企業に決めた。


仕事は楽しかったです
売り場作って、ボディにコーディネートして、店内の販促ツール設置して・・やったことは必ず反応があったし、接客も楽しかった。入社してからずっと個人売上ランキングも上位だったんだよね~。
ただ、バブルがはじけちゃったのとずさんな経営だったからか、あっという間に斜陽。入社して2年目に早期希望退職が募集されたくらい。
退職金の加算は魅力的だったけど、3年は続けないとねぇ、なんて話を同期として、とりあえず残ることに。
でも、それからが大変!引越しを伴う転勤を3か月に1度の割合で繰り返し、店は社員が2人(あとはパートさんとアルバイト)だから、そうそう休みも取れないし・・・9連勤、16連勤はしょっちゅうでした。
あるとき、ぷっつーんと「やめよう!」と決心が固まって退職。


失業手当もらいながら資格でも取るかなーと思っていたんだけど、毎月、職安に行くのがめんどくさくて、仕事探しているふりをするのがめんどくさくて就職することにした。


そして、店舗展開を始めたばかりの通販化粧品会社の販売スタッフになったわけですが、これまたオペレーションがめちゃくちゃで、ちょこちょこ改善したり、レポート書いたりしてたら、本部に来ないか?と誘われ、商品管理や物流管理のお仕事につきました。


その後は流されるままに、店舗の企画や販促、マーケティングなんかをやって、気づいたらマネージャーをやっていた。

キャリアの転機っていうのかな?あくまでも、今思うと・・・ってことなんだけど、ちょうどマネージャーになるちょっと前に病気が見つかった。
ちょうどその年、創立20周年を記念して海外へ社員旅行に行くことになっていたので、旅行に行かずにその分の1週間の休みと有休使って手術しようかな~なんて軽く考えていたところに降ってわいたマネージャーの話。


今だったら悩んだかもしれないけれど、そのときは、迷うことなくマネージャーの話を受けた。やりがいとかチャンスとか、そういう色気よりも、「おもしろそう」っていうシンプルな気持ちが勝っちゃった。
当時、売上が低迷していて、回復させないと後がないっていう背水の陣でもあった。たいした経験もないあたしを登用したんだからガッツのあるカイシャだ。


病気のことは誰にも言わず、その当時は自覚症状もまったくなかったし、貧血もいまほどひどくなかったし、生理もそんなにつらくなかったから、なんとかなる、って思ってた。実際なんとかなっちゃったけど、あのときに、病気じゃなくて仕事を選んで、その見返りとしていろんな経験させてもらって、その時の経験があるから今があるって言っても過言じゃないかも、って思う。


あたしのキャリアはこの会社で形成されたと言っていい。いわゆるディレクション業務を通じてネットワークもできたし、仕事の進め方、企画の通し方、人の巻き込み方なんかを学んだ。
海外研修や出張にも連れて行ってもらったし(エイゴがまったくできないのに、おパリ2回、イタリア、ニューヨーク、香港・・・本当にありがたいことです。)、30そこそこのぢょしに年間10億近い予算権限持たせてもらえて・・・生活の9割以上が仕事!みたいな状態で、1ヶ月250時間くらい働いてたけどツライって思ったことなかったなぁ。


辞めた理由はいろいろあるけど、なんだかんだ言っても、働く人のモチベーションや質が一番大事だよな~、どんなにいい企画やいいデザインの店つくったって最後は人だよな~って思ったこと。そう思ったのに、あたしにはその当時の店舗スタッフが信じられなくなっていたから辞めた。彼女たちは企画の趣旨を理解していない!って怒ってた。それって明らかにあたしが間違っていて、理解してもらえるように説明しなきゃ、腹に落とさせなきゃならなかったんだよね。


仕事で知り合ったプランナーが「フ●ン●ルで店舗の企画チーフをやっていたなら引く手はある」って言ってくれたこともきっかけになった。
でも、販促や企画をやるつもりはなくって「人」に関わる仕事、店舗のスーパーバイザー、エリア長みたいな仕事がしたいと思って、某ジュエリーブランドの営業担当になった。


仕事は楽しかったんですけどね~。スタッフたち一人ひとりと話をして、動機付けして、一緒に店づくりして・・・
でもどーしても馴染めなかったのが、毎月の10時間会議。大げさでもなんでもなく朝の10時からよる9時まで拘束される。しかも1日だけじゃなくて3日間連続。こりゃ続けられん、って初めて参加したときに思った。


このカイシャでは入社早々濃い~い先輩について年間10億くらい売上げるニホンイチの売り場を担当して、2ヵ月後には本店や路面店のブランディング戦略みたいな仕事を任された。といってもそんなにかっちょいい仕事ではなく、毎日青山通りを外苑前から骨董通りまでダイヤを抱えて歩いたもんです。


学ぶことも多かったなぁ。
濃い~い先輩は、ほんとにこのブランドの商品が好きで、愛していて、店が好きで、売上を上げるためには商品力と組織力だって持論を持っていた。単にジュエリーを売るだけではなく、10人くらいのスタッフにきちんと役割と目的(目標)を持たせて組織を作るってことが大事と言って、そのノウハウを教えてくれた。この人が長い営業経験の中で培ってきたノウハウを惜しげもなく教えてくれるって、今となっては本当にありがたいことだと思う。


でも、10時間の拘束会議と、土日は店舗周り、ウィークデーは会議と商品調達とデベロッパーやバイヤーとの交渉・・と全然休みが取れないことと数字のプレッシャーに心底疲れ果てて、辞めた。


そしてたどり着いたのが今の会社。
スーパーバイザー募集をリクナビで見て、やりたかった「人」に関わる仕事ができることも魅力だったけど、とにかく病んでいたので、休みたい、数字の圧力から解放されたいってことで、『特例子会社ならきっと働く人にも優しいはず』となんにもわかってないじゃーん、という状態で入社。


入社してからの半年間はとにかく楽しかった
「多様な価値観」ということを身を持って知ることができて、この人たちがそれぞれの価値観を大事にしながら楽しく仕事をするためにどうしたらいいか?ってことを考えて、実行して、結果が出て・・・っていう正のスパイラル。
5日以上絶対に働かない、毎日6時には帰れる。天国でした
古参のベテランスーパーバイザーにも、最初は軽くいじめられもしましたが、よい関係性が構築できたし。


とーこーろーが
半年たって、マイクロマネジメント型の上司と組むことになって一変。細かいこともすべてプロセス管理されて自分らしく働けないし、ココロが病む一歩手前でした。


なんで立ち直れたのかは今となっては理由がたくさんあり過ぎるんだけど、キャリアの転機・節目、ということで言えば・・・
本気で辞めようと思っていました。
とはいっても、部下を80人くらい(パートさんも含めて)抱えているからそんなにすぐには辞められないだろう、時期を決めて算段を付けたい、と別のマネージャーに相談したら、人事担当のおっちゃんが飛んできた。
まったくもってありがたい話で、イチ社員にとってはこれ以上ない話だと思うんだけど、「残ってもらうためにはどうしたらいいか?」的なことを言われた。


そこで、不届きなあたしは「へへん、じゃあ、あたし、生活のためにだけカイシャに来ちゃおう、仕事に楽しみなんか見つけないで、ほかに楽しみ見つけよう」と当時たまたま薦められていた産業カウンセラーの勉強ができる大学に行くことに。


これが、今のあたしを形成する上では大きな転機になったことは言うまでもありません。


大学(通教だけどね)に行ってみたら、周りの人は意識が高いし、レポート出して、それに合格してテストを受けて単位がもらえるっていうサイクルがロールプレイングゲームみたいでおもしろかった。


大学で人材マネジメント論をかじったときに、エンプロイアビリティってコトバを初めて知った。
従来の日本的経営の終身雇用のように企業がずーっとその人を雇用し続けることは約束できないから、ならば、代わりに企業はその人が雇用されうる能力をきちんと身に着けさせる使命があるのだ、ということ。(解釈少々意訳です。)


その頃、カイシャでも、採用拡大期に入社してきた面々が力をつけて、次の階段に昇ろうかって時期に来ていたので、あたしは派遣社員でありながらスーパーバイザーとしてチームを切り盛りしてきた方たちを呼んで、
「これから1年半後に、社員をスーパーバイザーにしたい。そのために、彼らのことをきっちり教育し、ひとり立ちしたときに困らないように業務の整備もしたい。それはすなわち皆さんの職を奪うことになる。キレイごとかもしれないけれど、この活動を通じて、皆さんにはスキルと経験がつくし、私はそれを支援していきたい。」
と宣言した。


今思うとよく「うん」と言ってくれたと思う。
けど、その当時のスーパーバイザーはみんなとても協力的に情熱を傾けてくれた。
そして、それに報いたくて、つたないながらもいろんな勉強会を開催して、彼・彼女たちの力をつけようとした。
これがあたしが人材育成や研修に興味関心を持つきっかけになったことなのかも。


はじめから研修や人材開発に興味があったわけではなくって、一緒に働いている人たちに何かしたい、報いたい、という思いから発したものだったんだよね。


ついでに言うと、障害を持つ彼・彼女らに、仕事って意外とおもしろいものなんだよ、世の中のモノにはみんな意味があって、だからあたしたちの仕事にも意味はあるし、おもしろいものなんだよー、どうしたって物理的に行動範囲が狭くなってしまう彼らに違う世界を見せたい、知らせたい、伝えなくっちゃ、伝えなければ!という奇妙な使命感なんぞを勝手に持ってしまったことも手伝った。
こんな取るに足らないあたしのことを慕ってくれる車いすのダーや若い連中たちに「三日月さんはやっぱりおもしろい」って思われていたかったっていうのも大きい。


大学院に進学したのは、せっかく勉強するってことのおもしろさがわかったり、習慣づいたりしたので、これは続けたいなーって思ったのと、彼がMBAを取るために留学したからっていうのが大きい。
このまま仕事をしているだけだったら、取り残される、って思った。レンアイ関係がうまくいかなくなることよりも、2年経って全然成長してない自分と、大きくなった彼を比較するのってめちゃくちゃ残酷だって思った。
負けるに決まってるけど、それでも、彼との距離はこれ以上広げたくないってそう思った。


そんな理由と、育成、人材開発ってキーワードをつなげたのが、「あたしも大学院に行こう!」ってこと。
お勉強が好きなわけでも、研究したいことがあるわけでも、キャリアアップしたいわけでなく、習い事の延長だったんだよね。
だから1年の1期目は本当につらかった。全然わかんないんだもん、周りの人が言ってること、先生が言ってることが。


大学院に来たことが、あたしのキャリア形成において何か意味を持つのか?と言ったらそれはわからない。
けど、大学院に来たことで、カイシャでも異動があり経営企画室なんてところでトップの意向にじかに触れる機会を得たり、授業を通じていろんな人のいろんな考えに触れたり、中原先生の活動に傾倒したり、『偶発的な』何か・・・・にはなっているような気がする。


Planned Happenstance・・・と言っても、あたしの場合は、ホントに場当たり的でそこから何かを学んだり、キャリアをきちんと形成したりしているとは思えないんだけど、振り返ってみて、すべての行動にはきちんと意味づけができて、そこから何か(明快にこれ!と言えるものもないんだけどねー)を得ていることは間違いない。


人生折り返し地点、じゃすふぉーを迎え、そろそろ『偶発』ではなく、意図して進むってこともしなきゃならないのかなーと思いつつも、しばらくは脳みそを酷使し、ココロに刺激を与える日々を送っていきたい。
そうした日々の中からきっといつか答え=進むべき道が見つかるような気がするもの。


がんばります
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする